散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

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大陸帝国主義の先駆け、韓国合併~「有識者懇談会」報告は無視

2015年08月17日 | 歴史/戦後日本
「安倍首相談話」のベースを造った有識者懇談会報告は、第一章「20世紀の世界と日本の歩みと教訓」において、帝国主義による植民地化に関する部分を次の様にまとめている。
 『戦後日本の「平和」は選択ではなく拘束であった~「有識者懇談会」報告への違和感150809』

「近代化を遂げた日本が日清戦争に勝利して台湾を植民地化(1895)…」
「しかし、二十世紀初め、植民地化にブレーキがかかる。
1.1905年、日露戦争での日本の勝利
 (1)ロシアの膨張を阻止…
 (2)非西洋の植民地の人々を勇気づけた。
2.第一次大戦で米・ウィルソン大統領が掲げた「民族自決」の理念」

ここでは、日露戦争はロシアの帝国主義的膨張を阻止すると共に、特にアジア諸国の民族自決に勇気を与えたとして二重の功績を与えている。しかし、日本は台湾植民地化に続いて、日露戦争によって韓国を実質的に植民地化する。

年表を紐解いてみると、
 1905 日露戦争ポ―ツマス条約
 1910 日韓併合      1911 辛亥革命
 1912 明治天皇逝去
 1915 対中国21ヵ条要求 1914 第一次世界大戦勃発
 1918 日本のシベリア出兵 1917 ロシア革命成立

日本は韓国を大陸への足掛かりとし、北方へ向けての植民地化政策を着々と続ける。一方、世界は戦争と革命の時代へ入る。このコントラストの中に、日本のその後の政策が大陸帝国主義(ハンナ・アーレント)として示されている。しかし、懇談会報告では、この部分は無視され、1931年満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えたとする。

しかし、日露戦争以降、日韓併合を嚆矢として満州事変、日中戦争までは陸軍主導の領土拡大戦略であり、その連続性に注目しなければ、歴史認識としては不十分のように筆者には見える。

特に、先の年表で
「日韓併合」、「日本の対中国21ヵ条要求」、「日本のシベリア出兵」と続く部分は、戦争と革命の時代に突入した世界史的変化を受け止めることが出来なかった、極めて閉鎖的な時代認識が窺われる。そして、戦後の民主的でいて、なおかつ、閉鎖的な環境のなかで、現在に至るまで、引き続いている。


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