散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

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『旅順陥落』林達夫、1950年~“ロシア革命後100年”を考える前に

2017年06月07日 | 現代史
歴史事象は区切りの年になると、色々理由をつけた形での話題にされる。ロシア革命後100年も例外ではない。数年前はWWⅠ後100年でその話題にはロシア革命も含まれている。それでも取り上げられるのは革命の視点があるからで、なお、昨今のポピュリズムを含むと現代的話題性も持ち込める。

池田嘉郎著『ロシア革命-破局の8か月』にもその様な視点が含まれると沼野充義氏は述べる(毎日新聞書評欄2017/3/5)。これから読むのだが、その前にロシア革命に関連する書物で印象に残る部分を確認することも大切だ。

表題のエッセイは70年近く前に書かれたもので、多くの知識人が共産主義に畏敬の念を払っていた時代だ。何しろ丸山眞男がスターリン批判に触れたのはその批判の後の論文であった。更に日露戦争を、帝国主義だけでなくロシア革命も含めて理解する頭脳を持っていた人も林以外にいただろうか。

論文のなかで、日露戦争に関する文献で最も示唆深く読んだ文献として先ず『白き石の上で』(アナトール・フランス)を挙げ、「ヨーロッパ全体の植民政策」が受けている報いとの見方賛意を示す。

一方、もう一つの文献が、『旅順陥落』(レーニン)である。「進歩的ブルジョアジー国家日本が、ロシアの旧体制国家に勝利した」と日本の肩をもったレーニンの見解に林は注目する。日露戦争での敗北が続く戦闘のなかで、1905年の革命(第一次革命)が起こり、ニコライ二世に譲歩を余儀なくさせたことと密接に関係するとの見方からだ。

ここから二段階革命論へ進むのではなく、林は、スターリンが第二次大戦のおけるソ連の対日参戦を日露戦争の復讐と理由づけたことを、レーニンを引き合いに出して批判する。ここまでくると、レーニンが生きていれば、スターリンと同じことを言ったかもしれないとも言えて、的外れの批判にも思える。

ただ、二十世紀前半を彩った「戦争と革命」の時代は、1905年革命と日露戦争に始まったとの認識を70年前に、曲がりなりにも示している処に『旅順陥落』の大きな意義があるように思える。

一方、林はマルクス・レーニン主義とスターリン主義とを区別するために、この論文を引き合いに出したのかも、との疑問も湧いてくる。即ち、スターリン主義はレーニン主義を引継いで、レーニンの「プロレタリア独裁」を極限まで追い詰めた形態ではないか、との疑問である。

国際的にはハンガリー動乱、プラハの春を押しつぶし、ブレジネフドクトリンへ続くソ連の政策、カンボジア虐殺、ベトナムのカンボジア侵攻、中国のベトナム侵攻に至るアジア共産主義国の連鎖反応、中国での文化大革命、天安門事件での騒乱状態の出現である。

流石に1950年当時において、ここまで見抜くことができる知識人はいなかった。それはやむを得ない。しかし、振り返ってどこまで認識が行き届いたのかを冷静に検証することは大事であろう。
明日は永井陽之助の論考から考えてみたい。

     


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