散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

日本人も外国人、明治神宮の観光客~持続的平和の基盤

2015年07月26日 | 現代社会
ここ2,3年、外国の方を案内して都内の観光地を訪れる機会が多くなった。
誰でも直ぐに思いつく場所に行くことが多い。ということは、他の外国人も多いということになる。

先日は3人で明治神宮へ行った。原宿駅で降りて久し振りに内苑へ行って、筆者自身はお参りするつもりになっていた。前に行ったのが何時だったのか、思い出せないほど、以前のことだ。もしかして、20年以上も前のことだったかもしれない。

新宿駅南口の方に見えるノッポビル、有名なビルだろうが、名前は知らない、そのビルが、鬱蒼とした森の間から見える場所があるのだが、そんな風景を見ることができたのは始めてだ。要するに以前に行ったのは、南口再開発よりも前だったことが判る程度のことなのだ。

山手線で新宿を過ぎる辺りから、雨が降り出した。雷雨の様相を示していたのだが、来た以上は目的地へ入るほかはない。駅を降りた処で、早速、「カサ~!カサ~!」と張り上げる声が耳に入る。東南アジア系と思われる若者が色とりどりの単色の傘を1本400円で売っている。早速、色違いを3本買って、正面の鳥居へ向かった。

しかし、にわかの黒雲が上空を襲うかのように原宿駅側から広がり、大粒の雨が落ちてくる。咄嗟に入口近くのコーヒーショップに走り込み、少し順番が出来ている列に並んだ。その後、何秒かで雷が轟こと共に、一斉に大粒の雨が揃って地面に落ちてきた。

ショップ内は追加の椅子も含めて満員で、少し遅れれば、入ることも出来なかったほどだ。一段と激しくなる雷雨のなかでショップ内は話で賑わっていた。見れば、欧米人、中国人、韓国人、東南アジア人がそれぞれグループごとに退避していたのだ。日本人は他に一つのグループだけであった。

回りを異なる国々の外国人に取り巻かれた中で、このエリアの中では自分自身も外国人に過ぎない、のだと強く感じた。しかし、この集団は互いに見ず知らずでも、互いに余暇を楽しむ、そして互いにそのことを知っている集団なのだ。

ビジネス社会の様に仕事をする分けではない。大学の様に勉学する分けでもない。このような小社会が出来たのは、観光客が集まる場所を嚆矢とするのではないか。その中で、日本の中での日本人観光客も多くの外国人観光客に囲まれて、外国人として自らを感じることも新たな体験かもしれない。

雷雨が上がって、広く、長い参道を歩いて本殿へ向かう道においても、この“外国人観光客の中のひとり”という感覚は変わらなかった。それでも、子ども時代に遡って、明治神宮の中で遊んだことを思い出すこともしばしあって、これまでにない感覚を自らの中に発見した思いを持った。

グローバル化を象徴する観光客の姿ではあるが、その中で諸外国から余暇を楽しむ人たちが集まることは、平和な、しかし、活気に溢れる社会を持続的に築く基盤になるとも感じることが出来た日であった。

      

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