いろいろあると思うのですが、
敢えて言います。
阿部知子と村山富市は今すぐ死ね。
3000回ずつ死ね。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1169712594/
http://www.sassaoffice.com/index.htm
http://www.abetomoko.jp/
1.26.07まとめサイト追加
http://wiki.nothing.sh/1070.html
以下、佐々淳行website「佐々淳行より皆様へ」より引用
阿部知子議員の発したメッセージについて
ここ数日、私のところに多くのメールが届きます。内容は阿部知子社民党議員が先頃、自身のホームページに掲載した以下のメッセージについてです。
「阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国(のち〝知事〟に訂正)による命令(のち〝要請〟に訂正)を受けて救援(のち〝本格救援〟に訂正)に向ったのは、数日を経て後のことであった。」
私は、これに反論したいと思います。
自衛隊は地震発生直後から派遣準備をはじめ、自衛隊法に基づきすみやかに兵庫県に対し派遣要請を促すよう連絡をとっています。しかしながら、県からは全然返事をもらえない状態で、航空偵察や小規模の近傍出動、派遣準備にとどまるしかありませんでした。
ようやく10時に県知事から派遣要請が入り、本格的災害救助活動を開始できたのです。 海上では、地震発生後すぐに神戸港に向かって4隻の自衛艦が向かいましたが、それを受け入れる兵庫県や神戸市の対応が遅れ、翌日10時まで、これらの艦船は神戸港に入港できない有様でした。
兵庫県や神戸市は、これまで自衛隊と共同の防災訓練をしたことがなかったのです。
救助活動に関しても、彼らは今よりも大きく権限が制限されていた当時の自衛隊法の範囲で、できることを精一杯やったと、私は大きく評価しています。
震災の2日後に当時の官房副長官が自衛隊の初動の遅れを指摘した発言もありましたが、もし地震発生と同時に一斉に数万の自衛官が現場に出動していたら、それこそ当時の法の下ではシビリアンコントロールの観点から大問題になったことでしょう。
彼女のメッセージの中では、何を根拠に「数日を経て後のこと」となったのでしょうか。
一方、政府は何をしていたか。
ときの、村山富市総理に地震の第一報が入ったのは地震発生から1時間半以上たった午前7時30分頃。
村山富市総理はその後も予定通り経済報告閣僚会議や地球環境の懇話会に出席しているのです。
定例(緊急ではない)閣議のあと、この地震対応について非常災害対策本部(国土庁長官指揮、総理指揮の緊急災害対策本部ではない)の設置にとどめたのは、いま彼女が所属する社民党の前身政党・社会党内閣です。
さらに、総理が現地視察をしたのは1月19日。
帰京直後の記者会見で「(総理指揮の)緊急災害対策本部を設置する」と述べたものの、夜になって撤回し、とうとう総理が陣頭指揮をとることはありませんでした。
災害時も含め、国民の生命・身体・財産を護るのは国家の最大の任務であり、その長は言うまでもなく内閣総理大臣なのです。
犠牲者6434名をだし、約10兆円の国富を灰燼に帰した責任がどこにあるのかは、明確でしょう。
私の著書『危機管理宰相論』には、阪神大震災の際の初動措置や当時の国家危機管理システムの問題点が、当時の事実と共に書いてあります。
また、衆議院公聴会の議事録も掲載してあります。
彼女が議員になられたのは2000年とのことで、経歴も浅いことは承知しています。
しかし、現在社民党の政策審議会会長という責任ある立場でご発言をなさるのであれば、きちんと勉強してから意見を述べるべきです。
当時の事実関係を詳しく調べることなく、法律を読むことなくいたずらに批判をすることは、極めて愚かなことであります。
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