天武系は高句麗から戻ってきた卑弥呼臺与(とよ)の子孫の人たちと考えますから、高市山-大矢田神社-糸魚川一宮・天津神社の線も高句麗と関連を示さなければなりません。
ただし、翡翠は新羅でもっとも貴重とされたようで、高句麗ではそれほどでもないようです。
しかし、日本の天武系は諡号から見ると、翡翠を重要視したのではないかと感じています。
初め、この線を新羅・百済と関連付けたわけですが、その意味はあるはずです。
天武系は国づくりに対して百済系の協力を必要としていました。
(大国主命とスクナビコナの話、それに、藤原宮という名前・不死+KHARA、
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/855b65ad68e34e22b6c432faf2630e5a?fm=entry_awp
それ程必要とされた協力関係は文武天皇の時に壊れます)
ともあれ、高句麗との関連の一部をみてみます。
⊿安鶴宮跡-大矢田神社-高市山
大矢田神社→安鶴宮跡
Ⅰ294°58′48.23″ Ⅱ108°16′27.53″ Ⅲ1,052,048.968(m)
安鶴宮→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
高市山→大矢田神社
Ⅰ26°11′20.95″ Ⅱ206°53′03.31″ Ⅲ251,858.132(m)
大矢田神社での角度
294°58′48.23″-206°53′03.31″=88°05′44.92”≒88.0958度
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-108°16′27.53″=13°37′31.07”≒13.6253度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°11′20.95″=78°27′58.34”≒78.4662度
⊿安鶴宮跡-喪山天神社-高市山
喪山天神社→安鶴宮跡
Ⅰ295°03′56.61″ Ⅱ108°21′33.73″ Ⅲ1,053,078.315(m)
喪山天神社→高市山
Ⅰ207°07′58.51″ Ⅱ26°26′10.50″ Ⅲ250,339.262(m)
安鶴宮→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
喪山天神社での角度
295°03′56.61″-207°07′58.51″=87°55′58.10”≒87.9328度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°26′10.50″=78°42′12.40”≒78.7034度
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-108°21′33.73″=13°32′24.87”≒13.5402度
ちょっと直角より小さいですが、まだまだいろいろ関連づけられそうです。
また、安鶴宮跡から高市山、糸魚川の距離は同じくらいになりそうです。
安鶴宮跡-高市山-糸魚川一宮・天津神社
糸魚川一宮・天津神社
北緯37度02分24.45秒 東経137度51分51.12秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370224.45&l=1375151.12
奴奈川神社
北緯37度03分20.16秒 東経137度54分10.77秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370320.16&l=1375410.77
姫川河口
北緯37度02分29.37秒 東経137度49分51.55秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370229.377&l=1374951.55
安鶴宮跡→糸魚川一宮・天津神社
Ⅰ98°14′18.79″ Ⅱ285°40′23.08″ Ⅲ1,078,814.743(m)
⊿安鶴宮跡-姫川河口-高市山
安鶴宮跡→姫川河口
Ⅰ98°16′24.32″ Ⅱ285°41′14.80″ Ⅲ1,075,928.873(m)
高市山→姫川河口
Ⅰ26°24′16.88″ Ⅱ207°40′09.83″ Ⅲ438,008.332(m)
安鶴宮跡→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-98°16′24.32″=23°37′34.28”≒23.6262度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°24′16.88″=78°40′54.27”≒78.6817度
姫川河口での角度
285°41′14.80″-207°40′09.83″=78°01′04.97”≒78.0180度
ただし、翡翠は新羅でもっとも貴重とされたようで、高句麗ではそれほどでもないようです。
しかし、日本の天武系は諡号から見ると、翡翠を重要視したのではないかと感じています。
初め、この線を新羅・百済と関連付けたわけですが、その意味はあるはずです。
天武系は国づくりに対して百済系の協力を必要としていました。
(大国主命とスクナビコナの話、それに、藤原宮という名前・不死+KHARA、
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/855b65ad68e34e22b6c432faf2630e5a?fm=entry_awp
それ程必要とされた協力関係は文武天皇の時に壊れます)
ともあれ、高句麗との関連の一部をみてみます。
⊿安鶴宮跡-大矢田神社-高市山
大矢田神社→安鶴宮跡
Ⅰ294°58′48.23″ Ⅱ108°16′27.53″ Ⅲ1,052,048.968(m)
安鶴宮→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
高市山→大矢田神社
Ⅰ26°11′20.95″ Ⅱ206°53′03.31″ Ⅲ251,858.132(m)
大矢田神社での角度
294°58′48.23″-206°53′03.31″=88°05′44.92”≒88.0958度
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-108°16′27.53″=13°37′31.07”≒13.6253度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°11′20.95″=78°27′58.34”≒78.4662度
⊿安鶴宮跡-喪山天神社-高市山
喪山天神社→安鶴宮跡
Ⅰ295°03′56.61″ Ⅱ108°21′33.73″ Ⅲ1,053,078.315(m)
喪山天神社→高市山
Ⅰ207°07′58.51″ Ⅱ26°26′10.50″ Ⅲ250,339.262(m)
安鶴宮→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
喪山天神社での角度
295°03′56.61″-207°07′58.51″=87°55′58.10”≒87.9328度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°26′10.50″=78°42′12.40”≒78.7034度
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-108°21′33.73″=13°32′24.87”≒13.5402度
ちょっと直角より小さいですが、まだまだいろいろ関連づけられそうです。
また、安鶴宮跡から高市山、糸魚川の距離は同じくらいになりそうです。
安鶴宮跡-高市山-糸魚川一宮・天津神社
糸魚川一宮・天津神社
北緯37度02分24.45秒 東経137度51分51.12秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370224.45&l=1375151.12
奴奈川神社
北緯37度03分20.16秒 東経137度54分10.77秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370320.16&l=1375410.77
姫川河口
北緯37度02分29.37秒 東経137度49分51.55秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370229.377&l=1374951.55
安鶴宮跡→糸魚川一宮・天津神社
Ⅰ98°14′18.79″ Ⅱ285°40′23.08″ Ⅲ1,078,814.743(m)
⊿安鶴宮跡-姫川河口-高市山
安鶴宮跡→姫川河口
Ⅰ98°16′24.32″ Ⅱ285°41′14.80″ Ⅲ1,075,928.873(m)
高市山→姫川河口
Ⅰ26°24′16.88″ Ⅱ207°40′09.83″ Ⅲ438,008.332(m)
安鶴宮跡→高市山
Ⅰ121°53′58.60″ Ⅱ307°43′22.61″ Ⅲ1,073,337.716(m)
安鶴宮跡での角度
121°53′58.60″-98°16′24.32″=23°37′34.28”≒23.6262度
高市山での角度
360°-307°43′22.61″+26°24′16.88″=78°40′54.27”≒78.6817度
姫川河口での角度
285°41′14.80″-207°40′09.83″=78°01′04.97”≒78.0180度