石舞台古墳の位置
二上山(大津皇子墓)、石舞台古墳、三輪山頂
三輪山の位置
二上山・大津皇子墓
石舞台古墳→三輪山頂
①26.1444度 ②206.167度 ③8.426063km
石舞台古墳→二上山・大津皇子墓
①295.782度 ②115.698度 ③14.99804km
三輪山頂→二上山・大津皇子墓
①266.564度 ②86.4581度 ③17.24925km
石舞台古墳での角度
360-295.782+26.1444=90.3624度
二上山・大津皇子墓
115.698-86.4581=29.2399度
三輪山頂での角度
266.564-206.167=60.397度
明らかに、正三角形を二等分した、辺の長さが2:1:√3の直角三角形になります。
(少しだけ誤差があるようです。角度を全部足すと180度にすこしたりません。どおって事もありません)
石舞台古墳
北緯34度28分1秒、東経135度49分34秒
北緯34.46685度、東経135.826139度
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342801&l=1354934
三輪山頂
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343206&l=1355200
二上山・大津皇子墓
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343132&l=1354043
蘇我入鹿は高市皇子(天皇)がモデルになっている部分があります。
又、蘇我馬子の崩年626年は天武天皇の崩年686年の一干支・60年前ですから、
馬子のモデルには天武天皇の部分があるということにもなります。
しかし、蘇我馬子は入鹿の祖父になるわけですから、高市皇子の祖父、天武天皇の父が該当するのが筋です。
しかし、「記・紀」では親子の混同はよくみられます。
天武天皇は大津皇子の父でもありますから、大津皇子と石舞台古墳が結びつくならば、石舞台古墳はもともとは天武天皇陵だったといえます。
ではなぜ、石舞台古墳はむき出しになっているのでしょうか。
それは改葬されているからです。
天武天皇改葬の記事はないではないかと思われるかもしれませんが、天武天皇がモデルと考えられる、ちょうど100年前にあたる敏達天皇の改葬は記述されています。
だから天武天皇は改葬されているはずです。
ちょっと強引に進めましたが、文章ばかりでは味気ないうえに、考えた順どおりだと説明が難しいところがいろいろあり、順番を変えてみたということもあります。
いずれはっきりするかもしれない、と淡い希望を抱いております。
二上山(大津皇子墓)、石舞台古墳、三輪山頂
三輪山の位置
二上山・大津皇子墓
石舞台古墳→三輪山頂
①26.1444度 ②206.167度 ③8.426063km
石舞台古墳→二上山・大津皇子墓
①295.782度 ②115.698度 ③14.99804km
三輪山頂→二上山・大津皇子墓
①266.564度 ②86.4581度 ③17.24925km
石舞台古墳での角度
360-295.782+26.1444=90.3624度
二上山・大津皇子墓
115.698-86.4581=29.2399度
三輪山頂での角度
266.564-206.167=60.397度
明らかに、正三角形を二等分した、辺の長さが2:1:√3の直角三角形になります。
(少しだけ誤差があるようです。角度を全部足すと180度にすこしたりません。どおって事もありません)
石舞台古墳
北緯34度28分1秒、東経135度49分34秒
北緯34.46685度、東経135.826139度
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342801&l=1354934
三輪山頂
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343206&l=1355200
二上山・大津皇子墓
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343132&l=1354043
蘇我入鹿は高市皇子(天皇)がモデルになっている部分があります。
又、蘇我馬子の崩年626年は天武天皇の崩年686年の一干支・60年前ですから、
馬子のモデルには天武天皇の部分があるということにもなります。
しかし、蘇我馬子は入鹿の祖父になるわけですから、高市皇子の祖父、天武天皇の父が該当するのが筋です。
しかし、「記・紀」では親子の混同はよくみられます。
天武天皇は大津皇子の父でもありますから、大津皇子と石舞台古墳が結びつくならば、石舞台古墳はもともとは天武天皇陵だったといえます。
ではなぜ、石舞台古墳はむき出しになっているのでしょうか。
それは改葬されているからです。
天武天皇改葬の記事はないではないかと思われるかもしれませんが、天武天皇がモデルと考えられる、ちょうど100年前にあたる敏達天皇の改葬は記述されています。
だから天武天皇は改葬されているはずです。
ちょっと強引に進めましたが、文章ばかりでは味気ないうえに、考えた順どおりだと説明が難しいところがいろいろあり、順番を変えてみたということもあります。
いずれはっきりするかもしれない、と淡い希望を抱いております。