古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

桓武五芒星の中の交野

2012年03月08日 09時51分47秒 | Weblog
以前にも、天智天皇の五芒星とか、桓武天皇の五芒星、また明治天皇伏見桃山陵の五芒星を検討しました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/89cc661c76c06c11ea4baa642c707135
天智陵の五芒星を桓武陵に変えてみました  2011年12月13日

が、この五芒星の中の五角形に何があるのかわかりませんでした。
今みますと、この五角形の中に交野市がスッポリ納まっています。
その他の市は少しずつ食い込んでいますが、交野市だけは全部収まっています。

桓武五芒星を囲んでいる大きな五角形は、例の伊勢神宮・内宮、元伊勢、伊弉諾神宮、伊吹山、熊野本宮大社の五芒星の中の五角形です。






桓武天皇の〈行幸交野。放鷹遊獵。〉〈祀天神於交野柏原〉というのも、こういうわけだったからではないでしょうか。

続日本紀における交野の記事は、元明、光仁天皇に一つずつ見られますが、ほとんどは桓武天皇の時代のことです。

http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/syokuki/syokuki.html

以下、ここで交野を検索しただけです。

元明天皇
『続日本紀』巻五和銅四年(七一一)正月丁未丙午朔二
四年春正月丁未。始置都亭驛。山背國相樂郡岡田驛。綴喜郡山本驛。河内國交野郡楠葉驛。攝津國嶋上郡大原驛。嶋下郡殖村驛。伊賀國阿閇郡新家驛。

光仁天皇
『続日本紀』巻卅一宝亀二年(七七一)二月庚子十三
庚子。車駕幸交野。

續日本紀卷第卅七起延暦元年正月、盡二年十二月。」右大臣從二位兼行皇太子傅中衛大將臣藤原朝臣繼繩等奉勅撰」今皇帝桓武天皇

『続日本紀』巻卅七延暦二年(七八三)十月戊午十四
戊午。行幸交野。放鷹遊獵。
(交野に行幸、鷹を放って遊猟した)訳は講談社学術文庫、続日本紀。

この間に、「当郡(山城国交野郡)の今年の田租を免じ、・・」とある。

『続日本紀』巻卅七延暦二年(七八三)十月壬戌十八
壬戌。車駕至自交野。(交野から平城京に還られた)

『続日本紀』巻卅八延暦四年(七八五)十一月壬寅十
壬寅。祀天神於交野柏原。賽宿祷也。(天の神を交野の柏原〈大阪府枚方市片鉾本町〉に祀った。前々から行ってきた祈願に対するお礼としてである。)

『続日本紀』巻卅九延暦六年(七八七)十月丙申十七
丙申。天皇行幸交野。放鷹遊獵。以大納言從二位藤原朝臣繼繩別業爲行宮矣。

『続日本紀』巻卅九延暦六年(七八七)十一月甲寅庚戌朔五
十一月甲寅。祀天神於交野。其祭文曰。維延暦六年歳次丁夘十一月庚戌朔甲寅。嗣天子臣謹遣從二位行大納言兼民部卿造東大寺司長官藤原朝臣繼繩。敢昭告于昊天上帝。臣恭膺眷命。嗣守鴻基

『続日本紀』巻四十延暦十年(七九一)十月丁酉戊子朔十
冬十月丁酉。行幸交野。放鷹遊獵。以右大臣別業爲行宮。

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本日はK先生の告別式に出席(参列ですな)してから、勤務。
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