まずいわゆる『太陽の道』が設定されたかもしれません。斎宮跡-伊勢久留麻神社。
それを創ったのはおそらく「天武天皇」か「大津皇子」でしょう。
しかし、高市皇子(天皇)が、天武天皇崩御、伊勢で禊をし帰る途中の、即位直前の大津皇子を殺害し、代わりに天皇位につきます。
元伊勢-伊勢久留麻神社-大斎原-斎宮跡-伊吹山の五角形 は大津皇子の霊を祀るものだったと考えます。
元伊勢-伊勢久留麻神社-大斎原-斎宮跡-伊吹山の五角形
斎宮跡-伊勢久留麻神社の線上の多神社
斎宮跡-伊勢久留麻神社の線上から多神社がずれているように見えます。
ですが、たぶん敷地内です。現在はそうでないかもしれませんが、敷地内だったはずです。
ところが、高市皇子(天皇)崩御後、文武天皇は不比等に殺害されます。
不比等は天皇位に就くつもりはなかったものの、結局子孫は王位に就くことになってしまいます。
天武天皇系は無くなります。
そこで創られたのが新しい五芒星ではなかったかと考えます。
(以前のものは、平城京も平安京も想定されていないはずです。)
天武天皇系の霊を抑えるためのものではないでしょうか。
日本武尊(ヤマトタケル)を『卑怯』と非難しているのはそのためです。
《小碓命【こうすのみこと・ヤマトタケル)→高市(コウチとも読める)】が大碓命【(おおうすのみこと)→おーすのみこ→おーつのみこ)】を殺したのが卑怯な方法だったと非難することによって、その後の王位の奪取を正当化したのではないでしょうか。ヤマトタケルは非難されているにもかかわらず、後世の人のなかには、どんなに卑怯でも勝てばいい、と勘違い・読み違いをした人たちがいます。ですが、少なくとも、最初はヤマトタケルは批判されていたと考えています。》
藤原宮跡
平城宮跡
京都御所
ご覧のように、伊吹山-元伊勢の直線に対し、熊野からほぼ真北の藤原宮、平城宮、京都御所はそれぞれ二等辺三角形になります。
ピッタリ真北ではありませんし、宮以外の適した位置があるかもしれませんが、遷都という観点からは有効でしょう。
ただし、京都御所は元々はもっと西側だったようですから、どういうことなのかわかりません。
伊吹山-元伊勢-藤原宮は二等辺三角形でも正三角形ではないか、・・・。
ただし、以前にやったように、藤原宮ではなく多神社のほうが正三角形に近くなるようです。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b4a278cf5275933369a5265e07226b19
藤原宮にした場合
今回は耳成山でやってみました。
伊吹山-元伊勢・外宮(豊受大神社)
①269.507度 ②88.7805度 ③113.6598km
伊吹山→元伊勢・内宮(皇大神社)
①271.049度 ②90.3239度 ③113.334km
耳成山→伊吹山
①28.4179度 ②208.762度 ③114.2945km
耳成山→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①329.058度 ②148.684度 ③115.2558km
耳成山→元伊勢・内宮(皇大神社)
①329.957度 ②149.584度 ③117.7243km
耳成山-伊吹山-元伊勢・外宮(豊受大神社)で考えた場合
耳成山での角度
360-329.058+28.4179=59.3599度
伊吹山での角度
269.507-208.762=60.745度
元伊勢・外宮(豊受大神社)での角度
148.684-88.7805=59.9035度
平城宮にした場合
第一次大極殿にしました。
第一次大極殿(平城宮)-伊吹山-元伊勢
第一次大極殿→伊吹山
①34.4959度 ②214.847度 ③97.8167km
第一次大極殿→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①323.574度 ②143.205度 ③98.10397km
第一次大極殿での角度
360-323.574+34.4959=70.9219度
伊吹山での角度
269.507-214.847=54.66度
元伊勢・外宮(豊受大神社)での角度
143.205-88.7805=54.4245度
五社神(ごさし)古墳で以前やりました
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/e2fe70828cc7a3ffe3beda4005aa1aa2
京都御所にした場合
賀茂御祖神社でやりました。元伊勢・内宮(皇大神社)のほうが数値が近くなります。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ・下鴨神社)→伊吹山
①53.5159度 ②233.880度 ③71.27809km
賀茂御祖神社→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①305.830度 ②125.471度 ③69.48911km
賀茂御祖神社→皇大神社(元伊勢・内宮)
①307.978度 ②127.621度 ③71.06671km
京都御所→伊吹山
①52.9957度 ②233.366度 ③72.99147km
京都御所→元伊勢・内宮(皇大神社)
①309.438度 ②129.087度 ③71.2627km
京都御所→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①307.328度 ②126.976度 ③69.61729km
賀茂御祖神社-伊吹山-皇大神社(元伊勢・内宮)
賀茂御祖神社での角度
360-307.978+53.5159=105.5379度
伊吹山での角度
271.049-233.880=37.169度
元伊勢・内宮(皇大神社)での角度
127.621-90.3239=37.2971度
辺の比が5:4:3になる直角三角形の角度に極めて近い
asin(0.8)=53.13010235415599・・賀茂御祖神社での角度を半分・・52.76895度
asin(0.6)=36.86989764584402
京都御所-元伊勢・内宮(皇大神社)-伊吹山
京都御所での角度
360-309.438+52.9957=103.5577度
元伊勢・内宮(皇大神社)での角度
129.087-90.3239=38.7631度
伊吹山での角度
271.049-233.366=37.683度
賀茂御祖神社の方が形がいいです。
・・・・・・・
7/4日曜日
従兄弟たちと三保松原の叔母の見舞いに行きました。
富士山は見えませんでした。
帰りは事故渋滞。
足柄PA(SAの間違い)でツバメの巣。上り,下りのどちらにもありました。
清水港で富士山が見えるはずの方向
それを創ったのはおそらく「天武天皇」か「大津皇子」でしょう。
しかし、高市皇子(天皇)が、天武天皇崩御、伊勢で禊をし帰る途中の、即位直前の大津皇子を殺害し、代わりに天皇位につきます。
元伊勢-伊勢久留麻神社-大斎原-斎宮跡-伊吹山の五角形 は大津皇子の霊を祀るものだったと考えます。
元伊勢-伊勢久留麻神社-大斎原-斎宮跡-伊吹山の五角形
斎宮跡-伊勢久留麻神社の線上の多神社
斎宮跡-伊勢久留麻神社の線上から多神社がずれているように見えます。
ですが、たぶん敷地内です。現在はそうでないかもしれませんが、敷地内だったはずです。
ところが、高市皇子(天皇)崩御後、文武天皇は不比等に殺害されます。
不比等は天皇位に就くつもりはなかったものの、結局子孫は王位に就くことになってしまいます。
天武天皇系は無くなります。
そこで創られたのが新しい五芒星ではなかったかと考えます。
(以前のものは、平城京も平安京も想定されていないはずです。)
天武天皇系の霊を抑えるためのものではないでしょうか。
日本武尊(ヤマトタケル)を『卑怯』と非難しているのはそのためです。
《小碓命【こうすのみこと・ヤマトタケル)→高市(コウチとも読める)】が大碓命【(おおうすのみこと)→おーすのみこ→おーつのみこ)】を殺したのが卑怯な方法だったと非難することによって、その後の王位の奪取を正当化したのではないでしょうか。ヤマトタケルは非難されているにもかかわらず、後世の人のなかには、どんなに卑怯でも勝てばいい、と勘違い・読み違いをした人たちがいます。ですが、少なくとも、最初はヤマトタケルは批判されていたと考えています。》
藤原宮跡
平城宮跡
京都御所
ご覧のように、伊吹山-元伊勢の直線に対し、熊野からほぼ真北の藤原宮、平城宮、京都御所はそれぞれ二等辺三角形になります。
ピッタリ真北ではありませんし、宮以外の適した位置があるかもしれませんが、遷都という観点からは有効でしょう。
ただし、京都御所は元々はもっと西側だったようですから、どういうことなのかわかりません。
伊吹山-元伊勢-藤原宮は二等辺三角形でも正三角形ではないか、・・・。
ただし、以前にやったように、藤原宮ではなく多神社のほうが正三角形に近くなるようです。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b4a278cf5275933369a5265e07226b19
藤原宮にした場合
今回は耳成山でやってみました。
伊吹山-元伊勢・外宮(豊受大神社)
①269.507度 ②88.7805度 ③113.6598km
伊吹山→元伊勢・内宮(皇大神社)
①271.049度 ②90.3239度 ③113.334km
耳成山→伊吹山
①28.4179度 ②208.762度 ③114.2945km
耳成山→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①329.058度 ②148.684度 ③115.2558km
耳成山→元伊勢・内宮(皇大神社)
①329.957度 ②149.584度 ③117.7243km
耳成山-伊吹山-元伊勢・外宮(豊受大神社)で考えた場合
耳成山での角度
360-329.058+28.4179=59.3599度
伊吹山での角度
269.507-208.762=60.745度
元伊勢・外宮(豊受大神社)での角度
148.684-88.7805=59.9035度
平城宮にした場合
第一次大極殿にしました。
第一次大極殿(平城宮)-伊吹山-元伊勢
第一次大極殿→伊吹山
①34.4959度 ②214.847度 ③97.8167km
第一次大極殿→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①323.574度 ②143.205度 ③98.10397km
第一次大極殿での角度
360-323.574+34.4959=70.9219度
伊吹山での角度
269.507-214.847=54.66度
元伊勢・外宮(豊受大神社)での角度
143.205-88.7805=54.4245度
五社神(ごさし)古墳で以前やりました
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/e2fe70828cc7a3ffe3beda4005aa1aa2
京都御所にした場合
賀茂御祖神社でやりました。元伊勢・内宮(皇大神社)のほうが数値が近くなります。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ・下鴨神社)→伊吹山
①53.5159度 ②233.880度 ③71.27809km
賀茂御祖神社→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①305.830度 ②125.471度 ③69.48911km
賀茂御祖神社→皇大神社(元伊勢・内宮)
①307.978度 ②127.621度 ③71.06671km
京都御所→伊吹山
①52.9957度 ②233.366度 ③72.99147km
京都御所→元伊勢・内宮(皇大神社)
①309.438度 ②129.087度 ③71.2627km
京都御所→元伊勢・外宮(豊受大神社)
①307.328度 ②126.976度 ③69.61729km
賀茂御祖神社-伊吹山-皇大神社(元伊勢・内宮)
賀茂御祖神社での角度
360-307.978+53.5159=105.5379度
伊吹山での角度
271.049-233.880=37.169度
元伊勢・内宮(皇大神社)での角度
127.621-90.3239=37.2971度
辺の比が5:4:3になる直角三角形の角度に極めて近い
asin(0.8)=53.13010235415599・・賀茂御祖神社での角度を半分・・52.76895度
asin(0.6)=36.86989764584402
京都御所-元伊勢・内宮(皇大神社)-伊吹山
京都御所での角度
360-309.438+52.9957=103.5577度
元伊勢・内宮(皇大神社)での角度
129.087-90.3239=38.7631度
伊吹山での角度
271.049-233.366=37.683度
賀茂御祖神社の方が形がいいです。
・・・・・・・
7/4日曜日
従兄弟たちと三保松原の叔母の見舞いに行きました。
富士山は見えませんでした。
帰りは事故渋滞。
足柄PA(SAの間違い)でツバメの巣。上り,下りのどちらにもありました。
清水港で富士山が見えるはずの方向