槍と銃剣

近世西洋軍事と日々の戯言&宇宙とか色々

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行軍速度

2005年09月26日 14時49分13秒 | 大北方戦争+軍事史
この時代の(近世欧州17世紀中葉~18世紀前半)平均的な1日行程は5マイル(8km)以下であった。
などと書くと、マジですかと思うかもしれない。
ちなみに1日行程とは、24時間以内の行軍行程のこと。

現在では、ごく普通の状況のもとでは、徒歩による1日の標準行程は25ないしは30kmである。
つまり、一番最初の言葉が正しければ、
近世欧州陸軍は現代の1/3~1/4の速度でしか動けないことになってしまう。
しかし事実である。例を挙げよう。

例えばオイゲン公子は、1706年6月から9月にかけてイタリア戦線において、大規模な行軍を実施した。彼は最終的に225マイルを約60日間で行進することに成功したが、その平均1日行程は3.75マイル(6km)でしかなかったのである。

また、1704年にバイエルン救援に向かったフランスのタラール元帥も200マイルを36日で踏破する行進を行っている。これは、当時としては意欲的な行軍だった。彼はその行軍により、数的優勢を持ってマールバラ公とオイゲン公子の軍の後方連絡線を脅かすことに成功した(もっともブレンハイムの敗北ですべてを失ったが)。しかし彼のこの行軍は、軍を大きく疲弊させた。計算するとこの時の彼の平均1日行程は5.6マイルであり、現代の感覚からすれば大した速度ではないにもかかわらず、歩兵は疲れ果て、馬の多くは病気にかかったと記録されている。

一方、マールバラ公は、1704年の5月から6月の間に、オランダからドナウ河にむけての見事な行軍を行い、戦史上まれにみる見事な行軍と称されている。彼は250マイルを約5週間で行軍した。タラールとは違い、マールバラの軍は、行軍が終わった後も良好な状態を保っていたとされている。

上の事例は、長距離行軍の中でも「見事」と称されたものであり、強行軍として分類される。しかしそれですら、平均1日行程は5マイル少しであり、当時において「電撃的偉業」と称されたマールバラの行軍ですら、その値は、7~8マイル(11.5km)でしかなかった。(有坂氏の著作では1日平均12マイルと載っているが、これはkmの誤りではないだろうか?)

これらの事例から考えて平均的な1日行程が5マイル(8km)以下であったことはほぼ間違いないだろう。
そして1日に10マイル(17km)進むということは、強行軍であってすらもまれだったのである。

なお私が大好きなカール12世は、1705年から1706年にかけて、冬のグロノド近辺で平均の1日行程10~11マイル(16~18km)、総移動距離180~190マイルの行軍を行って、ロシア軍の後方連絡線を脅かし、撤退に追い込んでいる。タラール元帥とほぼ同じ距離を、倍の速度で移動して、しかも戦わずして敵に拠点を放棄させている。まぁ会戦を生起させないことを目的とする機動戦の典型的例だろう。

更に言えば、マールバラ公の行軍はライン河の支援と、良好な気候と豊かな土地に立脚して行われたのに対し、カール12世の行軍は、真冬の痩せこけた土地で行われ、しかも河川を利用した物資輸送の支援も欠いていた。 とは言い過ぎか……。
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