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per l/a psicoanalisi

転移の舞台~Intermezzo~

2015-05-18 23:59:00 | Essay
★20150518のTwitterへの投稿(あえて文体そのままです)


ラカン神学で同意出来るのは、ジュイッサンスの楽園追放されて欲望してます、ぐらい。楽園追放されてから、法と原因の区別がつかないの。

表象の彼岸に措定される現実性 Realität、心的現実、もうひとつ別の現実がそもそもフロイト的な発見にあったの。主体と対象の分裂とも言えると思うの。あるいは、存在の苦悩?

フロイトは“別の舞台”とも表現していたの。


主体のパロールには、知られていない“別の舞台”からのメッセージが含まれているの。文字はあくまでも代理では?

フロイト的な表象は、自我にも対象にもリビードが備給されている。ラカンはそれを構造論的な分裂として読み換えていたの。主体S/ と対象a。あえて言えば、“表象システム”がシニフィアン連鎖、“別の舞台”が無意識の主体S/ と対象a のこと。


主体が語ろうとしていること、言わんとしていることは、この“別の舞台”が問題になっているの。イタリア語で言えば、dire=言うことではなく、voler dire=言わんと欲することなの。ちなみに、voler dire は慣用的に用いると significare=意味するということでもある。

volere=欲する時点で、自我分裂 Ich-Spaltung 被る。こう考えると、表象システムの観念連合と構造システムの分裂による主体と対象は区別できると考えられるの。つまり、欲する時点で何か躓きがあるの。

また、表象システムは無意識の一次過程(快原理)、構造分裂システムは無意識の二次過程(現実原理)と呼べる。


ちなみに、精神分析はこういったことを実際に“経験”しないと何の意味もないの。お勉強して何か分かった気になるのは、全く精神分析の実践とは違うの。


◆別の舞台と「不在」や「穴」の経験

フロイトの表現した「別の舞台」は、ラカン的には「大他者の欲望」ね。でも、それにも「欠如」があるということを、分かった気にならないで、心底納得いくまで“経験”すること。これが精神分析の醍醐味ね。

表象の問題のみなら観念でやれるかもしれない。でも現実的なことは、情動や情緒的な問題も絡むのよ。

ラカンにせよフロイトも、ある理論が正しくてある理論が間違えというのは浅はか。主体はその時々で、向き合っている問題が違うの。


【フロイト推奨文献】

『欲動とその運命』(1915)
『快原理の彼岸』(1920)