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per l/a psicoanalisi

Altissima Povertà

2018-06-05 15:00:19 | Agamben アガンベン
(ページ数は原著より)

「生-の-形式、即ち、法の捕捉から完全に逃れたある人間的な生、身体の、そしてもはや横領の中に実体化されない世界の使用を、どう考えるか? もはや固有性を生じないが、しかしある共通の使用に関することのような生を、どう考えるか?」pp.9-10

「住むことは要するに、修道士たちにとって単に、ある場や衣服を共有することを意味するだけでなく、むしろ habitus のそれらである。この意味で、修道士は《住むこと abitare》の様式の上に生きる人間であり、つまりある規則と生の形式に従っている。」p.27

「“habitus”の用語の二つの意味を分割する距離はしかし、決して完全に消えないだろうし、いつまでもその両義性によって修道士の状態の定義を示すだろう。」p.27

「修道士の理想は時間を通した存在の完全な動員のそれであるということと、より明らかな仕方で言われえないだろう。」p.35

「教会の典礼が、仕事と休暇から祭式〔聖務〕の祝賀を分割する一方で、Cassiano の "Istitizioni" の引用した行において明らかなように、修道士の規則は、“opus Dei 神々の業”の区別不可能な部分として世話〔保護〕の仕事を考慮する。」p.35

「…修道士の計画はそれに引きかえより正確には、時間を通した生の聖化として定義されうる。」p.36

「そしてもし私たちが今日、私たちの存在を時間や時間割により分節化し、また私たちの内的生をも同質的な線形的時間の経過として、そして倫理的な諸基準や推移の諸連関により測るべき具体的で異質な統一性の交替としてではなく見做すことに完全に慣れているなら、しかしながら、時間と生が初めて親密に殆ど同時に生起するまで重ね合わされたのは、修道院の horologium vitae においてであることを、私たちは忘れるべきではない。」p.37


「諸規則のテクストの検討は、それら〔諸規則〕は法の領域に関して少なくとも矛盾した姿勢を現すことを示す。」p.42

p.46-Non si potrebbe

p.47-In questo senso,

p.48-L'analogia


«La regola, il cui modello è il Vangelo, non può quindi avere la forma della legge ed è probabile che la scelta stessa del termine “regula” implicasse una contrapposizione alla sfera del comandamento legale.» p.63
「(そのモデルが福音書である)規則はしたがって、法の形式を持ちえず、また “regula” という用語の同様の選択は法的命令の領域への対抗をおそらく含んでいる。」

«La “nova lex” non può avere la forma della legge, ma, come “legula”, si avvicina alla stessa forma della vita, che guida e orienta (...).» p.63
「“新しい法 nova lex”は法の形式を持ちえなく、しかし“規則 legula ”として、(導き指導する)生の同様の形式に近づく。」


“l'assimilazione a dio è virtualmente un esilio.” (Filone)
「神への同化は、潜在的には追放〔亡命〕である。」(フィロン)

«L'«esilio dal secolo» è, innanzitutto, un gesto politico, che, in Filone e in Ambrogio, equivale alla costituzione di una nuova comunità.» p.68
「《世俗からの追放》は、まずもって、フィロンにおいて、またアンブロジウスにおいて新しいコミュニティの構築に等しい政治的身振りである。」
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