伝統
伝統とは、過去のキリスト教的遺産のすべてが押し込まれた押し入れではない。それは、常に新しい様相を呈する歴史を貫く信仰の遺産の伝承である。そのギリシア語の語源(パラドシス)によれば、伝統とはまさしく伝承を意味する。それは何よりも、使徒たちが伝えたキリストの教えの伝承である。初期のキリスト者たちは、殉教の血によってこの伝統を彩った。
二世紀に入ると、エイレナイオスは、グノーシス主義者たちが自分たちの創始者たちに結び付けてきた様々な伝統の多様性に対して、教会に中で受け入れられた使徒的伝承の唯一性を主張した。彼が使徒的伝承に与えた定義は、第一に、使徒よりの教会の中で絶えることのなかった司教の継承、第二に信仰規則と聖書解釈との一致であった。
四世紀になると、キリスト論と三位一体論に関する異端の顕在化と共に、伝統概念は新たな展開を見せた。まず伝統という言葉は、聖書には直接含まれていないが、公会議によって受け入られた教えを指すようになった。
アタナシオスとアウグスティヌスは、それぞれ、異教徒とペラギウス主義に対抗する目的で伝統に訴えた。聖書の他に、教父たちの教えが準拠されるべきものとして伝統の概念に加えられていった。ただし、教父たちの権威が聖書の権威に劣るのは言うまでもない。
五世紀になると、レランスのヴィンセンチウスが、その『勧告』の中で、伝統の基準を定めた。それは、普遍性、古代性、一致である。彼は次のように書いている。「我々は、あらゆる所で、常に、すべての人々によって信じられてきたものを保持している」と。
このようにして伝統概念は、時の流れの中で発展し、使徒よりの信仰を生き生きと保持し、キリスト者は伝統を通して、確実な信仰に達するのである。
秘蹟
テルトゥリアヌスが秘蹟(sacramentum)という言葉を考案したわけではないが、彼はその言葉を根本的に新たにした。
その言葉がどのようにして、軍役の誓いという異教的な意味から、神秘、隠された真理というキリスト教的な意味に移ったかは、わからない。おそらく秘蹟という言葉は、ギリシア語のミュステーリオン(mysterion)の翻訳であったに違いない。
語彙の大家であったテルトゥリアヌスは、その秘蹟という言葉の二つの意味を上手に使って、洗礼を信仰の秘蹟と定義している。すなわちその秘蹟とは、キリストの軍隊に加わる誓いであり、洗礼志願者がその手ほどきを受けた隠された真理を表わしている。
テルトゥリアヌスがキリスト教の秘蹟という言葉を使うとき、彼は、教会の真理、すなわち、神が隠された真理の総体を人類に伝えた啓示を指している。