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徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー 石川みゆき、ゲスト:きたやまおさむ(精神科医)、富澤一誠(音楽評論家)

2021-09-25 09:54:12 | 連絡
◇「徳さんの千客万来」ゲスト:きたやまおさむ&富澤一誠
「帰ってきたヨッパライ」「戦争を知らない子供たち」「風」「あの素晴しい愛をもう一度」など、あの名曲たちの制作裏話を当時の空気感と共に本人が語ります~
音楽評論家の富澤さんはきたやまさんに心酔しており、自由な歌詞、そして数々のヒット曲を生み出すきたやまさんになりたかったほど。
きたやまさんは、アマチュア時代も含め約3年半くらい活動、その後、約3年作詞活動を経て、精神科医として深層心理学を専門に医師としても活動。ただ、患者と立ち会ったり責任重大な医師の仕事と音楽活動との両立は予想以上に厳しく、一時期は、医師としての活動に専念していました。そんなきたやまさん、徳光さんから見ても今でも若々しい様子で、本人曰くラジオなどに呼ばれたりするのが楽しくそれが若さの秘訣になっているとのこと。
きたやまさんが作詞した曲について詳しくお伺いしました。
「オラは死んじまっただー」の歌詞が印象に残る「帰って来たヨッパライ」は、早送りした高い声を使用し、しかもその録音は当時では珍しくきたやまさんの自宅で行われました。
もともと内輪で自主制作した曲で、何枚売らなきゃといった使命感などがなく、面白い曲をただ作ったのでそれがヒットにつながったとのこと。また自らラジオ曲に売り込んで放送してもらったことでさらに大ヒット曲になり、今でも耳にする曲となったわけです。
歌詞の内容についても、放送内で細かく語っていただいております。
他にも、反戦歌として知られている「戦争を知らない子どもたち」についても、たくましさを感じさせるような曲ではなく、臆病さ、逃げ出したい気持ちを伝えたかったようです。本の中では”炭鉱に持ち込まれたカナリア”と例えられており、怖いことが起こると何処かに行ってしまうような臆病さがこの世の中では一番大事にされるべきというメッセージがこの歌には込められています。
その他、今の若い人に向けてのメッセージや、深層心理学についてもお話いただきました。
radikoタイムフリーでお聴きください。
https://radiko.jp/share/?sid=LFR&t=20210925063848
 
きたやまおさむさん出演の「あの素晴しい歌をもう一度コンサート2021」詳細はニッポン放送のイベントページをから
https://event.1242.com/event1/2350


徳光和夫、
徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年(昭和16年)3月3日〈戸籍上は3月10日〉 -80歳 )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元日本テレビアナウンサー。本名:德光 和夫(読み同じ)。
日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長等の肩書きも持つ。

 

石川みゆき、
石川 みゆき(いしかわ みゆき、1960年6月16日[1] - 61歳)は、フリーアナウンサー。現性:石井。
 2008年7月に設立された、古巣のニッポン放送の子会社である、エル・ファクトリーと業務提携を結び、以降はニッポン放送の番組を中心に活躍中。 



 
ゲスト:

きたやまおさむ(精神科医)、
北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 -75歳 )は、日本の精神科医、精神分析家[1]、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。九州大学名誉教授。白鴎大学学長。専門は臨床精神医学、精神分析学。元日本精神分析学会会長。

富澤一誠(音楽評論家)
富澤 一誠(とみさわ いっせい、1951年4月27日 - 70歳)は、日本の音楽評論家。
1951年、長野県須坂市生まれ[1]。長野県長野高等学校を卒業[2]。1970年に東京大学文科三類に入学するがすぐに中退[1]。歌手を志したが挫折し、1971年、20歳から音楽評論活動に専念するようになった[1]。現在、学校法人尚美学園副校長に就任。
 
 

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