GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 JIROの脱退騒動④

2009-04-01 | JIROの脱退騒動



 GLAYは人気商売のバンドなのだろうか。自分がやりたい音楽はこういうことなのだろうか。夢を失ったGLAYにいていいのだろうか。

 JIROがそんなSOSを最初に発信したのは、GLAYのメンバーではなかった。仙台のコンサートの最中だった。相手は、音楽雑誌の編集部でGLAYを担当していた女性編集者だった。その時は、すでに仕事を辞めていた。


●バンドを抜けたい

 「このイライラ感は何だろうとずっと考えていたんですよ」とJIROは話す。

 「それが全て自分が仕掛けたもので、それが失敗だったのかもしれないと思うようになったんですね。自分で引っ張り出したことだったから、バンドのメンバーにも話すこともできなくなっていましたね」

 こういうことだったとも推測できないだろうか。GLAYの人気商売的側面を自分が担ってしまっている。それを取り戻すのも、自分のやらなければいけないことだと思い込んでしまったとしたら――。

 そして、そうやって自分が提案したツアーコンセプトが失敗だったとしたら――。ツアーは始まってしまっている。今さら自分からは言い出せないだろうし、自分を責めるしかなくなる。

 JIROは、彼女と電話で話している中で「バンドを抜けたい」と言った。動転した彼女はそのことをリーダーには言ったのかと確かめ、話していないことを聞くと、電話でTAKUROに直接その話をした。

 それを聞いたTAKUROは、彼女に「もし彼が抜けるとしたらバンドは解散すると思う。でも、JIROは一生そのことを背負っていかないといけないことになるよ」と言った。

 「とんでもないことが起きようとしている」と、彼女はクルマを運転して仙台に向かった。深夜であったため、新幹線は走っていない時間だった。

 JIROはこう言う。「さすがにビックリしましたよ。いきなりノックされて。そんなことそれまでなかったですから。その日は相当変だったんでしょうね。煮詰まっていたし、長い電話だった。これはただごとじゃないって思ったんでしょうね」


●この人しかいない

 彼女とは、すでに6年間の付き合いがあった。音楽雑誌でGLAYの撮影があった時に新人として手伝いに来ていたのが彼女だった。

 彼らがデビューした時と彼女がその編集部に配属になったのは、ほぼ同じ時期だった。つまり、バンドと編集者というキャリアを同じ時にスタートさせている。彼にとっては「仕事もできるし、尊敬できる相手」だった。

 歌の文句のような言い方をすれば、男には2つのタイプがある。愛する相手には自分のやることに一切口を出させないタイプと、尊敬できる相手と人生を共有したいと思うタイプと。

 JIROは後者だった。彼女とは、「GLAYのスタッフだったらどんなに楽だろう」と思うほどの信頼関係ができ上がっていた。

 それでも、結婚という選択は考えたことがなかった。編集者とバンド。それぞれのフィールドがありつつ、お互いを尊重しながら仲良くやっていける相手。ただ、ハンディは当然ながら彼女のほうが大きかったはずだ。

 街で「アンタJIROの何のなのよ」と、それこそ歌の文句のようにすごまれたこともある。それを彼には一切言わなかった。JIROがファンの対して不快な感情をもつことのないようにという配慮だ。

 バンドのメンバー以外は誰にも言えない時期も経験している。週刊誌が追うようになってからは、他のアーティストのマネージメントから露骨な嫌味を言われたりもしていた。仕事を辞めたのも、そういうことが影響していた。

 「この人しかいないと思ったんですね。ギリギリのところで話すネガティブなことも真剣に受け止めて的確なことを返してくれる。ずっとそうだったよなって」

 金沢でのことはスタッフの間でも情報が伝わっていった。東京にいた広瀬利仁の所には、「JIROがステージで泣いた」という情報となってあたかも同時中継の様に入っていた。彼も、何かあればすぐに飛んでいく体勢を整えていた。

 ステージの様子は当然、彼女にも届いた。彼女は再び、深夜にも関わらずクルマで金沢に向かったのだった。

 「すべて繋がっている気がしますね。金沢のファンにはイヤな思いをさせてしまったけど、ここまで強くなれたのはファンのおかげだし。結婚していなかったらどうなっていたかわからない」

 「バンドも辞めていたかもしれないし。あそこで何を守るべきかがわかったんだと思う――」






●GLAYと一緒に幸せになりたい

 
 2001年12月24日。

 JIROは、オフィシャル・ホームページにこんな文章を載せた。



 『結婚しました。

 ボクは、今回の「HEAVY GAUGE」で全てを投げ出したくなった瞬間が何度かありました。自分でも、何に対してモヤモヤしているのかもその時はわかりませんでした。

 そんな無力なボクを励まし、心の支えになってくれた彼女にボクは心底救われてました。なんか、彼女とか家族とかメンバーとか、まずそこからの愛情を深めないとステージに立てない、そんな恐怖心があったんです。

 ボクの大好きなバンドNIRVANAのカート・コバーンは、興奮もしてないのにステージに立ってる自分にうんざりして自殺してしまいました(まあ理由はそれだけじゃないんだけれども)。

 カートと比較するのも失礼な話なんだけど、ボクはそうありたくない。

 ボクはGLAYが大好きです。たぶん、好きな理由はファンのみんなとほとんど一緒だと思うのですが、ボクはGLAYのために努力したいし、GLAYと一緒に幸せになりたい。

 だから、ボクにとっての結婚は、ボクがもっと多くの人を愛したいと思ったからなんです。これからも、みんなでいい夢を見ましょう。』


 
 人生最大の選択。彼がその決断を下したのは、金沢の夜だった。






【記事引用】 「夢の絆 ~DOCUMENT STORY 2001-2002~/田家秀樹・著/角川書店


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