「江部康二の糖質制限革命」読みました。
内容が被っている。
そうでしょうねえ。
糖質制限を語るには、概論はどこかに入れないといけない。
被っているだろうけど、また読んでしまうのだ。
昔、ハーレクインロマンスというシリーズの小説があって。
知人がハマっていた。
おなじようなパターンの恋愛小説だそうで。
ギリシャのミコノス島に、豪華客船が入港してくる。
そのミコノス島の、継母に虐げられている(シンデレラみたいやな)美しい娘が、豪華客船で地中海クルーズを楽しむ富豪と恋に落ちるんだって。
何冊も出たけど、大体、そんな内容。
でも、読んでしまう。
そういえば、その知人とギリシャ旅行をした際、彼女の意見で、ミコノス等に行き、「クレタ島のひみつ」という子供向け冒険小説に心を熱くしたことのある私の意見でクレタ島に行ったんでした。
と、糖質制限者にとっての、「また読んでしまう」本でした。
同じことを書いてある。
そうそう、そうやったな。
緩みかかっている自分の食生活を、またまた反省するのでした。
夏井先生の新しい方の本に、一旦、糖質制限で良いコンディションを手に入れたのに、それを手放して糖質まみれの体に戻りたい人は、そういないだろうと書かれていた。
そこは、夏井先生、自制心があるんやなあと思う。
そういう能力が高い人ほど、社会的に大成するっていうし。
そこは、サボりがちなヘタレとんぼ玉作家と、お医者さまの違いかしらん。(^^;
でも、いくらヘタレでも、戻りたくない。
あのデブで醜くかった頃には。(TT)
いくらヘタレでも戻りたくない。
あのデブで醜くかった頃には。(TT)
↑しつこく繰り返す
あの頃。
既に、高血圧のお薬を飲んでいた。
↑激痛に苦しんだ持病とは別
高血圧のお薬を飲みつつ。
糖質制限を始める直前には、実は、同じ要領のお薬を飲んで、2~3年経過すると、血圧の値が、じりじりと上がり始めていた。
いよいよ、これ、どうする?
なことになりかかっていた。
しかも、体が重かった。
動きも悪い。
頭も働かなくなっていた。
とんぼ玉を作る際に、時々、作りたいものの形をざっと図形にして、サイズを概算したりする。
必ずしも必要ではないんだけど、ガラスの量を、だいたい割り出せると便利だから、時々、そういうこともしていた。
ところが、三角関数を使ったシンプルな計算が、できない。
「あれ?こっちの辺が分母で・・・・・こっちの数字はこっちの・・・・・・あれれれれ、こっちの辺が分母やから・・・・・・」
同じところを何回確認してるねん?
みたいに。
脳ミソに霧がかかったみたいなことになっていた。
若い頃なら、するっと一回で出来た計算に、もたついていた。
ああ・・・・・・。
デブで。
顔も地味で。
性格もめんどくさくて。
動きもヘタレで。
血管硬くて。
頭まで働かんとなったら。
もう、私に取り得は、何もない。(TT)
何も、ない。
このまま、小汚いオバサンから、小汚いおばあさんへ、まっしぐらに落ちて行くんや。
近所のイオンに服を買いに行ったら。
大きいサイズのコーナーで買うか、通常サイズのコーナーが、少しサイズの幅を広げ始めたので、幾分入る物もあって、通常サイズのコーナーの一番大きいので、デザインによっては入る物もあるので、試着して買う。
ジーンズも、相当大きいのを、いくつか試着してみると、入るのもある。
冬場は、そういうジーンズが3枚で、それを順番に機械的に回して履いていた。
セーターも、3~4枚を、くるくる機械的に回して着ていた。
靴は、お決まりのオバサン向けスニーカーで、同じものの2色を、ダメになるたびに、交互に買っていた。
まあ、着る物の楽しみは、微塵も無かったな。
アクセサリーを作りながらも、自分で付けようとか、あんまり思わなかったし。
作品展をしても、作家ですだと、人前に立とうとはあんまり思わなかった。
元は、認知症予防にと思って始めた糖質制限だった。
ダイエット目的ではなかったんです、私の場合。
いろんな人と話していて一致するのは。
40歳を過ぎたころから、何をしても痩せなくなって。
そう、そうなると、水分の変化ですら、500グラムも痩せない。
というか、体重は、じりじりと増え続けているのだ。
そんな日々から、糖質制限で、3キロくらい落ちたんでした。
衝撃でした。
3キロ、落ちた!
これは・・・・・・!
3キロ落ちた。
その頃、やはり、食後の眠気が軽減されるのは、自覚していた。
食後2~3時間後(おやつの時間)の空腹感も来ない。
それはもちろん、お昼ご飯を食べた後、晩ごはんの前でさえ、空腹感がない。
そういう、健康面での変化は、明らかに感じていた。
そして、本気を出してからという物、5カ月ぐらいで、さらに8キロ落とし。
最初の糖質制限から、一年くらいで、トータル16キロ落とした。
その頃には、肋骨が見えて来ていたので、私としては限界だったと思う。
骨太なので、同じBMIの数値でも、体脂肪率は、相当落ちていたと思う。
血液検査で、パーフェクトだと、言われ。
血圧も、下がり始めていた。
あの頃。
イオンの服屋さんのMサイズは、ほぼ全て入った。
年齢相応のコーナーのGパンなどは、足がパツパツなら、ウエストがガバガバだった。
何着ても、一時よりは、ずっと似合うし、試着が楽しくて仕方なかった。
その後かなあ。
SNS用に、自撮りしたら、意外と悲しかった。
痩せても、そこはどうにもならへんなあ。
地味な顔。
と、そんな話を生徒さんにしたら、本人じゃないみたいに、奇跡の一枚を撮ってくれる写真スタジオがあるらしいと、教えてもらった。
メイクがすごくて、直接見たら明らかにヘンなんだけど、写真を撮るとキレイに写る。
本人じゃないみたいに、写るらしい。
じゃ、行ってみようかな。
で、行ってみましてね。
まあ、私にしては、ぼちぼち、きれいに撮ってもらえているかも。
まあ、元が地味やからね。
その帰り道。
メイクは、写真撮りの時から変更してもらって、表を歩いても変じゃないくらいにしてもらって、電車に乗ったんです。
わ~、慣れないメイク。
ヘンじゃない?
でも、その時、視線を感じたんですよね。何度か。
ああ、小汚いオバサンだった頃には、なかった感じ。
へ~。
こんなにやってもエエんや。
鏡を見て思った。
まあ、あれですね。
お魚のムリーニを作る場合に、実物と同じ比率の目にすると、小さくなるようにムリーニを引いて、たまにさあ埋めようかとすると、目が小さすぎる。
縮小されたときに、目やヒレなどは、やや大きめにデフォルメする方が、リアルに見える。
そんな感じ?
そういえば、中村玉緒さんのアイラインはすごいけど、あのアイラインごと、中村玉緒さんやもんな。
松岡茉優ちゃんも、きれいやけど、多分、元の顔はまあまあ地味目。
きれいにメイクしてもらって、ちょっと華やかになってあのくらい。
そう思って、雑誌のモデルさんとかを見ると、メイクの奥に、地顔が見えてくる。
モデルさんの内、すっぴんで文句なしにきれいなのは、多分、1~2割くらい。
他は、けっこう努力でカバーしてはったんやなあ。
と、雑誌を「ムン」と、睨んで、そう思った。
そういう意味では、一切、努力を放棄して生きて来たんやから、まあ、小汚くもなるよなあ。
デブだった頃。
食欲の奴隷(ってタイトルの、ナントカ順子さんのエッセイがあったなあ)だった。
で、翌日から、メイクに目覚めた。
ビューラーで、まつげを立ち上げるようになって、一週間せずに、二重まぶたになった。
さらに一週間で、すっぴんでも、二重まぶたが定着した。
それ以来、ごみ出し以外は、すっぴんでは出かけなくなった。
それが。
5キロリバウンドしたあの日。
まぶたの二重が、崩壊していた。
うわ。
脂肪が、皺を押し上げたんや。
でも、ほうれい線は、押し上げてはくれず。
あごの線に、たるみの凸凹ができていた。
ああ。
これは・・・・・・加齢か?(TT)
あの一年が、私の最後のピークやったんや。
嘆いている間もなく。
デブだったころの服はあらかた処分していたので。
このままでは、手持ちの服が、パツパツやん。
そんなシビアな現実が、目の前に見えてましてね。
いや。
この、手持ちの服を着た時のダサさが、悲しい。
そこで、緊急ダイエットになった訳ですが。
そしたら。
1.5キロ戻しただけで、あごの凸凹は消えた。
良かった。
加齢ではなくて、脂肪だったか。
いや、その無駄な脂肪は、加齢を加速するんだそうだ。
で、そのまま続けていると。
また、ちょっとだけ戻って来ていた食後の眠気と、ごはん前の空腹感が、消えた。
やっぱり、健康面も、影響するよね。
戻りたくない。
あの、壊れきったあの頃には。
再び、そう思ったのです。
そうそう、そういえば。
激痛に苦しんで、仕方なく駆け込んだいつもの病院で、相談の結果、対処療法として別の痛み止めをもらい。
まあ、だましだまし、行けそうで。
そっちのピークは越えたんですけどね。
その病院の待合室で、釜池豊秋さんというお医者さんの書いた「糖質ゼロの食事術」という本が、ぼろぼろになって置かれているのを見つけまして。
↑2007年に出版されていた
あ、聞いたことのある名前!
江部先生と、どっちが糖質制限が先だったか、話題になった人!
それが、こんなにボロボロって。
ここの先生のだれかが、糖質制限の本をこっそり(なのか、堂々なのかは知らんけど)読んではったってこと?
で、手に取って読もうとすると。
サイン本や!
直接、出会ってはったってこと?
どなたの持ち物か、真偽のほどは、確かめてません。
糖質制限って、病院では言ってはいけない禁止ワードなんだと、ずっと思ってきた。
糖質制限教の、隠れた信者だと、ずっと思ってきた。
でも、世の中は、ちょっとだけ変わったのかな。
母の今回の入院。
最初は北播磨総合医療センターで、術後しばらくして、回復期の今の病院に移ったんですけど。
北播磨総合医療センターで、栄養士さんに栄養指導してもらったとき、彼女は「糖質量ハンドブック」(江部先生の本)を手にして話していた。
そこも、おおって、ちょっとチェックを入れてしまった私がいた。
糖質制限。
今までの栄養の理論がまちがっていて、こっちの方が、より正しいことが、じわりと浸透してきている感がするこの頃です。
やっぱり、江部先生が、今回の本でも書かれているように、「常識」が、変わって行く、その変化が、ジワジワと見えつつある気がします。
以前は、「炭水化物」の量しか書かれていなかった表示が、炭水化物の内、「糖質」と「食物繊維」の内訳も表示されるようになった食品が、少しずつ増えてきた。
正直に書くと、とんでもない糖質量のため、とても書けない食べ物が多いこともあって、書きたがらないメーカーもあるだろうと思う。
でも、そんなことをしていたら、そもそも手に取ってもらえない商品へと、変わって行くのかも知れない。
その圧力で、糖質量を書かないと仕方のない時が、早く来れば良いのに。
もっと言えば。
そもそも、堂々と書けるような、内容のちゃんとした食品が、もっともっと増えるべきだと思う。
糖質制限を一切知らない人でも、何気に手に取ったら、自然と糖質の摂り過ぎを防げているような、安心な食品が、ごくごく普通に売られているような時が、来ればいいのに。
そうそう。
イヂワルな愚痴ですが。
最近、うちの工房の近所にできたコンビニですが。
特に、糖質制限者からすると、食べられるものが、同じコンビニの他の店舗より少ない気がするんです。
そこって、裁量の範囲だと思うんですが。
なんか、残念です。
そもそもですが。
バイトも含めて、デブが多い。
意識改革を、求めたい!
ホンマに。
心から。
内容が被っている。
そうでしょうねえ。
糖質制限を語るには、概論はどこかに入れないといけない。
被っているだろうけど、また読んでしまうのだ。
昔、ハーレクインロマンスというシリーズの小説があって。
知人がハマっていた。
おなじようなパターンの恋愛小説だそうで。
ギリシャのミコノス島に、豪華客船が入港してくる。
そのミコノス島の、継母に虐げられている(シンデレラみたいやな)美しい娘が、豪華客船で地中海クルーズを楽しむ富豪と恋に落ちるんだって。
何冊も出たけど、大体、そんな内容。
でも、読んでしまう。
そういえば、その知人とギリシャ旅行をした際、彼女の意見で、ミコノス等に行き、「クレタ島のひみつ」という子供向け冒険小説に心を熱くしたことのある私の意見でクレタ島に行ったんでした。
と、糖質制限者にとっての、「また読んでしまう」本でした。
同じことを書いてある。
そうそう、そうやったな。
緩みかかっている自分の食生活を、またまた反省するのでした。
夏井先生の新しい方の本に、一旦、糖質制限で良いコンディションを手に入れたのに、それを手放して糖質まみれの体に戻りたい人は、そういないだろうと書かれていた。
そこは、夏井先生、自制心があるんやなあと思う。
そういう能力が高い人ほど、社会的に大成するっていうし。
そこは、サボりがちなヘタレとんぼ玉作家と、お医者さまの違いかしらん。(^^;
でも、いくらヘタレでも、戻りたくない。
あのデブで醜くかった頃には。(TT)
いくらヘタレでも戻りたくない。
あのデブで醜くかった頃には。(TT)
↑しつこく繰り返す
あの頃。
既に、高血圧のお薬を飲んでいた。
↑激痛に苦しんだ持病とは別
高血圧のお薬を飲みつつ。
糖質制限を始める直前には、実は、同じ要領のお薬を飲んで、2~3年経過すると、血圧の値が、じりじりと上がり始めていた。
いよいよ、これ、どうする?
なことになりかかっていた。
しかも、体が重かった。
動きも悪い。
頭も働かなくなっていた。
とんぼ玉を作る際に、時々、作りたいものの形をざっと図形にして、サイズを概算したりする。
必ずしも必要ではないんだけど、ガラスの量を、だいたい割り出せると便利だから、時々、そういうこともしていた。
ところが、三角関数を使ったシンプルな計算が、できない。
「あれ?こっちの辺が分母で・・・・・こっちの数字はこっちの・・・・・・あれれれれ、こっちの辺が分母やから・・・・・・」
同じところを何回確認してるねん?
みたいに。
脳ミソに霧がかかったみたいなことになっていた。
若い頃なら、するっと一回で出来た計算に、もたついていた。
ああ・・・・・・。
デブで。
顔も地味で。
性格もめんどくさくて。
動きもヘタレで。
血管硬くて。
頭まで働かんとなったら。
もう、私に取り得は、何もない。(TT)
何も、ない。
このまま、小汚いオバサンから、小汚いおばあさんへ、まっしぐらに落ちて行くんや。
近所のイオンに服を買いに行ったら。
大きいサイズのコーナーで買うか、通常サイズのコーナーが、少しサイズの幅を広げ始めたので、幾分入る物もあって、通常サイズのコーナーの一番大きいので、デザインによっては入る物もあるので、試着して買う。
ジーンズも、相当大きいのを、いくつか試着してみると、入るのもある。
冬場は、そういうジーンズが3枚で、それを順番に機械的に回して履いていた。
セーターも、3~4枚を、くるくる機械的に回して着ていた。
靴は、お決まりのオバサン向けスニーカーで、同じものの2色を、ダメになるたびに、交互に買っていた。
まあ、着る物の楽しみは、微塵も無かったな。
アクセサリーを作りながらも、自分で付けようとか、あんまり思わなかったし。
作品展をしても、作家ですだと、人前に立とうとはあんまり思わなかった。
元は、認知症予防にと思って始めた糖質制限だった。
ダイエット目的ではなかったんです、私の場合。
いろんな人と話していて一致するのは。
40歳を過ぎたころから、何をしても痩せなくなって。
そう、そうなると、水分の変化ですら、500グラムも痩せない。
というか、体重は、じりじりと増え続けているのだ。
そんな日々から、糖質制限で、3キロくらい落ちたんでした。
衝撃でした。
3キロ、落ちた!
これは・・・・・・!
3キロ落ちた。
その頃、やはり、食後の眠気が軽減されるのは、自覚していた。
食後2~3時間後(おやつの時間)の空腹感も来ない。
それはもちろん、お昼ご飯を食べた後、晩ごはんの前でさえ、空腹感がない。
そういう、健康面での変化は、明らかに感じていた。
そして、本気を出してからという物、5カ月ぐらいで、さらに8キロ落とし。
最初の糖質制限から、一年くらいで、トータル16キロ落とした。
その頃には、肋骨が見えて来ていたので、私としては限界だったと思う。
骨太なので、同じBMIの数値でも、体脂肪率は、相当落ちていたと思う。
血液検査で、パーフェクトだと、言われ。
血圧も、下がり始めていた。
あの頃。
イオンの服屋さんのMサイズは、ほぼ全て入った。
年齢相応のコーナーのGパンなどは、足がパツパツなら、ウエストがガバガバだった。
何着ても、一時よりは、ずっと似合うし、試着が楽しくて仕方なかった。
その後かなあ。
SNS用に、自撮りしたら、意外と悲しかった。
痩せても、そこはどうにもならへんなあ。
地味な顔。
と、そんな話を生徒さんにしたら、本人じゃないみたいに、奇跡の一枚を撮ってくれる写真スタジオがあるらしいと、教えてもらった。
メイクがすごくて、直接見たら明らかにヘンなんだけど、写真を撮るとキレイに写る。
本人じゃないみたいに、写るらしい。
じゃ、行ってみようかな。
で、行ってみましてね。
まあ、私にしては、ぼちぼち、きれいに撮ってもらえているかも。
まあ、元が地味やからね。
その帰り道。
メイクは、写真撮りの時から変更してもらって、表を歩いても変じゃないくらいにしてもらって、電車に乗ったんです。
わ~、慣れないメイク。
ヘンじゃない?
でも、その時、視線を感じたんですよね。何度か。
ああ、小汚いオバサンだった頃には、なかった感じ。
へ~。
こんなにやってもエエんや。
鏡を見て思った。
まあ、あれですね。
お魚のムリーニを作る場合に、実物と同じ比率の目にすると、小さくなるようにムリーニを引いて、たまにさあ埋めようかとすると、目が小さすぎる。
縮小されたときに、目やヒレなどは、やや大きめにデフォルメする方が、リアルに見える。
そんな感じ?
そういえば、中村玉緒さんのアイラインはすごいけど、あのアイラインごと、中村玉緒さんやもんな。
松岡茉優ちゃんも、きれいやけど、多分、元の顔はまあまあ地味目。
きれいにメイクしてもらって、ちょっと華やかになってあのくらい。
そう思って、雑誌のモデルさんとかを見ると、メイクの奥に、地顔が見えてくる。
モデルさんの内、すっぴんで文句なしにきれいなのは、多分、1~2割くらい。
他は、けっこう努力でカバーしてはったんやなあ。
と、雑誌を「ムン」と、睨んで、そう思った。
そういう意味では、一切、努力を放棄して生きて来たんやから、まあ、小汚くもなるよなあ。
デブだった頃。
食欲の奴隷(ってタイトルの、ナントカ順子さんのエッセイがあったなあ)だった。
で、翌日から、メイクに目覚めた。
ビューラーで、まつげを立ち上げるようになって、一週間せずに、二重まぶたになった。
さらに一週間で、すっぴんでも、二重まぶたが定着した。
それ以来、ごみ出し以外は、すっぴんでは出かけなくなった。
それが。
5キロリバウンドしたあの日。
まぶたの二重が、崩壊していた。
うわ。
脂肪が、皺を押し上げたんや。
でも、ほうれい線は、押し上げてはくれず。
あごの線に、たるみの凸凹ができていた。
ああ。
これは・・・・・・加齢か?(TT)
あの一年が、私の最後のピークやったんや。
嘆いている間もなく。
デブだったころの服はあらかた処分していたので。
このままでは、手持ちの服が、パツパツやん。
そんなシビアな現実が、目の前に見えてましてね。
いや。
この、手持ちの服を着た時のダサさが、悲しい。
そこで、緊急ダイエットになった訳ですが。
そしたら。
1.5キロ戻しただけで、あごの凸凹は消えた。
良かった。
加齢ではなくて、脂肪だったか。
いや、その無駄な脂肪は、加齢を加速するんだそうだ。
で、そのまま続けていると。
また、ちょっとだけ戻って来ていた食後の眠気と、ごはん前の空腹感が、消えた。
やっぱり、健康面も、影響するよね。
戻りたくない。
あの、壊れきったあの頃には。
再び、そう思ったのです。
そうそう、そういえば。
激痛に苦しんで、仕方なく駆け込んだいつもの病院で、相談の結果、対処療法として別の痛み止めをもらい。
まあ、だましだまし、行けそうで。
そっちのピークは越えたんですけどね。
その病院の待合室で、釜池豊秋さんというお医者さんの書いた「糖質ゼロの食事術」という本が、ぼろぼろになって置かれているのを見つけまして。
↑2007年に出版されていた
あ、聞いたことのある名前!
江部先生と、どっちが糖質制限が先だったか、話題になった人!
それが、こんなにボロボロって。
ここの先生のだれかが、糖質制限の本をこっそり(なのか、堂々なのかは知らんけど)読んではったってこと?
で、手に取って読もうとすると。
サイン本や!
直接、出会ってはったってこと?
どなたの持ち物か、真偽のほどは、確かめてません。
糖質制限って、病院では言ってはいけない禁止ワードなんだと、ずっと思ってきた。
糖質制限教の、隠れた信者だと、ずっと思ってきた。
でも、世の中は、ちょっとだけ変わったのかな。
母の今回の入院。
最初は北播磨総合医療センターで、術後しばらくして、回復期の今の病院に移ったんですけど。
北播磨総合医療センターで、栄養士さんに栄養指導してもらったとき、彼女は「糖質量ハンドブック」(江部先生の本)を手にして話していた。
そこも、おおって、ちょっとチェックを入れてしまった私がいた。
糖質制限。
今までの栄養の理論がまちがっていて、こっちの方が、より正しいことが、じわりと浸透してきている感がするこの頃です。
やっぱり、江部先生が、今回の本でも書かれているように、「常識」が、変わって行く、その変化が、ジワジワと見えつつある気がします。
以前は、「炭水化物」の量しか書かれていなかった表示が、炭水化物の内、「糖質」と「食物繊維」の内訳も表示されるようになった食品が、少しずつ増えてきた。
正直に書くと、とんでもない糖質量のため、とても書けない食べ物が多いこともあって、書きたがらないメーカーもあるだろうと思う。
でも、そんなことをしていたら、そもそも手に取ってもらえない商品へと、変わって行くのかも知れない。
その圧力で、糖質量を書かないと仕方のない時が、早く来れば良いのに。
もっと言えば。
そもそも、堂々と書けるような、内容のちゃんとした食品が、もっともっと増えるべきだと思う。
糖質制限を一切知らない人でも、何気に手に取ったら、自然と糖質の摂り過ぎを防げているような、安心な食品が、ごくごく普通に売られているような時が、来ればいいのに。
そうそう。
イヂワルな愚痴ですが。
最近、うちの工房の近所にできたコンビニですが。
特に、糖質制限者からすると、食べられるものが、同じコンビニの他の店舗より少ない気がするんです。
そこって、裁量の範囲だと思うんですが。
なんか、残念です。
そもそもですが。
バイトも含めて、デブが多い。
意識改革を、求めたい!
ホンマに。
心から。