「ガラスのさかな」のとんぼ玉じゃないタワゴト

とんぼ玉作家のブログが、いつしか健康ブログに。
なので、健康ネタを独立させました。

糖質制限、再び・・・・・・

2018-01-02 01:52:36 | 健康
 「江部康二の糖質制限革命」読みました。
 内容が被っている。
 そうでしょうねえ。
 糖質制限を語るには、概論はどこかに入れないといけない。
 被っているだろうけど、また読んでしまうのだ。

 昔、ハーレクインロマンスというシリーズの小説があって。
 知人がハマっていた。
 おなじようなパターンの恋愛小説だそうで。
 ギリシャのミコノス島に、豪華客船が入港してくる。
 そのミコノス島の、継母に虐げられている(シンデレラみたいやな)美しい娘が、豪華客船で地中海クルーズを楽しむ富豪と恋に落ちるんだって。
 何冊も出たけど、大体、そんな内容。
 でも、読んでしまう。
 そういえば、その知人とギリシャ旅行をした際、彼女の意見で、ミコノス等に行き、「クレタ島のひみつ」という子供向け冒険小説に心を熱くしたことのある私の意見でクレタ島に行ったんでした。

 と、糖質制限者にとっての、「また読んでしまう」本でした。
 同じことを書いてある。
 そうそう、そうやったな。
 緩みかかっている自分の食生活を、またまた反省するのでした。
 夏井先生の新しい方の本に、一旦、糖質制限で良いコンディションを手に入れたのに、それを手放して糖質まみれの体に戻りたい人は、そういないだろうと書かれていた。
 そこは、夏井先生、自制心があるんやなあと思う。
 そういう能力が高い人ほど、社会的に大成するっていうし。
 そこは、サボりがちなヘタレとんぼ玉作家と、お医者さまの違いかしらん。(^^;
 でも、いくらヘタレでも、戻りたくない。
 あのデブで醜くかった頃には。(TT)

 いくらヘタレでも戻りたくない。
 あのデブで醜くかった頃には。(TT)
 ↑しつこく繰り返す

 あの頃。
 既に、高血圧のお薬を飲んでいた。
 ↑激痛に苦しんだ持病とは別
 高血圧のお薬を飲みつつ。
 糖質制限を始める直前には、実は、同じ要領のお薬を飲んで、2~3年経過すると、血圧の値が、じりじりと上がり始めていた。
 いよいよ、これ、どうする?
 なことになりかかっていた。
 しかも、体が重かった。
 動きも悪い。
 頭も働かなくなっていた。
 とんぼ玉を作る際に、時々、作りたいものの形をざっと図形にして、サイズを概算したりする。
 必ずしも必要ではないんだけど、ガラスの量を、だいたい割り出せると便利だから、時々、そういうこともしていた。
 ところが、三角関数を使ったシンプルな計算が、できない。
 「あれ?こっちの辺が分母で・・・・・こっちの数字はこっちの・・・・・・あれれれれ、こっちの辺が分母やから・・・・・・」
 同じところを何回確認してるねん?
 みたいに。
 脳ミソに霧がかかったみたいなことになっていた。
 若い頃なら、するっと一回で出来た計算に、もたついていた。

 ああ・・・・・・。
 デブで。
 顔も地味で。
 性格もめんどくさくて。
 動きもヘタレで。
 血管硬くて。
 頭まで働かんとなったら。
 もう、私に取り得は、何もない。(TT)
 何も、ない。
 このまま、小汚いオバサンから、小汚いおばあさんへ、まっしぐらに落ちて行くんや。

 近所のイオンに服を買いに行ったら。
 大きいサイズのコーナーで買うか、通常サイズのコーナーが、少しサイズの幅を広げ始めたので、幾分入る物もあって、通常サイズのコーナーの一番大きいので、デザインによっては入る物もあるので、試着して買う。
 ジーンズも、相当大きいのを、いくつか試着してみると、入るのもある。
 冬場は、そういうジーンズが3枚で、それを順番に機械的に回して履いていた。
 セーターも、3~4枚を、くるくる機械的に回して着ていた。
 靴は、お決まりのオバサン向けスニーカーで、同じものの2色を、ダメになるたびに、交互に買っていた。
 まあ、着る物の楽しみは、微塵も無かったな。
 アクセサリーを作りながらも、自分で付けようとか、あんまり思わなかったし。
 作品展をしても、作家ですだと、人前に立とうとはあんまり思わなかった。


 元は、認知症予防にと思って始めた糖質制限だった。
 ダイエット目的ではなかったんです、私の場合。
 いろんな人と話していて一致するのは。
 40歳を過ぎたころから、何をしても痩せなくなって。
 そう、そうなると、水分の変化ですら、500グラムも痩せない。
 というか、体重は、じりじりと増え続けているのだ。
 そんな日々から、糖質制限で、3キロくらい落ちたんでした。
 衝撃でした。
 3キロ、落ちた!
 これは・・・・・・!

 3キロ落ちた。
 その頃、やはり、食後の眠気が軽減されるのは、自覚していた。
 食後2~3時間後(おやつの時間)の空腹感も来ない。
 それはもちろん、お昼ご飯を食べた後、晩ごはんの前でさえ、空腹感がない。
 そういう、健康面での変化は、明らかに感じていた。

 そして、本気を出してからという物、5カ月ぐらいで、さらに8キロ落とし。
 最初の糖質制限から、一年くらいで、トータル16キロ落とした。
 その頃には、肋骨が見えて来ていたので、私としては限界だったと思う。
 骨太なので、同じBMIの数値でも、体脂肪率は、相当落ちていたと思う。
 血液検査で、パーフェクトだと、言われ。
 血圧も、下がり始めていた。


 あの頃。
 イオンの服屋さんのMサイズは、ほぼ全て入った。
 年齢相応のコーナーのGパンなどは、足がパツパツなら、ウエストがガバガバだった。
 何着ても、一時よりは、ずっと似合うし、試着が楽しくて仕方なかった。

 その後かなあ。
 SNS用に、自撮りしたら、意外と悲しかった。
 痩せても、そこはどうにもならへんなあ。
 地味な顔。

 と、そんな話を生徒さんにしたら、本人じゃないみたいに、奇跡の一枚を撮ってくれる写真スタジオがあるらしいと、教えてもらった。
 メイクがすごくて、直接見たら明らかにヘンなんだけど、写真を撮るとキレイに写る。
 本人じゃないみたいに、写るらしい。
 じゃ、行ってみようかな。
 で、行ってみましてね。
 まあ、私にしては、ぼちぼち、きれいに撮ってもらえているかも。
 まあ、元が地味やからね。

 その帰り道。
 メイクは、写真撮りの時から変更してもらって、表を歩いても変じゃないくらいにしてもらって、電車に乗ったんです。
 わ~、慣れないメイク。
 ヘンじゃない?
 でも、その時、視線を感じたんですよね。何度か。
 ああ、小汚いオバサンだった頃には、なかった感じ。

 へ~。
 こんなにやってもエエんや。
 鏡を見て思った。

 まあ、あれですね。
 お魚のムリーニを作る場合に、実物と同じ比率の目にすると、小さくなるようにムリーニを引いて、たまにさあ埋めようかとすると、目が小さすぎる。
 縮小されたときに、目やヒレなどは、やや大きめにデフォルメする方が、リアルに見える。
 そんな感じ?
 そういえば、中村玉緒さんのアイラインはすごいけど、あのアイラインごと、中村玉緒さんやもんな。
 松岡茉優ちゃんも、きれいやけど、多分、元の顔はまあまあ地味目。
 きれいにメイクしてもらって、ちょっと華やかになってあのくらい。
 そう思って、雑誌のモデルさんとかを見ると、メイクの奥に、地顔が見えてくる。
 モデルさんの内、すっぴんで文句なしにきれいなのは、多分、1~2割くらい。
 他は、けっこう努力でカバーしてはったんやなあ。
 と、雑誌を「ムン」と、睨んで、そう思った。
 そういう意味では、一切、努力を放棄して生きて来たんやから、まあ、小汚くもなるよなあ。
 デブだった頃。
 食欲の奴隷(ってタイトルの、ナントカ順子さんのエッセイがあったなあ)だった。

 で、翌日から、メイクに目覚めた。
 ビューラーで、まつげを立ち上げるようになって、一週間せずに、二重まぶたになった。
 さらに一週間で、すっぴんでも、二重まぶたが定着した。
 それ以来、ごみ出し以外は、すっぴんでは出かけなくなった。

 それが。
 5キロリバウンドしたあの日。
 まぶたの二重が、崩壊していた。
 うわ。
 脂肪が、皺を押し上げたんや。
 でも、ほうれい線は、押し上げてはくれず。
 あごの線に、たるみの凸凹ができていた。
 ああ。
 これは・・・・・・加齢か?(TT)
 あの一年が、私の最後のピークやったんや。

 嘆いている間もなく。
 デブだったころの服はあらかた処分していたので。
 このままでは、手持ちの服が、パツパツやん。
 そんなシビアな現実が、目の前に見えてましてね。

 いや。
 この、手持ちの服を着た時のダサさが、悲しい。

 そこで、緊急ダイエットになった訳ですが。
 そしたら。
 1.5キロ戻しただけで、あごの凸凹は消えた。
 良かった。
 加齢ではなくて、脂肪だったか。
 いや、その無駄な脂肪は、加齢を加速するんだそうだ。
 で、そのまま続けていると。
 また、ちょっとだけ戻って来ていた食後の眠気と、ごはん前の空腹感が、消えた。
 やっぱり、健康面も、影響するよね。

 戻りたくない。
 あの、壊れきったあの頃には。
 再び、そう思ったのです。

 そうそう、そういえば。
 激痛に苦しんで、仕方なく駆け込んだいつもの病院で、相談の結果、対処療法として別の痛み止めをもらい。
 まあ、だましだまし、行けそうで。
 そっちのピークは越えたんですけどね。
 その病院の待合室で、釜池豊秋さんというお医者さんの書いた「糖質ゼロの食事術」という本が、ぼろぼろになって置かれているのを見つけまして。
 ↑2007年に出版されていた
 あ、聞いたことのある名前!
 江部先生と、どっちが糖質制限が先だったか、話題になった人!
 それが、こんなにボロボロって。
 ここの先生のだれかが、糖質制限の本をこっそり(なのか、堂々なのかは知らんけど)読んではったってこと?
 で、手に取って読もうとすると。
 サイン本や!
 直接、出会ってはったってこと?

 どなたの持ち物か、真偽のほどは、確かめてません。
 糖質制限って、病院では言ってはいけない禁止ワードなんだと、ずっと思ってきた。
 糖質制限教の、隠れた信者だと、ずっと思ってきた。
 でも、世の中は、ちょっとだけ変わったのかな。

 母の今回の入院。
 最初は北播磨総合医療センターで、術後しばらくして、回復期の今の病院に移ったんですけど。
 北播磨総合医療センターで、栄養士さんに栄養指導してもらったとき、彼女は「糖質量ハンドブック」(江部先生の本)を手にして話していた。
 そこも、おおって、ちょっとチェックを入れてしまった私がいた。


 糖質制限。
 今までの栄養の理論がまちがっていて、こっちの方が、より正しいことが、じわりと浸透してきている感がするこの頃です。
 やっぱり、江部先生が、今回の本でも書かれているように、「常識」が、変わって行く、その変化が、ジワジワと見えつつある気がします。
 以前は、「炭水化物」の量しか書かれていなかった表示が、炭水化物の内、「糖質」と「食物繊維」の内訳も表示されるようになった食品が、少しずつ増えてきた。
 正直に書くと、とんでもない糖質量のため、とても書けない食べ物が多いこともあって、書きたがらないメーカーもあるだろうと思う。
 でも、そんなことをしていたら、そもそも手に取ってもらえない商品へと、変わって行くのかも知れない。
 その圧力で、糖質量を書かないと仕方のない時が、早く来れば良いのに。
 もっと言えば。
 そもそも、堂々と書けるような、内容のちゃんとした食品が、もっともっと増えるべきだと思う。
 糖質制限を一切知らない人でも、何気に手に取ったら、自然と糖質の摂り過ぎを防げているような、安心な食品が、ごくごく普通に売られているような時が、来ればいいのに。


 そうそう。
 イヂワルな愚痴ですが。
 最近、うちの工房の近所にできたコンビニですが。
 特に、糖質制限者からすると、食べられるものが、同じコンビニの他の店舗より少ない気がするんです。
 そこって、裁量の範囲だと思うんですが。
 なんか、残念です。
 そもそもですが。
 バイトも含めて、デブが多い。
 意識改革を、求めたい!
 ホンマに。
 心から。

5Kg、リバウンド事件!

2017-12-30 02:00:00 | 健康
 リバウンドしました。

 糖質制限で、最大16キロ痩せ。
 それでも、ちょっと行きすぎ感があったので、15キロ減くらいがベストだろうと思うのですが。
 実際には、一年前くらいから、13.5~14.0キロ減くらいのところをウロウロしてました。
 ところが!
 いろんな気の緩みとストレスで、ある日、11キロ減のところまで、後退していた。(TT)
 12キロ減くらいのところで、既に思うところがあった。
 買った服を着ると、もたつく。
 服屋さんで試着してても、15キロ減だった頃ほど楽しくない。
 何か、ダサい。

 これはまずい!
 ってことで。
 緊急糖質制限!

 めっちゃまじめに糖質を抜いた。
 7日ほどで、1.5キロ減で、そこで足踏み。
 7日目以降足踏みなのは、想定内。
 後は、地道に続けるだけ。
 と思っていたら、ある日、持病の体調の変動が激しくて、一夜で、1キロ減。
 10日ほどで、トータル、5キロリバウンドから、2.5キロ減!
 一日にして1キロというのは、便秘気味だったのとむくみ気味だったのが、一気に解消したため。
 このまま維持できないかと思ったんですが、さすがに無理。
 今、1.5キロ減を維持している所です。

 あ、これと不調は、多分関係ないと思う。
 関係あるとしたら、便秘などが、薬の吸収を悪くしたりするケースがあるらしいけど。


 それで、あらためて思ったんです。
 どうしたら痩せるのか?
 緊急の糖質制限は、けっこう厳し目に糖質を絞るので、我慢できないんじゃないかとさすがに思い始めていたのですが。
 糖質をかなり切って、2日目以降は、おなかがすかない状態に持って行けた。
 久しぶりの、おなかがすかない、食後全く眠くならないこの感じ。
 こうなると、実は、我慢するとかそういう感じは消える。
 お腹がすかない状態に持って行ける、このことこそ、糖質制限で痩せることができる理由なんだと思うんです。
 カロリー制限で、糖質食べつつ、全体の食べる量を減らした日には、空腹感に苦しむことになる。


 いざ糖質制限をする際には、具体的に、どんな方法で何をどのくらいっていうのは、最適解を探す手間をかけないといけないとは思う。
 ただ、こうすれば、体重も、おそらく血糖値も、ヘモグロビンA1cも、中性脂肪も、コントロールできてしまうという、紛れもない事実を前に。
 糖質との関わり方を考えることこそ、今までコントロールが困難だったいろんな数値(というか、それが示す体の状態)を、コントロールするための答えそのものに他ならないという確信が湧いて来るのでした。 


 それにつけても。
 スーパーもコンビニも、買えないものが圧倒的に多い。
 その状態を「糖質制限をすると食べる物がなくなる」と表現するのか?
 「まじめに食を考えた時、もっと売るべき物で実際には実在していないものが、まだまだたくさんあるだろう?」と表現するのか?
 って、問題ですよ。

 そんなこんなで。
 どうせ内容は、いっぱい被っているだろうなあと思いながら、江部先生の最新の本を、ネット注文してしまいました。
 やっぱり、江部先生も、こういう本になるよねえ。
 賛成です。
 まだ読んでないけど。
 スーパー行って思うのは。
 もっと、メーカーも、こういう商品出せば良いのにってことです。

 面倒なので、お総菜を買いたい。
 でも、「肉!タンパク質!」と信じて買っている、そのお総菜。
 意外と、小麦粉がたくさん使われているんですのよ!
 100gの唐揚げや竜田揚げ、10~13グラムの炭水化物が含まれています。
 じゃ、衣の無いチキンステーキは?と思うと、タレに砂糖が含まれているので、70グラムくらいの中に、7グラムの炭水化物が含まれている。
 チキンステーキ、甘いたれのもあって良いと思う。
 体を動かす人なら、7グラムくらい、消費できるもんな。
 でも、お酢などをうまく使って、ややあっさり目で、塩分も糖質も、ぐっと抑えつつも十分お総菜として成立する味のチキンステーキも、選べたら良いのに。


 上げ出すと、枚挙にいとまがないのですが。
 全ての物に、やけに小麦粉やお砂糖が入っている。
 入れないといけないかのように入っている。
 例えば、パンに塩分が入っているのは、塩味として必要というよりも、発酵の時に塩分がいるからなんだそうで。
 でも、やけに多くの砂糖が入っていること、それは、柔らかくするとかしっとりさせるとかの目的も多少はあるだろうけど、そのためだけならそこまでたくさん入れなくても良いだろう?っていうくらい、無駄にたくさんの砂糖が、ありとあらゆるものに入っている。
 小麦粉も、同様。
 多くの人が、糖質中毒で、どうしても食べたい人が多数派だというなら、まあ食べれば良いやん。自己責任やし。
 ↑めっちゃ突き放した言い方の私(^^;
 でも、食べたくない人が例えば人口の5%でもいるのなら、20種類の食べ物の内、1種類は、食べたくない人が買える物であっても良いんじゃないの?
 って、思うんです。

 お総菜の味が、1つのお総菜に対して、2種類しか味がなかったとして。
 20種類の内、1種類ということは、10種類のお総菜にそれぞれ2種類の味として。
 無駄な糖質を食べたくない人は、他の9種類のお総菜と、残りの一種類のお総菜の内の片方の味をあきらめないといけない。
 でも、1つは選べるものがある。
 せめて、そういう状況があっても良いんじゃないのかなあと思う。
 メーカーさんも、考えて欲しい。

 江部先生の新しい本、楽しみです。

体調不良で、ドタバタしてたら、もう年末・・・・・・(^^;

2017-12-30 01:28:06 | 健康
 入院が、一か月を超えた母ですが。
 退院が、見えて来ました。
 年末年始と当たってなければ、もう、地域医療連携室と介護施設の相談が、今日あたりから打診されても良いくらいだったんじゃないかな。
 まあ、年末年始は、何かと、どこも人手が手薄になる時期なので、そこで退院は難しいのは仕方なし。
 年明けしばらくして、退院の運びとなると良いのですが。

 その一方で、20日くらいから、何となく持病の調子が悪くて。
 23日の夜には、痛みが襲ってきて、市販薬で何とか凌ぎ。
 24日の夜には、ついには痛みでランの散歩に行けず、弟に、近くまでランを連れて行ってもらい。
 25日の夜も、ランの散歩に行けず、痛みに苦しんだ。
 どういう訳だか、夜中に痛みだし。
 朝になる頃には、何とか痛みが治まって、必要な用事を済ませるのだけど、夜また痛む。
 26日も、また傷み。
 でも、ピークは越えたかなって感じの今日でした。
 一人のクリスマスを、寂しがる余裕もなく。
 夜、どのくらい寝たのかもわからない、この数日でした。
 持病、これで死ぬことはないと、医者に言われています。
 ただ、コントロールに失敗すると、QOLっていうんですか、生活の質が、著しく落ちる。
 ああ、勿体ない、この数日の夜。

 で、最初は心配を掛けまいとして、母には言わなかったのですが。
 見舞いの時に、私があっさりと帰ろうとすると、省みられてない意識を持ったら困るなあと思い。
 ↑ストレスで、食欲なくなったり、リアルなところに反映するから
 最近激痛で辛いと、正直に話しました
 案の定ですが。
 予想通り。
 「母」モードのスイッチが入ったらしく。
 「あんた、早よ帰り。気いつけてな。」
 なんて、妙にしゃき~ん!として、言っている母がいたのでした。(^^;
 まあ、狙い通りです。


 愚痴大会のついでに、他の愚痴も言うと。
 井戸のポンプが壊れました。
 で、その修理依頼の電話入れるのも、この不調な私かい!?
 応急処置をしてもらい、年明けに、新しいポンプに付け替えてもらうことになりました。
 ついでと言っちゃなんですが。
 井戸の雨除けの屋根のスレートが飛んだのも。
 私が使っている方のトイレに付いている、今どきなあっていう壊れているっぽい小便器(父のこだわりで付けた物の、今は誰も使っていないので、埃だけ溜まって掃除が面倒やねん)の撤去も。
 裏の物置の瓦屋根が崩れてきているのも。
 みんなまとめて、どうにかしてもらうことになりました。
 全て一か所で。
 何屋さんやねん?って思うでしょ。
 電気工事と上下水の設備ができる電設屋さんです。
 どうしても、電気工事のついでや上下水の工事のついでに、屋根や壁も触らないといけないので、何でもできるんです。
 仕事の良さもばっちりです。
 不調と言いながら。
 私は何の心配をしているんだか。
 結局、相続税の申告も、父の確定申告もまだ。

 焦ります。
 年を越えたら、ふく蔵さんのDMの準備もしないといけないというのに。

 で、はっと気づいたのですが。
 これってさ。
 母の退院の際に、介護施設の利用頻度をちょっと上げさせてもらって、負担を減らしとかないとまずいよっていう、天の声だったんじゃないだろうか?
 ドタバタだった今年のふく蔵さんの作品展ですが、来年は、もっと頑張りたいもんなあ。

 ホンマに、愚痴だけ書いたブログになりました。

 あ、また別に、もう一個、書きます。
 

多様性というもの

2017-12-02 15:18:17 | 健康
 先ほど、やっと、喪中はがきを投函して来ました。
 遅い。
 やっぱり。(^^;

 父が永眠したという文面を、何度も目にすることになり。
 ああ、おらんのやったなあって、心がじんわりと痛くなった。

 父の介護関係の手続きや、入院や、介護そのもので、走り回っていた一年。
 心の奥底に抱えた、自分のトラウマが顔を出すこともたまにあった。
 それは、介護と関係なしに、ここぞというときにたまにそうなる。
 意外とというか、意外でもないですけど、日ごろは強心臓なんです。
 でも、人と関わる時、私のキャラの一癖が強い所のせいで、周囲の人に「退かれる」感じが、本当につらくて、最初から引いてしまう自分がいた。本当は、そういう自分が、嫌だったりした。

 父は、一時、介護抵抗が強くて、介護施設や病院にお世話になる時に、利用そのものを断られかねないという困った状況だったこともあり。
 ああ、何で、そんなんなん?
 って、思うこともあった。
 でも、それが、父の警戒心の強さというか、ちょっとした価値観のはき違えというか、そういうところから起こっていることも、見ていれば、分かってくる。
 親子やしね。長年見てるから。
 そういう生き下手なところが、私の生き辛さとして影響したんやなあと思うと、腹立たしい瞬間もあり。
 父と同じ体験をした人でも、もっと、飄々と生き抜く人もいただろうしさって、残念に思うこともあり。
 それでも、まあ、しょうがないかなあと思える私もいて。
 一方で、私に迷惑を掛けまいとしている健気な瞬間もあって。
 父が生きてきた長い年月が、どんなだったか、考えている私がいた。

 父は、体の方が先に動かなくなったので、込み入ったコミュニケーションもできなくなってはいたけど、周囲の状況やこちらが言っていることは、分かっていた。
 だから、いろいろ、頑張ってしまった私がいた。
 そういうことって、感覚的なもので、理解されづらい。
 普通、話せないってことは、理解もしていないと思われがちで。
 父の枕もとで、私に嫌味を言った看護師もいたよな。
 まあ、人間は、経験の生き物だから。
 このくらいなら、まあこのくらいだろうと思ってしまうのは仕方がないことで。
 時間がたっぷりあるなら、理解をしてもらう努力をしただろうけれど。
 父には時間がない気がして、焦ったっけ、あの頃。

 あ、話を元に戻そう。
 分かっている。
 そう思っても、父と以前のようにコミュニケーションが取れなくなっていることには変わりなく。
 きっと、少しずつ、元の父を、私や母は失って行ったんだろうな。

 いろんなことを考えながら、顔を出した過去のトラウマにこだわった瞬間もあったけれど。
 そんなとき、私のことを私のまま認めると、明確な言葉で言ってくれなかったことにこだわっていたこともあったけれど。
 いざいなくなると、日々の中で、間違いなくたくさん愛情をもらっていたことを、ほんとは分かってはいたけれど、改めて感じた。

 父の考え込む性格。
 職人としての、仕事の精度の高さ。
 危機の時に、素早く動けない優柔不断さ。
 まあ、良いお手本が傍にいるなどのラッキーがあれば、もうちょっとどうにかなったんじゃないかなあとも思うけど、いなかったんだから仕方ない。
 一方で、職人としては、向いている性格でもあって。
 それがダメって、単純には言えない私がいる。

 こんな風に、考えたのは、母のことも一緒。
 母は、まだ元気なので、ちゃんと大事にして上げようと思う。
 物理的な限界があるので、まあ、できる範囲で。

 先日読んだ本によると、社会的困難やトラウマに苦しむ人の治療として、記憶や感情を整理し新たな意味づけを行う「曝露療法」というものがあるんだそうだ。
 ああ、私が、時々、ドツボにハマった時にやっていたのは、これだったんだなあと思った。
 今回に関しては、向こうから事態がやって来て、やろうとしてやったわけではなかったんだけどね。

 今回のは、結果的に、走りながら考えていたせいか、「トラウマほぼ解消か?」くらいの効果があった気がする。

 「退かれる感じが嫌で」と考えていた私は、退かれていたのも事実だろうけれど、あまりに気にしすぎていたことこそ、私の認知のゆがみだったんじゃないかって、ふと、気づいた。
 あらゆる場面で、全く退かれなくなるなんて、どんなにできた人間なんでしょう?
 そこで、完ぺきを求めすぎていたのかも。
 自己主張が強いなら、ここぞの時には自分の考えで生きて行きたいなら、一定割合で退かれることもあることと腹をくくらなくちゃダメなのに、それが嫌だとゴネていたんじゃないだろうか?
 そう思うと、そこは、お子様で、根性なしだったんやなあって、思った。
 もちろん、退かれてうれしい人はいないけどさ。
 人を傷つけることはしたくないし、それは、回避する努力はもちろんしたいけど。

 最近出会った人が言っていた言葉。
 「私たちくらいの年になると、誰でも、何らか一つくらいは、発達障害的歪みを持っている物らしいですよ。」
 だそうだ。
 まあ、自分が完ぺきだとは思わないので、その言葉は、ちょっと救いでもある。
 ああ、私だけやないんやなあ。

 もしも、この世に、「これが完璧にできた人」のお手本が存在したとする。
 みんながそこに向かって、相当な達成度だったとする。
 それは、ある意味で、多様性という物の対局なんじゃないのかなあと、ふと思った。

 美人顔は平均顔。
 何事も、大きく平均から外れることは、遺伝的にもリスクがあるので、人は平均を好む。
 だから、平均顔が美しく見える。
 身長も、大きすぎると、動きが悪かったり食料がたくさん必要だったり、小さすぎると逃げ足が遅かったり腕力が弱かったり、だから、真ん中が良い。
 身長も平均、中肉中背、体つきにも大きな特徴はなく平均的、顔も平均顔で美女またはイケメン、性格も理想的にできた人、おとなしすぎず、うるさすぎず、弱気過ぎず、強気すぎず。
 みんながそんな人になれた日には。
 誰が誰だか、見分けがつかなくなっているのかも知れない。
 そんなことを思った。

 極端に生き辛いほど、偏っているのなら、ちょっと癖を直した方が生きやすくなるだろうし、きっと意味があるはず。
 でも、まあ、ある程度の許容範囲内なら、いろいろいないと、見分け付かんようになりそうかな。

 母の手術を担当してくれた外科医の先生も、一癖ある人らしい。
 でもま。
 今まで聞く機会のなかったあれこれも聞けたし、手術の結果も満足だし。
 急ぎで手術をしてほしいという依頼にこたえて、長時間の手術をやっちゃうその働きという動かせない事実を前に。
 まあ、一癖も、そこそこならOKなんやろうなあと思う私がいる。

 で、私か。
 私は私なりに、何かできることを、一生懸命にやらないとねって、思った。
 それだけでなくて。
 目をつぶって来た、収入が厳しい状態が、そろそろ限界に来たのもあって、教室業、まじめに生徒さん厚めに頑張ろうと思うこのごろです。
 まあ、良い感じで、介護がインターバルになったというか。
 人付き合いの苦手意識が相当解消されたので。
 ちょっと頑張ろうと思います。

そうだったのか・・・・・・腹痛

2017-11-25 02:58:31 | 健康
 タイトルが、腹痛?

 そうそう。
 分かって良いことばかりではないとは思う。
 でもなあ、分った方が、対処ができるというものもある。

 子供の頃、どうしようもなく運動ができなかった。
 人並みにできたのは、マット運動と、水泳くらい。
 スピードやスタミナの必要な物は、全くダメでした。
 あ、持久力も。

 子供のころから、マラソンが嫌で嫌で。
 走ると、とにかく、横っ腹が痛くなるのです。
 で、子供心に、不思議に思って、他の人に聞いてみた。
 「痛くならへんのん?」
 「時々、痛いこともあるかなあ。」
 え?
 いっつも、必ずなのに。
 他の人は違うのか?

 高校の時にも、長距離走みたいなのがあって、グランドを何週かさせられました。
 高一の時、私には、マラソンの時の心の友がいて、一緒に最後尾を2人で走っていた。
 二人とも、悲しいくらいに、必死に走って最後尾だった。
 往々にして、人は自分の物差しで人を見るもののようで。
 体育教師は、ほぼ、私の天敵でした。
 「お前ら~歩いとんこ?」
 ↑ガラの悪い、播州弁丸出し
 と、天敵が私たちに言った。
 しかも担当教官ではなく、他のクラスを見ていた体育教師が、くちばしを挟む感じで。
 「顔見て分からんか?必至じゃ!脳ミソ筋肉!」
 と、心の叫びをあげつつ、苦しすぎて声を発することができる状態では、もちろんないのだった。
 
 今なら、心拍数を測って下さいとか、言うところやな。
 で、この謎の腹痛。
 先日、謎が解けたんです。
 40年以上謎だった、腹痛が。

 Nスペで、オリンピック前に、ミラクルボディという番組をやっていた。
 第一回は、シンクロナイズドスイミングのナタリア・イシェンコ。
 何でも、彼女は、長時間の無呼吸状態でも、血中の酸素量が相当維持できる、イルカのような体だと言っていた。
 脾臓という臓器は、血液のタンクの役割も果たしていて。
 この中の血液は、もちろん、ある程度の酸素が満たされている状態で。
 無酸素状態など、血中の酸素量が低くなってくると、脾臓から血液が押し出されるらしく。
 ナタリア・イシェンコは、この脾臓の体積変化が、通常の人よりも大きい。
 それが、イルカ並みなんだそうで。

 この、脾臓が縮む際に、腹痛が起こってたらしい。
 私の場合。
 脾臓が縮む際に、腹膜だかが、引っ張られて、ひきつれるような痛みだそうで。
 そうそう、そんな感じの痛さ。
 イシェンコは、痛くないんですかねえ。
 鍛えていると、組織の柔軟性も違うんやろか?

 じゃあ、なんで、私の場合、脾臓が縮まないといけないほど、酸素量が下がるんでしょう?
 モタモタ走っているので、筋肉が激しく消費している訳ではない。
 なんて話で。
 日ごろから、運動不足だったために、呼吸の際に使う筋肉が鍛えられておらず、運動をしない際の肺活量には問題はなくても、ちゃんと深い呼吸ができていなかったんだろうって結論に達した。

 とまあ。
 謎の腹痛は、自業自得。
 そうだったのか。

 でも、すっきりしました。
 今なら、もうちょっと、走れるかなあ。
 ランちゃんに、日々、引っ張りまわされているしなあ。


 子供のころから、今に至るまで。
 え~?何で?
 って、いろんな疑問が、しょっちゅう湧いて来ます。
 世の中は、不思議でいっぱいです。
 理由を知りたい。
 それは、私の行動の際の、100人いれば100通りの、やり方だなあと思いつつ。
 そういう、自衛手段としての疑問に始まったはずが。
 完全に、習性になってしまっています。
 ホンマに、あらゆることに、疑問を持ちます。
 そして、考える。

 きっと、昆虫食で、移動生活をしていた頃なら、真っ先に、天敵に捕食された固体だっただろう。