先日、杉田かおるが、NHKの番組に出ていた。
お母さんの介護をされていたらしい。
杉田かおるに、共感してしまった。
途中から見たので、最初のところを見てないんですけど。
多分、杉田かおるって、子供のころから、子役でお仕事をしていて、その分、親との関係で葛藤があったと思うんですよね。
そんなこともあって、壊れ気味の無鉄砲なキャラだったんだと思うんですが。
何か、良い人でした。
自分の気持ちだけでは、どうこうすることができなかったとげとげとした部分がなくなって、穏やかになれたような感じというか。
母との時間を持てたことが良かったと。
ああ、それはそうかもなあと、自分のことを省みて思う。
親子の間で、それなりに何か引っ掛かりのようなものが残っているというのは、ありがちなことなんだろうと思う。
介護で、保護者と被保護者が入れ替わった時、関係が変わる気がする。
ウチの母は、兄弟の中では、真ん中っ子で、第一子のように注目はされるけどプレッシャーも多い立場でもなく、末っ子のようにかわいがられるわけではなく。
がんばってアピールして、注目を集めようと努力しなくてはならないポジションだったのだ。
なんせ、調子いい。
場当たり的に、自分をよく見せるための小さな嘘をつく。
私の場合、堅苦しいリケジョで、何もしなくても注目を浴びる第一子で、ヘンにしつけなんかにも親の力が入っていて、親の勘違いの被害を受けやすい立場だった。、
生育歴なのか、元の性格なのか、物事を不正確に伝えるのことに、引っ掛かりを感じるタイプで。
それなのに、母と言ったら、病院で自分の状態を伝えるのさえ、ごまかす。
痛いと言ったら、何かまずそうな気がするから、黙っとこう、みたいな。
先日なんか、回復期の病院からの、退院に向けたカンファレンスがあったんですが、「退院の相談で会議をするねん」と母に伝えると、母が言った。
「はよ退院したいから、エエように言うといて。」
エエようにって・・・・・・(^^;
「あんなあ。嘘なんかつかんでも、もうみんな、速攻で、退院させる気満々やから。」
と、母とそんな珍妙なやりとりをしつつ。
母に対して、保護者としてこうあって欲しいみたいな願望を含めた、依存的な気持ちで見ていた自分と違う、一人の人として、違った切り口で見るようになった。
しかし・・・・・・この調子のいいキャラで、今まで雄々しく生き延びて来たんやなあと思う。
求人広告を見て、体当たりの出たとこ勝負で、仕事を決めて来て、根性で働いてきた。
生きることに前向きで、貪欲だと思う。
自分の欲望に、とても素直だ。
まあ、人間の、一番根幹の部分やもんな。
母は、世話をされる時は、意外と素直だ。
これは、真ん中っ子だからなのか、生まれ持った性格なのか。
母のプライドを尊重するようには気を付けているけど。
あんまり、後ろ向きなことや、ひねくれたことを言わない。
ただ。
時々、嫌なことをいやだといわず、我慢しているなあと、ふと思うことがある。
今日、介護施設でお泊りの予定だったのをキャンセルして、家に帰って来た。
というのは。
叔母が、母のために、スナップエンドウといちごとほうれん草を届けてくれたんだけど、いちごの日持ちが限界な気がして、急きょ、家でご飯にした。
お迎えに行ったとき、看護師さんによると、あまり食べ物がはいってないと仰ってた。
むむ。
嫌いなものが出たか。
いや、この頃は、余程食べたいと思う物でないと、意欲が湧かないらしく。
家に帰って来て、あらかじめ予定していた好きそうなものを、今食べたいか、母に最初に確認して、順番に出した。
全部そろってから出すと、一気に食べるので、できた物から食卓に出す。
順調に食べている。
でも、入院前より、おなかがいっぱいいになるのが早い。
少量ずつの3品目で、おなかがいっぱいになったらしい。
焼くだけの、出来合いの餃子は、お腹がいっぱいで入らないという。
じゃ、最後に小ぶりのイチゴ、3個要るというので、3個ヘタを取って練乳をかけた。
母が食べている間に、母が食べる以外の物で、自分が食べる物を追加で準備して、食卓に持って行った。
餃子も。
ノンアルコールビールを飲みながら、餃子を食べていると。
「一個だけちょうだい。」
とかいう。
お腹いっぱいで、苦しそうに見えるけど。(^^;
餃子を食べて、苦しそうにしている母を。
「がんばれ、吐くな!」
と励ましつつ、隣で食べる。
そのあと、ベッドに連れて行き、頭と足を上げ、しばらくして落ち着いた頃に、ベッドの上でパジャマに着替えさせて、ランの散歩に出た。
家に帰ってくると、気持ちよさそうに寝てた。
病院でも、介護施設でも、よそでは意外と食べていない。
家なら、母の嫌いなものは出さない。
好きそうなものを、選んで買ってくるし、欲しいかどうか確認する。
家では、頑張って食べている。
こんな手抜きなんですけどねえ。
そういえば、ずっとずっと前、友達が言っていた。
彼女のお子さんが小さかった時、卵焼きをおいしそうに食べるのがかわいい。ただの卵焼きなんやけどああと思うと、ああなんてかわいいんやって、思うって。
そんな感じ。
介護をしながら思う。。
ああ、私でも、必要としてくれているんだなあと思うと、ちょっと、自分の存在を肯定できる気がする
ペットと飼い主が見つめあった時、幸せホルモンのオキシトシンが、犬の側にも飼い主の側にも脳内で分泌されるんだそうだ。
母との今の関係でも、出ている気がする。
人には、きっと、そういう時間も必要なんだと思う。
杉田かおるの言葉からは、そういう私の気持ちと同じ気持ちが感じられた。
私自身、我が強いし、自己主張は強いし、お仕事辞めて、ガラスの仕事をするとか、とんぼ玉作家になるとか、親戚での評価は、ひどいことになっていた気がする。
ただ、このところ、親戚であつまったときや、個人的に出会ったとき、ひしひしと感じる。
どうも、ここの所の、私の評価は、うなぎ上りに高まっている。
ただいま、良い人キャラで売り出し中。
今までの人生で、あんまりそんなことはなかったからなあ。
今だけかも知れへんから、良い人のふり発言をしとこう。
正直なところ、老人は、明日は分からない。
今食べてくれているのは、明日には分からない。
だけど、この瞬間、この一口がおいしかったら、まあエエか。
そんな風に思う。
ホンマに、今、なんやな。
今、この一瞬が、全てなんやなあと思う。
それを言うなら。
自分だってそう。
瞑想では、今に集中するんだそうだ。
介護という未知の経験を通して、いろいろ、考え方や物の見方に、変化があった気がする。
それもまた、良かったのかなあ。
お母さんの介護をされていたらしい。
杉田かおるに、共感してしまった。
途中から見たので、最初のところを見てないんですけど。
多分、杉田かおるって、子供のころから、子役でお仕事をしていて、その分、親との関係で葛藤があったと思うんですよね。
そんなこともあって、壊れ気味の無鉄砲なキャラだったんだと思うんですが。
何か、良い人でした。
自分の気持ちだけでは、どうこうすることができなかったとげとげとした部分がなくなって、穏やかになれたような感じというか。
母との時間を持てたことが良かったと。
ああ、それはそうかもなあと、自分のことを省みて思う。
親子の間で、それなりに何か引っ掛かりのようなものが残っているというのは、ありがちなことなんだろうと思う。
介護で、保護者と被保護者が入れ替わった時、関係が変わる気がする。
ウチの母は、兄弟の中では、真ん中っ子で、第一子のように注目はされるけどプレッシャーも多い立場でもなく、末っ子のようにかわいがられるわけではなく。
がんばってアピールして、注目を集めようと努力しなくてはならないポジションだったのだ。
なんせ、調子いい。
場当たり的に、自分をよく見せるための小さな嘘をつく。
私の場合、堅苦しいリケジョで、何もしなくても注目を浴びる第一子で、ヘンにしつけなんかにも親の力が入っていて、親の勘違いの被害を受けやすい立場だった。、
生育歴なのか、元の性格なのか、物事を不正確に伝えるのことに、引っ掛かりを感じるタイプで。
それなのに、母と言ったら、病院で自分の状態を伝えるのさえ、ごまかす。
痛いと言ったら、何かまずそうな気がするから、黙っとこう、みたいな。
先日なんか、回復期の病院からの、退院に向けたカンファレンスがあったんですが、「退院の相談で会議をするねん」と母に伝えると、母が言った。
「はよ退院したいから、エエように言うといて。」
エエようにって・・・・・・(^^;
「あんなあ。嘘なんかつかんでも、もうみんな、速攻で、退院させる気満々やから。」
と、母とそんな珍妙なやりとりをしつつ。
母に対して、保護者としてこうあって欲しいみたいな願望を含めた、依存的な気持ちで見ていた自分と違う、一人の人として、違った切り口で見るようになった。
しかし・・・・・・この調子のいいキャラで、今まで雄々しく生き延びて来たんやなあと思う。
求人広告を見て、体当たりの出たとこ勝負で、仕事を決めて来て、根性で働いてきた。
生きることに前向きで、貪欲だと思う。
自分の欲望に、とても素直だ。
まあ、人間の、一番根幹の部分やもんな。
母は、世話をされる時は、意外と素直だ。
これは、真ん中っ子だからなのか、生まれ持った性格なのか。
母のプライドを尊重するようには気を付けているけど。
あんまり、後ろ向きなことや、ひねくれたことを言わない。
ただ。
時々、嫌なことをいやだといわず、我慢しているなあと、ふと思うことがある。
今日、介護施設でお泊りの予定だったのをキャンセルして、家に帰って来た。
というのは。
叔母が、母のために、スナップエンドウといちごとほうれん草を届けてくれたんだけど、いちごの日持ちが限界な気がして、急きょ、家でご飯にした。
お迎えに行ったとき、看護師さんによると、あまり食べ物がはいってないと仰ってた。
むむ。
嫌いなものが出たか。
いや、この頃は、余程食べたいと思う物でないと、意欲が湧かないらしく。
家に帰って来て、あらかじめ予定していた好きそうなものを、今食べたいか、母に最初に確認して、順番に出した。
全部そろってから出すと、一気に食べるので、できた物から食卓に出す。
順調に食べている。
でも、入院前より、おなかがいっぱいいになるのが早い。
少量ずつの3品目で、おなかがいっぱいになったらしい。
焼くだけの、出来合いの餃子は、お腹がいっぱいで入らないという。
じゃ、最後に小ぶりのイチゴ、3個要るというので、3個ヘタを取って練乳をかけた。
母が食べている間に、母が食べる以外の物で、自分が食べる物を追加で準備して、食卓に持って行った。
餃子も。
ノンアルコールビールを飲みながら、餃子を食べていると。
「一個だけちょうだい。」
とかいう。
お腹いっぱいで、苦しそうに見えるけど。(^^;
餃子を食べて、苦しそうにしている母を。
「がんばれ、吐くな!」
と励ましつつ、隣で食べる。
そのあと、ベッドに連れて行き、頭と足を上げ、しばらくして落ち着いた頃に、ベッドの上でパジャマに着替えさせて、ランの散歩に出た。
家に帰ってくると、気持ちよさそうに寝てた。
病院でも、介護施設でも、よそでは意外と食べていない。
家なら、母の嫌いなものは出さない。
好きそうなものを、選んで買ってくるし、欲しいかどうか確認する。
家では、頑張って食べている。
こんな手抜きなんですけどねえ。
そういえば、ずっとずっと前、友達が言っていた。
彼女のお子さんが小さかった時、卵焼きをおいしそうに食べるのがかわいい。ただの卵焼きなんやけどああと思うと、ああなんてかわいいんやって、思うって。
そんな感じ。
介護をしながら思う。。
ああ、私でも、必要としてくれているんだなあと思うと、ちょっと、自分の存在を肯定できる気がする
ペットと飼い主が見つめあった時、幸せホルモンのオキシトシンが、犬の側にも飼い主の側にも脳内で分泌されるんだそうだ。
母との今の関係でも、出ている気がする。
人には、きっと、そういう時間も必要なんだと思う。
杉田かおるの言葉からは、そういう私の気持ちと同じ気持ちが感じられた。
私自身、我が強いし、自己主張は強いし、お仕事辞めて、ガラスの仕事をするとか、とんぼ玉作家になるとか、親戚での評価は、ひどいことになっていた気がする。
ただ、このところ、親戚であつまったときや、個人的に出会ったとき、ひしひしと感じる。
どうも、ここの所の、私の評価は、うなぎ上りに高まっている。
ただいま、良い人キャラで売り出し中。
今までの人生で、あんまりそんなことはなかったからなあ。
今だけかも知れへんから、良い人のふり発言をしとこう。
正直なところ、老人は、明日は分からない。
今食べてくれているのは、明日には分からない。
だけど、この瞬間、この一口がおいしかったら、まあエエか。
そんな風に思う。
ホンマに、今、なんやな。
今、この一瞬が、全てなんやなあと思う。
それを言うなら。
自分だってそう。
瞑想では、今に集中するんだそうだ。
介護という未知の経験を通して、いろいろ、考え方や物の見方に、変化があった気がする。
それもまた、良かったのかなあ。