Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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花粉症~ボーイから清原まで盛り沢山!

2016-02-23 | 諸行無常…let it be







今日も美味しい…いつも美味しい!

(^ν^)幸

嗜好品は個人差があるから、ゴリ押しはしませんが…
僕には、ベローチェのコーヒーが、一番あってます。


今年も、とうとう花粉の大群が押し寄せて参りました。

迎え撃つは、New鼻うがい方!

昨年秋から鼻うがいがマイブーム!

はたして、この季節に、どんだけ効果あるのか!(ーー;)


そして、今年も花粉に、参りMONSTERしてしまうのか?

清原ファンには、清原ショックが、未だに合点がいかない様子。

僕もまた、その1人です。

そして、矢追チルドレンとして苦言!

|( ̄3 ̄)|

清原1人に、この季節を押し付けて、いろんな出来事やいろんな人物が、隠蔽され、スルーしようとしている。
そんな社会の闇を…
そこのダンナ!忘れちゃいけやせんぜ‼︎

ハイハイ、また始まった(笑)…(^^;;






Oh~ゝボーイ!

偉人への、世界中からの追悼と賞賛のメッセージは、訃報から1ヶ月以上経過したのに、まだまだ、広がり続けています。

レディガガのグラミーでの、パフォーマンスしかり…

デビットボーイの大河を観る思いです。


ジョンレノン、フレディマーキュリー、そして、忌野清志郎がそうであったように…


死の悲しみを、超越したところでの、偉人の再確認と、偉人へのリスペクトなのだと、僕は、そう感じました。




人は、ある時から、顔に奥行きが表れるようになります。

それを、人間の魅力と、呼ぶのかもしれません。

顔は、人生の轍です。

僕は、四半世紀、GLASSONIONと言うフィルターから、人を眺める仕事をしてきました。

そして、ある頃から、観念で、人の魅力や価値を判断するようになりました。


なぜなら、形で見えるものなど、その人物の証明には、何の役にも立たないことが、長年の人物統計として、次第に分かってくるからです。

奥行きの深さを感じられる人を、僕はアーティストと定義して、そう呼んでいます。

僕はアーティストと出会うことを、いつも楽しみにしています。


どんな職業にも、アーティストがいます。



心穏やかに、目を閉じ、じっと、正座するだけで、大海が見える人もいれば、七つの海を、幾度航海しようと、自分が大海にいたことすらにも、気づけない人もいる。


"井の中の蛙大海を知らず"とは、形として外の景色を見に行くことではなく、観念としての風景なのです。

それがつまりは、人間の奥行きのことなのだと、僕は、思います。

一般人と偉人との違いは、生まれながらに、奥行きを背負った人なのだと思います。

その多くの過去の偉人たちが、証明してくれています。

預言者なのでしょう。

キヨシローやジョンがそうであったように、ボーイもまた、ある意味預言者でした。

例えばこの名曲!

『スペース・オディティ』



一般的に言う、アーティストと呼ぶジャンルでは…。

音楽家にも、二種類います。

音楽を観念で捉える音楽家と、ただの音楽家です。

観念で捉える音楽家を、僕は、アーティストと呼んでいます。


宗教のジャンルもそうです。

坊主にも二種類います。

仏教を観念で捉える坊主と、ただの坊主です。

観念で捉える坊主は、アーティストです。





ジョンもフレディもキヨシローも、そして、ボーイも、アーティストでした。


空海も親鸞も、おそらく、アーティストだったと思います。




人間社会は、無数のコンプレックスで成り立っています。

人の心は、コンプレックスでできています。

文明は、コンプレックスの集約化。

そう言い切っても、過言ではないと思います。

例えば、飲み屋の店主と、寺の坊主は、似た者稼業と、よく言われます。

From heart To heart

の商いだからです。

闇に孤独を、どう葬りされるのか。

それが、飲み屋と坊主の永遠の研究テーマです。

個々の孤独を、それを導き、誘導するのが、飲み屋と坊主の、日々の仕事です。

夜が明ける前に…