今でも、ブロンディの名曲の数々を、聴く機会はよくあります。
作品としてのクオリティの高さを、今改めて思います。
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タイムマシンで、遡りますと…。
僕が上京して大学生活にも、ようやく慣れた頃に、ブロンディが、街のいたるところから、聴こえてきたのを思いだします。
しかしながら、都会間もない、田舎者の僕には、デボラハリーは、あまりにお洒落で、あまりにカッコ良過ぎて、僕には、遠い遠い、憧れのセックスシンボルであり、遥か彼方の女性シンガーでした。
だから、学祭で、ブロンディやってる、大根足のデボラハリーを見つけては、この百姓がとヤジを飛ばしたものです。
その中の、大根デボラの1人に、ヤジを聞かれてしまい、バッファローの発情期みたいな顔で、倍返しで罵り返されたことがありました。
その大根デボラとは、今も友人ですm(_ _)m
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1978年~80年当時と言えば、僕が親戚を頼って、東武伊勢崎線の草加市に住んでた頃です。
当時の東武伊勢崎線は、暴走族の聖地みたいな沿線でした。
その光景たるや、あまりのカルチャーショックに、腰を抜かすことばかりでした。
週末の春日部駅前の景色は今も鮮明に覚えています。
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そして、演歌の街から、大学のある渋谷に到着すると、街のあちこちからは、デボラハリーのあのセクシーで甘い歌声で、溢れていました。
Heart of Glassは、今もキューンときます。
ちなみに、僕は、1982年のライブ映像が一番好きです。
数年前に、サマソニに来日したそうです。
彼女は、今も現役で、YouTubeで見ましたが、全くブレてなくて、今年70歳らしいですが、全く今も、当時のままのカッコいボーカリストです。
当時のNYパンクは、まだアンディウォーホルの匂いがして、その特有なモノトーンさが…宮崎の大草原の小さな家から出てきたばかりの僕には、夢のようなカッコよさで、僕にはむしろ、ロンドンぽいなぁと思いながら、NYもロンドンも知らないのに、そう思って聴いてました。
後々、わけあってロンドンに長期居候するようになって、ロンドンを夜な夜な徘徊しておりましたら、やっぱり"オラのあの時に感じたデボラは、本当だったべ"と再確認したのでした。
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