喜多圭介のブログ

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共生感のない家族

2007-01-07 00:04:23 | 文学随想

ウェブニースに顔が写っていた。凶悪、冷血な爬虫類の眼。どうしてこんな眼になる育ちをしたのか。歯科医志望はもとから不適性でないか。一見人相悪そうでも眼があどけないとか純心というヒトもいるので、顔でヒトを判断するのは見当違いが多いが、眼は心の窓というから、眼は口ほどに物を言う。両親はなぜこのことに気付かなかったのか。

 

ぼくがこうした事件に関心を寄せたきっかけは、1980(昭和55年)11月29日午前二時半ごろ、川崎市高津区の自宅で、受験浪人二年目の予備校生の一柳展也(いちりゅうのぶや)(当時20歳)が就寝中の両親を金属バットで殴打して殺害した、金属バット尊属殺人事件であった。

 

尊属殺人はまだこの頃は特異な事件であった。時代の流れの中で喪失しつつあった家族間の共生をテーマとした小説に取り組みたいと考えていたので、取りあえずの資料集めであった。家族の在り方を主題にした小説はすでに66年朝日新聞連載小説、三浦綾子著『氷点』にも描かれていた。しかし『氷点』と金属バット尊属殺人事件は、問題の核心が異なっていた。ぼくは今後金属バット尊属殺人に類した事件が、続出するのではないかと予感していた。

 

猫も杓子(しゃくし)も学習塾へと、学習塾ブームの始まりは70年代初頭からである。このことも家族の共生感喪失に関わってくる。ブームの下地は高度経済成長という右肩上がりの日本の経済発展、ここから誘引された大学進学熱の高揚に原因があった。現在の50代未満が関わっている筈だ。

 

女子短大生バラバラ殺人もそうだが、この種の事件は父親が高学歴、母親が名家の出(いわゆるお嬢さん育ちの世間知らず)というのが背景にある。一柳展也の父親は東大経済学部卒、母親は名門の酒造家の娘である。今回の事件の父親も祖父代々の歯科医であるから高学歴、家庭経済も裕福であろう。シンガーで俳優の武田鉄矢が誇るおかん、おとんはいなくなりつつある。

 

長男(23)も歯科大生、次男の殺人者は高校在学時から大学の歯学部志望、現在3浪中で、3年間にわたり歯学系予備校に通っている。親の甘やかしもほどほどにせい、と言いたくなるご身分の家庭である。妹になじられたことを「一生懸命勉強しているのに、いくら勉強してもだめだという意味に受け止めた」と言っているくらいだから、所詮(しょせん)歯科大への進学能力なし。あるいは父親は大学を断念して働けと指示したかったかもしれないが、60代年代の父親は高度経済成長の下支えとなる働き蜂習性を植え付けられていたから、家庭でのリーダーシップは喪失組が多い。言いたくても子どもの扱いがわからず、言い出せなかったかもしれない。ただし60代父親の働きで息子、娘は大学進学したことを忘れてはならない。

 

ご近所のかたが歯科医宅の写真をブログに載せておられた。三階建て鉄筋ビルの構造で、これなら各部屋個室である。「(事件までの)3年間は(亜澄さんと)話すことがなかった」と供述しているので、個室でないとこれは可能なことではないが、家族という枠組みで考えると非現実的、それだけ家族関係が異常であったとしか想像し得ない。

 

一柳展也の場合は、父親になじられ続け、母親もまた展也をかばうことがなかった。鬱積していたものがある夜爆発したのであるが、この事件と今回の事件の相違は殺してからあとの遺体の取り扱いにある。展也の場合は撲殺後の遺体は放置しておいたが、今回は遺体を十数個に切断、4つのポリ袋に入れ、自室のクローゼットなどに隠していた。胸部などは「流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分した」と供述している。一柳展也のときより凶悪さが二段階も三段階もレベルアップしている。

 

前例はある。宮崎勤連続幼女誘拐殺人事件、神戸須磨児童連続殺傷事件、あとは書かないが55年以降40件以上のバラバラ殺人事件が起こっている。凶行に及んだのは男性とかぎらない、女性の犯罪もある。

 

それにしても今回の事件は残酷かつ稚拙(ちせつ)。

 

疑惑の眼がすぐさま自分に向くことを考えにいれてなかったのか。犯行を隠蔽(いんぺい)したとは思えない有様。なにゆえの解体なのか? 憎悪感のすべてがタレント志望、個性の強いがんばり屋の妹に向けられたとも考えられるが、思考の単純化、おそらくここに殺人者の異常な人格を見ることになるにちがいない。

 

ぼくは注射器に自分の血が注入されるのさえ緊張するほうだから、人様の血は見たくない。戦争で敵兵と銃で向かい合えば、相手を殺すよりも自分を殺すほうを選択するのではないかと想像する。大岡昇平の名作『レイテ戦記』はこのことをテーマにしていたのでなかったか。

 

戦争体験者体験記や被爆作家原民喜の小説『夏の花』などを読むと、死んだ者を死者と視ると自分の神経が狂ってしまう。だから自然と物として見る、神経の麻痺した人間になっていくというようなことが書かれてあった。一見平和に見える今日の社会だが、このなかで同じような人間が育っていく精神の荒廃状況。

 

こうしたことは今回のテーマと外れるのでひとまず置いておく。

 

高度経済成長は91年のバブル崩壊で一段落着いたが、この間に国民の暮らしがレベルアップしており、以後は企業主有利の従業員リストラ法、労働力の派遣法施行の状況下で、大半の家庭はアップさせてしまった生活水準の維持に、四苦八苦、親も子も自分のことしか考えるゆとりがなくなっている。いや自分のことすら顧みる余裕がないのかもしれない。大きな時代の奔流(ほんりゅう)に投げ出された恰好で、手足をばたばたさせて泳いでいるのかもしれない。

 

外見住み心地の快適な一戸建て住宅、高層マンションに住んではいるが、都市部ほど隣近所との交流は地域の催し物の話題程度のことで、お互いの人格の一端を知り合う機会はない。それをインターネットのブログや掲示板で多少補っているが、こちらは顔が見えない。どこまでの信頼性があるかとなると、一度や二度は顔合わせしておかないと、トラブルこともあるので、こちらも表面的交流となりやすい。ヴァチャル・リアリティ・ワールド(仮想現実世界)だからそれでもいいのだが。

 

家族で協同して暮らしている実感が、親子ともに希薄になっている。政府、地方自治体もこうした現象に気付いていて、施策的に親子の催し、隣人との交流に取り組んではいるが、基本は家族のなかでの共生感の充実である。これなくして行政的取り組みを実施しても、それは表面的なことにすぎない。なによりも親子で心理的葛藤をしなければ始まらないが、昨今の親はこれを賢く避けている。今回の事件の両親もそうではないか。

 

3浪中である。「一生懸命勉強しているのに、いくら勉強してもだめだという意味に受け止めた」と、本人は強がりを言っていても内心は、受験の重圧に押しひしがれていたと想像する。しかし歯科大に進学すると言った以上本人は若気の至りで退くに退けない状況を自ら作り出してしまう。このことを両親が察しなければならないが、なまじ経済的ゆとりがあるので放置してしまう。こうなると本人にとって、今の状況は重圧であると同時に社会に出て労働しているのではないから、気楽である。歯学系予備校に通っておれば、一日一日が過ぎていく。

 

こういう弊害を無くすために、文部科学省は3浪以上の大学受験は認めない制度を検討してみてはと思う。なにも大学だけが人生達成の過程でもあるまい。高卒で社会に出て実学を学ぶ過程だってある。あるいは実学のあと大学進学する過程だってある。

 

親子での心理的葛藤を回避した結果、育ち行く子どもの人間性と野性味を喪失していく。人間の心が成長していく糧となるのは、人間関係の心理的葛藤である。これを10代のうちに経験しておくと、20代以降の葛藤はそれまでに身についた智慧によって解決していく。しかしこの経験を積み重ねていないと、2、30代になっても引き摺り、ときには暴発、ときには鬱やらパニック障害といった神経症になる。

 

幼年期からの心の鍛え方である。そして子どもにとっての葛藤相手は両親でなければならない。ただし両親の智慧としては父親、母親の役割分担が必要になってくる。

 

もちろん「共生感のない家族」の要因は以上のことだけではない。今日の風潮を指摘することもできる。両親ともに大学卒で晩婚となると、子育ての30代が両親にとっては職場の充実感の最盛期であったり、重責を課せられる状況にあるので、子育てに細やかな心配りをするゆとりがない。託児所預けという形になる。そして我が子が小学校に上がると、大学進学させたいための学習塾通い。きょうだい同士の心の絆(きずな)も築けない。両親は一体どの時点で、我が子と心理的葛藤場面を迎えているのだろうか。家庭内で問題が起こっても親が真剣にそのことに向かい合わないで、先送りの姿勢を取る。するとそのうち子どもは親に相談しなくなる。

 

この事件の次男も被害者である。両親の、そして社会風潮の。しかし鬼畜となってしまったからには、今後は恩赦のない無期懲役の労役の環境の中で、自分の生まれてきた意味を生涯かけて見つめて貰いたい。社会秩序を考えると、尊属殺人は殺人の中でも最も罪が重い。人間に戻る道はこのほかにはない。

 

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新宿・渋谷に遺棄、妻を逮捕 頭部も発見【1月11日 毎日新聞】


 東京都新宿、渋谷両区で昨年12月、切断された男性の胴体や下半身が相次いで見つかった事件で、警視庁新宿署捜査本部は遺体の身元を渋谷区富ケ谷1、外資系証券会社社員、三橋(みはし)祐輔さん(30)と特定し、10日、妻の歌織(かおり)容疑者(32)を死体遺棄容疑で逮捕した。祐輔さん殺害も認めている。捜査本部は同日、供述に基づき町田市原町田4の公園で見つかっていなかった祐輔さんの頭部を発見した。

 調べでは、歌織容疑者は昨年12月15~28日、切断した祐輔さんの胴体部分をゴミ袋に入れて新宿区西新宿7の路上に捨て、下半身を渋谷区神山町の民家の庭に捨てた疑い。
 調べに対し「12月12日早朝、酒に酔って帰宅した夫が寝た後、ワインのびんで頭を殴り殺害した。その後、渋谷区の雑貨店でのこぎりなどを買い、自宅で遺体を切断した」と供述。切断した遺体について「胴体は旅行用キャリアーケースに入れ、タクシーで捨てに行った。下半身は同じケースに入れて台車で運んだ。頭部は電車で運び、町田市の公園に穴を掘って埋めた」と供述しており、同課は1人で殺害、遺棄したとみている。

 2人は03年3月に結婚し、マンションで2人暮らし。動機について「結婚半年後から口論するようになり、生き方が合わなかった。夫から自分を否定することを言われ、暴行も受けたことから殺意を抱いた」と供述している。

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