ジーケン・オイラー 日々是プロデュース日記

音楽・CM業界に携わり20数年。現在、音楽以外にも多数日々プロデュース中。

芸能界修業篇・・・序章

2006-05-01 12:53:27 | Weblog
男というもの、過去を語る様になっちゃあ、おしまいでしょ。というのが僕の口癖だった。なので僕の黎明期を知る人は少ない。それがなぜ今こんな駄文をあからさまに残そうと考えたかと言うと、まあね、ずっと走り続けて来てちょいと疲れたのかな。今は小休止。一度今までの四半世紀を振り返ってみて、過去の自分からパワーを貰おうかと、そう考えた次第。ここからの話はかなり恥ずかし人生でもある。

高校卒業後、音楽の道を志したのはバンドで僕一人だった。つまりバンドは卒業と共に解散。ただ卒業後に一度だけYAMAHAの主催する「EastWest 東京大会地区予選」に参加した。無論本選には行けなかったが、とりあえずベストボーカリスト賞なる賞を頂戴した。その時の審査員はベーシストの鳴瀬喜博氏、ギタリストの山岸潤二氏。その寸評「フロントのボーカルとバンドのイメージの統一感のなさは一体なんなんや!!」思いっきり呆れられた。今でも思いだすが、無茶苦茶なステージ衣装だった。フロントのボーカル二人はえせサーファールック。当時の流行り。サーフィンなんてしたことないのに花柄のシャツにすその広がったサーフパンツにビーチサンダルという格好。通称陸(おか)サーファーと呼ばれていた。ギターはリーゼントにダボダボヨーロピアンコンチパンツ、ドラムスのマサシはパンチパーマに斜めサングラスに黒のシャツ、しかも足下は網サンダル、ベースの僕は上下カーキー色の作業服に腰になぜか手拭い。もうわけわからん。しかもバンド名が「紫陽花」演ってる音楽はフォークデュオ。解散して正解だったわ。
さて、僕は卒業後一人やることもなく、それでもなんとか音楽関係にぶら下がっていたいと考えていた。なんの保証もないし、当然コネもない。専門学校に行く気も無かった。それでも何とかなると思っていたようだ。とにかく気持ちだけはミュージシャンでいたかったので、どこに出掛ける時も必ずベースをかついでいた。バイトに行く時もデートの時も単なる買い物に行く時でさえ。単に無駄に重かったわ。その当時やっていたバイトは第三京浜のサービスエリアの立ち食い蕎麦屋、石油の配達、戸塚駅前の場末のピンサロのバーテン、沖仲仕・・・。とにかくなんでもやってた。そして最初の冬、人生初の音楽業界関係のバイトが舞い込んできた!!「寺内タケシとブルージーンズ」ローディ募集。事務所が伊勢佐木町にあった。相変わらず意味無くベース担いで面接に行くと即日採用。後で聞いたら前日にローディが一人逃げ出したからだった。
いやはや、初めて接した音楽業界はハンパではなかったよ。なにせ自分も2ヶ月で逃げましたもの。しかし良く2ヶ月も持ったもんだわ。何がローディだっちゅうねん。いわゆる当時で言うボーヤ。バンドメンバーの使いッパシリが中心&叩かれ役。寺内タケシという人はバンドメンバーを徒弟制度で雇っていくので次々にメンバーが入れ替わる。メンバーとは言え、寺内大将の子分だから無茶苦茶な扱いを受ける。少しでもとちると演奏中でもけっ飛ばされるし、普段から厳しい順列が存在する。そして、ミュージシャンですらないローディは当然一番の下っ端の人間以下。バンドさん達が大将から受けたストレスは更に増幅されて津波の如く僕に押し寄せる。一日中座ることは一切許されず、タバコ銜えたらすかさずライター、タバコが切れる前に買いに行かないとパーンチ!一日ほぼ20時間労働。そしてバイト代は一日3000円。しかも不定期。中でも強烈だったのは真冬のド真夜中に大将のキャデラックを洗わされたこと。車の下に潜って下も洗わされる。寒いなんてもんじゃない。濡れた所がパリパリに凍るんだわ。翌日の朝までにピッカピカにしておかないとまたもやパーンチ! 洗車後に雨が降ってきて再びパーンチ! 雨はオレのせいじゃないっちゅうに・・・。そして最も強烈だったのがやっぱり真夜中の事。関東地方台風上陸の日。「おう、寿司買ってこいや」の一言。そりゃむりっしょ・・・。でも否は許されない。土砂降り横殴りの雨ん中、伊勢佐木町の商店街走り回った。もちろん開いてる店なんてあるわけがない。コンビニなんてものが登場したのはそれから十年も後のこと。仕方なく閉店していた一軒の寿司屋のシャッターを叩いて土下座して一人前握ってもらった。ご主人は僕の事を完璧にヤクザの下っ端と勘違いしてくれたみたい。当時の伊勢佐木町は何かとヤクザのみかじめが厳しかった頃だったので、おかみさんが勘違いついでに同情してお茶まで出してくれた。しかーし・・・寿司折りぶら下げて帰ってみりゃ・・・「遅えんだばかやろー!!」とまたもやパーンチ!! もう殆どヤクザの見習いとおんなじ。それでもなんでも音楽関係にぶら下がっているという事だけでなんとか希望を見いだしてた。ごくごくまれにベースを教えてくれた事もあったし。その時も言われたね。「おめえリズム感わりいな」
そして、2ヶ月目の朝方大みそかの前日に逃げた。その月のバイト代はもういいやと思って諦めた。伊勢佐木町から戸塚までとぼとぼと歩いて帰ったね。まだまだ社会の厳しさも知らない18歳の冬の事。履歴書に自宅の電話番号も書いたから電話掛かってくると思ったけど音沙汰無しだった。ボーヤが逃げ出すのは日常茶飯事だったんだろうな。10年近く経ってからかな、CMの仕事で当時僕をぶん殴ってくれたギターリストに出会ってしまった。向こうは完全に忘れていた。こっちは既にディレクターだったから意趣返しに・・・なんて事はしないさね。名前は出せないが今でもたまにギターお願いしている。
しかし、まだまだこんなのは序の口だった。それから一年後本格的に芸能界に突入した・・・。つづく

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3 コメント

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Unknown (SAYA)
2006-05-01 18:18:50
いやぁその状態で、良く彼女がついてきたよなぁ・・って。

しかし・・”ザ・芸能界”ですねぇ~。
Unknown (ひよん)
2006-05-02 00:47:27
こりゃ1冊の自叙伝になりますね。

分厚そうですね。この本は。
いやぁ~。。 (asumi。)
2006-05-09 10:27:46
これ今流行りの

武勇伝ですね。