日本共産党 群馬県議会議員 酒井ひろあき

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尖閣諸島問題など7つの意見書に反対~伊藤祐司県議が討論

2012年10月23日 | 群馬県議会

伊藤祐司県議が9月定例会最終日(10月19日)におこなった意見書発議案に対する反対討論を紹介します。
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日本共産党の伊藤祐司です。会派を代表して通告しました7本の発議案について反対の立場から討論いたします。
 まず、個々の発議案の討論に入る前に、発議案のあり方について一言いいたい。今回は14本もの発議案が出ましたが、そのうち全会一致は半分です。議論のされ方も、いきなり文案が示されて、それで賛成か、反対か、というようなやり方。一致点を見いだそうという努力もありません。議会の意思として出す決議や意見書は本来全会一致を原則にするべきです。そのためにもこのような党派の思惑優先の発議案の乱発は慎むべきです。

 それでは個々の発議案に移ります。

議第25号は「2020年オリンピック東京招致を支援する決議」です。
 オリンピックにたいする国民的な関心は高い。そのことはロンドンオリンピックで活躍したメダリストたちのパレードに50万人もの人が集まったのをみても明らかです。しかし、2020年オリンピックの東京招致については、地元東京でも世論は大きく分かれます。IOCの世論調査でも正式立候補都市のなかで開催支持が半数にも満たない47%だったのが日本。イスタンブール、マドリードがともに7割を大きく超えているのと対照的でした。昨年度、東京都の「都民の声」に寄せられた意見の82%が招致反対だったといいます。
 声の内容は、「東北の復興、防災こそ優先するべき」「原発事故や放射能除去もほど遠い」「オリンピック開催準備金4000億円は防災・福祉の東京づくりにまわして、それがすすんだら招致すればよい」というものです。逆に都知事は、「外環道は五輪のために必要だ」と、1㍍1億円もかかる道路建設など巨大開発のテコにしようとしたり、「きれい事では勝てない」とODAをちらつかせて招致運動するよう示唆するなどフェアプレーの精神にも背く発言までしています。
 オリンピックの成功には、住民の心が一つになることが大切です。住民の声を無視した、このような招致活動に賛成はできません。

 次に26号ですが、論理の構成上27号、28号を先に論じます。

議第27号は「尖閣諸島問題に関する意見書」です。
 現在の日中間の緊張と対立は1972年の国交正常化以降で最悪の状況です。双方が物理的な対応を強化し、軍事的な対応へとエスカレートして行くことだけは絶対に避けなければなりません。どうすれば冷静な外交交渉による解決の道に持ってゆけるのか、知恵の絞りどころです。わが党は、領土問題を解決するためには、相手国の国民をも納得させるような事実と道理を主張することが絶対に必要だと考えます。そのくらいの意気込みでないとこの問題は解決しません。
 尖閣諸島についてわが党は、詳細な研究をおこない、1972年に、この島が正当な日本の領土であるとの「見解」を明らかにしました。さらに今日の事態に即して検証を加え、先月、あらため「提言」を出しています。
 日本の領土であるという根拠は3つあります。第一に、日本は1895年に尖閣諸島の領有を宣言しましたが、これは、それまで持ち主がいなかった土地を先に占有する「無主の地」の「先占」で国際法上まったく正当な行為でした。中国側は明代や清代から固有の領土だと主張していますが国家として実効支配していたことを証明する記録は一つも示し得ていません。
 第二に、中国側は1895年から1970年までの75年間、日本の領有にたいして一度も異議や抗議を表明していません。他国による占有の事実を知りながら反対の意思表示をしない場合は、その国の領有を黙認したとみなされることは国際法上の法理です。これにも中国側は有効な反論ができません。大きな弱点です。
 第三に、日清戦争に乗じて日本が不当に奪い取ったという中国側の主張ですが、日清戦争の講和条約である下関条約や、それにかかわる交渉記録を詳細に調べてみても、日本が不当に奪い取ったのは「台湾とその付属島嶼」と「澎湖列島」で、そこに尖閣諸島は含まれていません。ここでも中国側の主張はなりたたないのです。
 これほど明確な根拠がありながら、なぜ今日のような事態になっているのか。それは歴代政権の対応に重大な問題があったからです。
 中国は1970年には尖閣諸島の領有をいいはじめています。ところが日本政府は72年の国交正常化の際も78年の日中平和友好条約締結の際も、尖閣問題を棚上げしたのです。公表された議事録をみると、72年の首脳会談で当時の田中角栄首相が「尖閣諸島についてどう思うか」ともちかけ、周恩来首相が「今これを話すのは良くない」と応じて双方で「棚上げ」するという事実上の合意を交わしています。78年には中国の鄧小平副首相が「尖閣は20年も30年も放っておこう」というと園田外務大臣が「閣下、もうそれ以上言わないでください」と応じている。
 本来なら日本政府は、国交正常化や平和友好条約締結時に尖閣領有の正当性をしっかりと主張するべきでした。「棚上げ」という対応はだらしない外交態度だったと言わざるを得ません。だいたい「棚上げ」ということは領土問題の存在を認めたことになる。
 にもかかわらず、その後、歴代政権は「領土問題は存在しない」という態度をとり続けてきました。国連総会で中国が具体的な論立てで領有を主張しても、日本は理を尽くした主張ができず、野田首相も「我が国固有の領土であることは明々白々」くらいしか言えない。まともな反論もできない自縄自縛に陥っているのです。「領土問題は存在しない」と突っぱねることは一見「強い」ように見えても外交においては弱い。日本は完全に押し負けています。このままでは世界中が中国に軍配を挙げかねません。
 意見書案には今日の事態について、民主党政権の「外交の基本姿勢の欠如が招いたものである」と書いていますが、その基本姿勢は歴代の自民党政権の姿勢であって、民主党はそれを踏襲しているに過ぎません。事実誤認であり、責任の転嫁であります。
 なぜ歴代政権が、この問題に正面から取り組めないのか。そこには過去の侵略戦争にたいする根本的な反省が欠けているからであります。根本的な反省がないから侵略で奪い取った島と正当に領有した島の仕分けができない。「台湾は不当に奪い取って悪かったけれど尖閣諸島は違うよ」という論立てができないのです。
 折しもEUがノーベル平和賞を受賞しました。その基軸となったのはナチスの侵略戦争を正面から反省したドイツと隣国フランスの信頼関係です。今こそ日本も、そこから学ばなければならないと思います。
 連日ニュースが報じるように、日中に「領土問題に関わる紛争」があるのは誰の目にも明らかです。それを正面から認め「外交不在」から「外交攻勢」に転じることこそ、尖閣問題解決の唯一の道であります。
 意見書案は、「領土問題が存在しないという明確な事実を国際社会に示す外交努力」を求めていますが、いったいどんな外交でしょうか。それこそ領土問題が存在していますと言って回ることになる。こういうのを自己矛盾といいます。問題をこじらせるばかりの物的な対応の強化も含めて、このような意見書案に私たちは到底賛成できません。

議第28号は「対韓国外交の見直しを求める意見書」です。
 竹島をめぐる日韓の緊張と対立も激化しています。憲法によって国政についての権能を有しない天皇に対する李明博大統領の発言など、日本の政治制度を理解しない論外の言動も目立ちます。しかし、この領土問題の解決も物理的な対応の強化では一つも解決しません。道理に立った外交が必要です。
 日本政府は1905年、この島であしか漁をしていた中井養三郎氏の求めを受け、同島を日本領として島根県に編入しました。戦後のサンフランシスコ講和条約も、竹島を日本が朝鮮に対して放棄する島の中に含めていません。日本の竹島に対する領有権の主張には歴史的にも国際法的にも明確な根拠があります。
 しかし、尖閣諸島と違うのは、竹島の領有時期が日本が韓国を武力をもって植民地化していく時期と重なる点です。日本は1904年に「第一次日韓協約」によって、すでに韓国の外交権を事実上奪っており、韓国は異議をとなえることができませんでした。
 いま問題なのは、日韓間に解決を話し合うテーブルがないことです。竹島領有の歴史的事情を考えるならば、日本政府が過去の植民地支配にたいする根本的反省と精算を行うことが、この問題での冷静な話し合いのテーブルをつくる上で不可欠です。
 もう一つ付け加えるならば、竹島について日本は外交交渉を求めています。しかし実効支配している韓国は「領土問題は存在しない」という。一方、日本が実効支配している尖閣諸島については日本は「領土問題は存在しない」と言う。片方で外交交渉を求めているのに片方は外交交渉はしない――こういうダブルスタンダードは説得力がなく、ますます日本の外交を弱くしているのです。
 意見書案は、物理的な対決姿勢の強化ばかり求めています。問題解決に何の役にも立ちません。植民地支配のもとで日本が韓国から奪ってきた韓国民の宝ともいえる「朝鮮王室儀軌」を返還したことについて過剰な配慮だとするに至っては植民地支配への反省のかけらもありません。このような意見書の採択に強く反対します。
 

次に議第26号「公正な教科書検定を求める意見書」です。
 この意見書案は、日本が過去に起こした侵略戦争を「正しい戦争」「正義の戦争」だったと記述する教科書を日本の教科書の主流にしようという意図の元に出されています。このような意見書に賛同する方は、いったいどんな日本人をつくろうとしているのか。
 明治以降、日本がアジア各国に侵略の手を伸ばしたのは紛れもない事実です。台湾を奪い、韓国を併合し、満州国をでっち上げ。とりわけ中国との15年にわたる戦争、そして太平洋戦争では、アジア中で2000万人を超える犠牲者をだしました。これらは歴史的に確定した事実であり、日本は加害者です。これを正しく教えることがなぜ自虐的で反日的なのか。これを教えると自国の歴史に誇りを持つことができないなどとなぜ言えるのですか。
  「過去に目をつむる者は未来に対しても盲目である」と、かつてドイツのワイツゼッカー大統領が演説しました。ナチスドイツの侵略と犯罪をしっかりと教育しているドイツが自国に誇りを持てない自虐的で自信のない国ですか。EUの中心として隣国の尊敬をあつめ、自然エネルギーへの転換で世界を引っ張る堂々とした国ではありませんか。
 逆に、あの侵略戦争は正義の戦争だった、などという歴史認識で、アジアの人たちと仲良く貿易できますか。尊敬される国になれますか? 群馬県は上海に事務所を開いて何をしようというのですか。訪れた中国人に歴史を問われたら何と答えるのですか。
 正しい歴史を教えることが自虐的などというのは、まったく誤った考えです。隣国に媚びへつらうことでもない。自分の国の過去の過ちを正面から見据えることができないようでは、他国の過ちについても説得力をもってしっかりと発言できないのです。侵略戦争への正しい認識があってこそ領土問題でも自国の主張を堂々と述べることができることは先ほど論じたとおりです。
 小説でも、ドラマでも、漫画でも、自分の誤ちを棚に上げて傲慢な態度をとる者は、どんなに強くても、嫌われ者の典型です。私は、子どもたちをそんな日本人にしたくない。世界から尊敬される、堂々とした日本人を育てる意味からも、このような恥ずべき意見書には断固反対します。

議第32号は「利根川水系河川整備計画の早期策定と八ッ場ダム本体工事着工を求める意見書」です。
 意見書案は、利根川水系河川整備計画の早期策定を求めています。
 そもそもダムというのは河川整備計画の中で、その必要性が位置づけられなくてはなりません。八ッ場ダム建設の前提条件であることは明白です。そして河川法は、河川整備計画の策定にあたって流域住民の意向をしっかりと反映させることを求めています。
 利根川水系河川整備計画は2006年11月に策定作業がはじまりました。当時国交省は、公聴会や有識者会議、パブリックコメントなどを繰り返しおこなって原案を何度も修正する、という策定手順を示していました。ところが、理由不明のまま2008年5月から中断です。
 今回、河川整備計画の策定が八ッ場ダム建設再開の条件とされたことで策定作業がにわかにはじまり、利根川・江戸川有識者会議も再開しましたが、当初の策定手順とは異なった異様な展開となっています。
  21人もいる有識者の都合や膨大な資料を読み込む時間的猶予も考えて、通常なら2~3ヶ月に1回くらいのペースで開催されるはずが、9月25日に4年ぶりに再開されると10月4日、16日と連続開催の異様なペースです。そのため4日の会議などは出席が10名と半数を割る始末です。利根川水系は、わが国最大の集水面積を持ち、たくさんの支流があります。首都があり、人口が密集し、社会的な影響も大きい地域です。広く意見を聞き、慎重な計画策定が求められているのにあまりに拙速です。
 また、河川整備計画を本川と支流に分け、本川の整備計画だけで利根川整備計画を策定したことにしようとしています。しかし、官房長官裁定が求めているのは利根川水系の河川整備計画であり、本川だけの計画では条件をクリアしたことになりません。
 河川整備計画は、治水、利水、環境など河川に関するあらゆる問題を総合的に考えて策定するものです。ところが国交省は、八ッ場ダムを正当化するために膨らませた洪水の目標流量を有識者会議に示し、その数字だけを先に決めさせようとしてきました。今朝の新聞では国交省提出の資料の「捏造」疑惑が報じられています。目標流量を決めるにしても、それを達成するにはどのような河川施設が必要で、どの程度費用がかかり、環境への影響はどうなのか、いろいろ考えなければ是非は判断できません。なのに性急なことに16日の会議では、国交省の意を受けた座長が「議論が平行線だから」と目標流量議論の打ち切りまで言い出しています。
 このようないい加減で意図的な議論で利根川水系の河川整備計画がたてられてはたまりません。急がせるよりも慎重な策定を求めるべきです。
 意見書案は「平成27年度までのダム完成の遵守」もうたっています。実現不可能なことをなぜ求めるのでしょうか。前田前大臣は、今年2月の衆議院予算委員会で「本体工事に着工してから7年で完成」と答弁しています。本体工事は、現在行われている利根川水系河川整備計画の策定後であるから、仮に今年度中にに策定され、八ッ場ダムが位置づけられたとしても完成は平成32年度以降です。27年度ということは7年の工期を2年でやれと言うのです。手抜き工事でもやれと言っているようなものです。あまりに無責任であります。
 私は、ダム湖周辺のぜい弱な地質を繰り返し指摘してきましたが、地滑りでも起これば、さらに10年単位で完成は先延ばしとなるでしょう。
 水没地域周辺の遺跡発掘がすすむなかで、八ッ場には縄文時代から江戸時代まで、たくさんの遺跡が出土しました。とりわけ天明3年の浅間噴火にともなう、日本のポンペイともいえる貴重な遺跡が眠っていることがクローズアップされてきました。ダム湖観光にすがる生活再建はまったくの絵に描いた餅です。吾妻渓谷を生かし、温泉を生かし、そして史跡を生かした生活再建をすすめるべきです。そうした観点から、この意見書には賛成できません。

次に議第33号「警察官の増員に関する意見書」です。
 群馬県の警察官の定員数は、他の公務員が軒並み減員となるなか、一貫して増え続けています。今年度は3377人。10年前と比較して455人も増えています。本県はすでに人口減少が顕著ですが、それでも警察官は増員です。
 一方、刑法犯認知件数は平成16年の42,643件をピークに大きく減少し、昨年は20,981件でした。平成15年に350件を超えていた重要犯罪認知件数も昨年は150件を割って大幅に減じています。検挙率も大きく向上しています。意見書案は「社会的反響の大きい殺人等の重要犯罪が増加している」と書いていますが、これは事実に反しています。
 それでも犯罪の防止は県民の願いですから、別の角度から検討しようと思い、この間の増員で県警本部の定員がどう割り振られたか。刑事、警備、交通、生活安全、地域の各分野毎の推移を求めましたが、出せないと言います。
 昨年の文教警察常任委員会で警備部長は、日本共産党が暴力革命の方針を堅持して活動しているなどとして、わが党の動向調査、警察活動を遂行している、と発言しました。議会制民主主義によって社会を変えようという現在の綱領路線を確立して60年以上平和的に活動しているわが党をいまだに監視し、暴力革命路線の証拠の欠片も見いだせない。全くの血税の無駄遣いです。動向調査ということで、私も含めた共産党員の私生活も監視しているのだとすれば、基本的人権を侵害する明白な憲法違反です。
 このような部署に何人置いているのか知りませんが、直ちになくして刑事や交通、地域に回すべきです。
 増員理由が明確でないこのような意見書には賛成できません。

◇最後に議第36号「特例公債法の早期成立を求める意見書」について述べます。
 特例公債法案が成立せず、地方の財源がピンチになる――という事態をつくりだした責任は、民主、自民、公明の密室談合による消費税増税法案の強行と、その後の茶番劇ともいえるような政局をめぐる動きにあります。最も責任が重いのはもちろん民主党ですが、政府は、地方自治体の金融機関からの借り入れにより生じる金利負担については国が負担する旨を表明しています。となると、問題なのは特例公債法そのものの是非であります。
 わが党はこの法案には反対です。それは、この法案が、今年度予算の財源を確保するためのものであり、わが党が反対する予算と一体のものだからです。
 今年度予算は、消費税増税を前提とし、さらに年金の支給額の削減、子ども手当の削減など社会保障の連続改悪を進めるものです。国民の多くが、生活を切り詰め、将来不安を抱えている時、野田内閣は2015年までに約20兆円もの新たな負担を庶民に押し付けようとしているのです。くらしも、経済も、財政も破壊する道に踏み出す予算に賛成できないのは当然です。
 財源を生み出すには、富裕層や大企業への減税をやめ、アメリカへの思いやり予算、政党助成金の廃止、大型開発の抜本的な見直しをすすめることこそ先決です。
 そのような問題だらけの特例公債法の早期成立を求める意見書には賛成できません。
 以上で私の討論をおわります。