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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

瀬戸内寂聴さん

2021年11月14日 | 社会・政治問題

 瀬戸内寂聴氏の大往生が報じられた。

 瀬戸内晴美時代の小説を1冊読んで「自分には合わない」と思った以降、氏の著書を手にすることも無かったが、時折の報道で知る限りでは得度して世俗(愛欲)を棄てた後には多くの女性信者の精神的支えとなっての大往生らしい。
 寂聴氏は終生「憲法9条堅持」、「戦争・自衛隊反対」を固持されていたが、その結果・波及については「9条を守り自衛隊を廃止した状態で敵が攻めてきたら、死ぬことがあっても諦めよう」と明快であった。世間一般の護憲派の多くとはかけ離れた主張であろうが、ここまで自分(生命)を投げ出しての主張であれば、反対の論拠は無くなって・ただただ拝聴するしかない。
 自分は、晴美氏の中尊寺での得度(1973年、51歳)の動機は一種の師弟関係にあった今東光師との愛憎とばかり思い込んでいたが、相手は作家の井上光晴氏であって今東光師は得度の橋渡しをしただけであることを知った。
 思い込み。それも誤った思い込みは度し難いもので、寂聴師や東光師について他人に開陳した記憶は無いものの、万が一にも酒席で蘊蓄ぶって垂れ流していたらと冷汗三斗の記憶違いを反省している。

 寂聴師としての全ての主張や事績については不勉強ながら、得度という一事で前半生の奔放な生活の全てを一瞬に断ち切って、世俗を離れた師の生き方と精神力に関しては、敬服・脱帽するしかないようである。
 独りよがりに納得するところでは、晴美氏は仏教論・知識の全てを知った上での得度では無かったかも知れないが、寂聴師は帰依の程度や実践と功績では高僧と肩を並べる域にまで到達されていたように思える。
 合掌。


シャルダンを学ぶ

2021年11月13日 | 美術

 シャルダンの静物画が好きである。

 ジャン・シメオン・シャルダン(1699(元禄12)年ー1779(安永8)年)は、ロココ時代のフランスの画家であり、日本では赤穂浪士・忠臣蔵討ち入りの時代に当たる。
 ウィキペディアで略歴を辿れば、19歳で歴史画の工房に入って画業に手を染め、その後師匠を代えて静物画の助手を勉めて研鑽したとされている。
 1728年(29歳)に「赤エイ」で認められて王立絵画彫刻アカデミーの正会員とり、1733年(34歳)頃からは食卓の情景やカード遊びに興じる子供などセーヌ左岸(中流家庭)の日常生活を主題とする風俗画の作品が増え始めたとされている。
 1752年(53歳)以降、国王の年金を受け、1755年からはアカデミーの会計官・サロンの陳列委員、1757年にルーヴル宮殿にアトリエ兼住居を授かったが、歴史画に最高の価値が置かれていた当時、風俗画家としては異例の名誉であったとされている。
 現存する作品数は201点とされているが、家族の不幸や会計官解任等によって晩年は不遇であったとされている。
 現在シャルダンは風俗画家と区分けされているが、自分は青壮年時代の静物画の方が好きである。

 本日掲載する静物画「赤エイ」には猫が描き込まれているが、「サザエさん」的な意味ではなく、当時の静物画には動物(死んだ獲物を含む)を同時に描くことが不文律であったことに依っている。そういえば、下級工房員であった若き日のダヴィンチが、担当して師匠の絵に描き込んだ犬が、師匠の絵全体よりも評価されたとの逸話もある。
 なお、最後にオチがついているので、最後までのご高覧を希うものである。

 

 
        洗濯女(エルミタージュ蔵)                    食前の祈り(エルミタージュ蔵)
代表作よりもこちらの方が好み                         

 
赤エイ(ルーヴル美術館蔵)                        ザクロとぶどう(所蔵先不明)


模写(1991年/絵画教室前)


ハイブリッドを学ぶ

2021年11月12日 | 中国

 ベラルーシとポーランドの国境が緊張している。

 国境での混乱は、ポーランドがベラルーシからEU諸国への入境を目指す4000人の中東難民を阻止しているためであるが、真相はベラルーシのルカシェンコ大統領がEUを混乱させるための戦術とされている。
 ベラルーシはEUから人権弾圧問題で非難・制裁を受けているが、EU側から越境を阻止されることは確実である中東難民にEUへの通過ビザを与えて国境に集結させ、難民を受け入れないEUこそ人権を蹂躙していると主張する布石とする一方で、後ろ盾であるロシア国営放送に「EUが難民受け入れを渋っている」と報じさせるとともに、国境上空にロシア爆撃機を示威飛行させて緊張を作り出している。
 緊張を作為し、経済、情報・宣伝、武力を連携した一連の動きはロシアお得意のハイブリッド戦略の好例であるが、人権弾圧と云う弱点をブーメランとして相手に投げ返す戦術はしたたかである。
 この自分の弱点を相手の非に転嫁する手法は近年の中国でも盛んで、閉鎖的国営経済でありながら開かれた自由貿易の枠組みであるTPP加入を申請、最大の温室効果ガス排出国でありながら先進的な排出規制を打ち出し、孔子学院の蔓延非難には日本人学校の多さで応じ、ウイグル族弾圧にはアメリカの黒人差別を、と様々な場面で展開している。
 政治や外交の場において、自己の非を転化して相手に同等以上のダメージを与えるため、真実を覆い隠すため、深く静かに進行するため、等に対してハイブリッド戦術は極めて有効な手段であり、IT技術の進歩に応じて更に巧妙化するものに思える。

 改めてハイブリッドとは《異種のモノを組み合わせ・掛け合わせることによって産み出されるモノあるいは生き物を意味し、ラテン語の「イノブタ」を語源》となっている。
 過去にも、豚と猪から「イノブタ」、馬とロバから「ラバ」、ヒョウとライオンから「レオポン」、ライオンとトラから「ライガー」などが有名であり、現在のペット犬猫の大半は交配によるハイブリッド(雑種)とされている。
 相乗効果を産み出すハイブリッドは全能かと云えば、記憶しているトマトとジャガイモが同時に採れることから食糧危機解決に寄与する未来の野菜と注目された「ポマト」、両端に耳掻きと爪楊枝を合体させた商品は、ハイブリッドと雖も結果は捗々しくなかったようである。
 現在、工業製品でハイブリッドといえばエンジンとモーターを組み合わせるハイブリッド・カーに代表されるが、電動アシスト自転車も人力+モーターを組み合わせたハイブリッド軽車両と分類されるそうである。


立民の代表選に思う

2021年11月11日 | 野党

 立憲民主党の代表選に注目している。

 現在、下馬評と云うよりも、自薦・他薦・報道辞令を総合すると、立候補者には小川淳也氏、泉健太氏、馬淵澄夫氏、大串博志氏が挙げられている。
 各派閥の動向を観ると、枝野氏の入会と顧問就任を決めた党内最大派閥の「サンクチュアリ(26人)」は小川氏を、泉健太氏が率いる「新政権研究会(20人)と若手・中堅議員を中心とする「直諫 の会(11人)」は泉氏を推す声が高いとされているが、菅直人氏が会長を務める「国のかたち研究会(16人)」は勝ち馬に乗るべく様子見の状態とされている。
 自民党総裁選には高市・野田氏と2名の女性候補が出馬したため、ジェンダー平等を看板とする立民の代表選に女性候補がいないのは外聞が悪いとして、負け必至の噛ませ犬としての女性候補を立てる動きもあり、蓮舫氏、森裕子氏の擁立を模索する動きもあるが、蓮舫氏は枝野氏の操り人形に過ぎず、森氏は諸事反対の急先鋒・旗振り役であったことから提案型政党への衣替え看板に相応しくないとされ、将に「帯に短し襷にも短し」の人材難を露呈している。
 また、小川氏で一本化するとみられる「サンクチュアリ」内部にも、小川氏が希望の党出身者であることから「代表は旧立民結党以来の議員であるべき」との声が根強いとされているが、これを聴く限り【(影の枝野)将軍を支える大老・老中は譜代に限る】とした江戸幕府の構造・意識にも通じるかのようである。

 第2次岸田総理を選出した今国会の首班指名投票で共産党は枝野氏に投票したが、共産党としては今回の選挙協力の事実や立民内閣での閣外協力という言質を新代表に認知させるための行動であろうと思っている。これは、一旦手にした橋頭堡は死守して更なる拡大を目指すという、共産党の伝統的な革命戦略の表れとも感じられる。
 立民の新代表が誰となるにせよ、いったん動き出した共産党との紐帯・立民の極左傾斜をどうコントロールするのか、目が離せない。
 立民のシンパシーである朝日新聞の世論調査でも立民支持者の6割が「選挙協力は間違い」とし、立民の選挙母体とされている連合の会長も「選挙協力で投票先を失った」と述べているように、共産党との関係(腐れ縁)は、喉に刺さった小骨のように新代表を苦しめることだろう。


高市政調会長の剛腕に期待

2021年11月09日 | 与党

 18歳未満に対する子供給付が現実味を帯びてきた。

 発端は「発案者」という実績を獲得しようとする公明党が、逸早く一律10万円の給付案を政府・与党に提示したものであるが、自民党には高市政調会長を始めとして所得制限を設けるべきとする意見が強いようである。
 民放TVの街頭インタビューでは給付金の使い途について、高所得者は「子供のため」、中所得者は「将来の学資として預貯金」、低所得者は「生活費」といいう意見が多いとされていた。また「子供のため」とした高所得者にあっては、海外旅行や留学資金の一助とする意見が多いともされていた。
 そもそも、10万円の「子供給付」は何を主眼とした給付なのだろうか。コロナ禍に対する子育て支援?、教育支援?、経済復興支援?、のいずれかであろうと思うが、所得の多寡による使途を見ると、教育支援については異口ながらも同音に聞こえるものの、低所得者にとっては生活支援の意味合いが強いように思える。
 学歴・生涯賃金・医療等における格差は、初めには親の所得格差によって生じて、それが将来に亘って連鎖的に繋がる結果であるとされている。海外両行や留学で視野を広げて国際感覚を身に付けるのも人材育成としては有効であろうが、給食費を支払うために使用せざるを得ないケースに比べると、一律給付は将来の格差拡大を助長するに過ぎないと思える。
 10万円が無くても、高額所得者の子息は留学できるだろうし、海外旅行で見聞を広めることが可能であるのが現実である。長者の富を貧者に回すべきとした立憲民主党がそこそこの票を得た背景には、格差の連鎖を断ち切って格差の固定を防ごうという意識が国民の内にあるものと思うので、野党も一律給付には反対するのは確実である。

 一律給付について公明党幹事長は宗教者然と「子供は平等であるから」としているが、子供が平等でないことくらいは国民の常識である。親の格差が子の格差そのものである現実を考えれば、一律給付は行ってはならないように思える。
 高市政調会長は、一律給付は自民党の選挙公約や・理念にそぐわないとして公明党との協議を行うとしているが、政調会長としての初土俵・試金石として志操・剛腕を貫いて欲しいと願うところである。