小説『雪花』全章

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小説『雪花』第七章-13節

2017-09-15 10:10:18 | Weblog

  十三
客間に入った凡雪と凡花は、卓台の前に腰を掛けている祖父を見つけた。祖父の顔が艶やかで、涼しい目が微笑んでいた。馬を思わせる黒目がちの優しい双眸だ。
 凡雪と凡花は祖父に近寄ると、腰を軽く下げて、丁重に、朝の挨拶をした。祖父は、朗らかな声で「今朝も、晴れた気持ちの良い青空だ。よく眠れたかい?」と訊ねた。
 凡花は、姿勢を改めて整え、「はい! ぐっすりと、眠れましたよ」と明るく応えた。
 祖父は顔に笑みを込上げながら、静かな声で告げた。
「日々、清々しい朝を迎えるのが、大事だよ」
 一陣の隙間風が、ふわっと流れていた。窓の外の菫色の空は、いっそう美しく見えた。
 客間には、清々とした香が、匂やかに漂っていた。
 足音が聴こえてきて、凡雪は間口を見遣った。視界に小桶を持っている杜の姿が映った。
 ささっと近寄って来た杜は、桶を下ろしてから、柄杓を祖父に渡した。
 水を少し掬った祖父は、一口啜って、表情を動かした。
「うん、冷たくって、美味(うま)い!」
 祖父の風趣な様子を見て、凡花は、突然、ふ、ふ、と笑った。
 すると祖父は、鷹揚とした表情を浮べて凡花に目を向けた。
「朝の茶には、陽の生気が溢れて、明け初(そ)めの水が何よりなんだよ!」
 祖父は、満足そうに、頬をゆっくりと緩めた。まるで、天地に満ち溢れる命の力を掴み取ったように見えた。祖父の達観した笑顔が、凡雪の目に焼き付くように残った。
「朝のお茶には、いつも冷茶を飲んでいるんだ。麓の冷水は、ぴったりだよ」
 凡花は目を瞠って「えー、どんなお茶ですか?」と訊ねた。
 祖父は、徐に笑みを浮かべながら、卓台に置いてあった茶筒を手に取り、蓋を開けた。
「ほら、日本の煎茶だよ。日本の甥の廉から、贈られたんだ」
 煎茶の葉は、やや大きくて、鮮やかな色に見えた。
 凡雪は、そっと身を茶筒に近づけて、嗅いでみた。清々しい香が鼻空にすーっと入った。
 一瞬の間に、凡雪は、涼感の漂う世界の空気を吸ったような快い心地になった。
「廉は、日本の『茶業研究所』に勤めているんだ」
 祖父は甥の紹介をしつつ、銅の茶器と薄いブルー色のガラスコップを手の前に用意した。
 凡雪は「お祖父様は、お茶が大好きですからね」と声を掛けた。
 祖父は嬉しそうに眉を開くと茶匙を手に取って茶筒から煎茶を取り出し、茶器に入れた。
「日本のお茶ですか。楽しみですね!」と凡花の弾んだ声が耳に心地よく響いた。
 喜色を満面に浮かべた祖父は、柄杓で、桶から水を汲み出して、茶器に入れた。
「七分を置くと、旨味が、倍になるからね」
 祖父の軽やかな声が、幽かな風に乗って、すうっと、頭頂から抜けていた。
 凡雪と凡花は息を潜めて、茶器をじーっと見つめた。客間には、静けさが漂っている。窓の端から朝日が、徐々に射し込んで来た。
 凡雪は静かに息を吸い、窓上に目を向けた。朝の陽ざしが、空の菫色の中で眩(まばゆ)く閃めいていた。希望の朝を思わせるほどの美しい光景だ。
 胸に小さな揺らめきを感じた凡雪は、大きく息を胸の奥まで吸い込んだ。
 突然、凡花が、指をすうっと伸ばして、茶器を触った。
「冷たいー!」と声も笑顔も弾けた凡花は、指を戻して、凡雪の頬に手を当てた。
 冷たくて湿気を含んだ感触に、凡雪は小さく首肯し、笑みを真似てみた。
 凡花は半身を伸ばし、祖父に目を向けた。祖父は嬉しそうに、口許をゆっくりと開いた。
「朝の冷茶を飲むと、不思議に、一日が、活発になるんだよ」
 祖父の矍鑠(かくしゃく)とした笑顔が、心を洗うほど爽やかだった。
 凡雪は、目を茶器に移した。形が無骨ながらも、滑らかな銅の肌合いが良く見えた。
 茶器を見つめていた凡雪は、ふと脳裏に奇妙な想像を浮かべた。茶器の中で、龍の王が雄々しく瀟洒に舞っている。
つづく

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