日本を一周してみよう~

50才を迎える平成30年に、キャンピングカーで妻と犬とで日本一周します!

山陰7日目(萩~津和野)

2018-05-12 22:11:03 | 日記
道の駅・阿武の朝


ここは道の駅発祥の地だそうだ。

今から27年前、旧建設省による道の駅の実験施設としてオープンしたみたい。



そのせいか、RV車用のAC電源サイトがあったり、



温水プールがあったりと、今でも先進的・実験的な試みがみられる。



昨日の萩で、結構疲れたので、今日は少し遅い出発。

今日は津和野へ!今日から島根県に入る。


途中、うどん、そばの自動販売機があった。

もう製造してないレアな機種らしい。



津和野に着く前に、こんな風景に出会った。

水が引かれた田んぼ、その向こうに石州瓦の民家、バックには新緑に覆われた山。

どこか懐かしい。



津和野は四方を山に囲まれた城下町として栄え、その街並みから小京都と呼ばれる。

国内ツアーでも「萩・津和野」の名前はよく見る。



ある藩士が幕末の津和野を描いた「津和野百景図」



ここに描かれた当時の様子と現在の様子がいまだに対比できる町、として日本遺産に認定された。



例えば家老屋敷の門も



このようにキチンと残っている。

現在は町役場庁舎の門として現役で使われている。津和野人の古いものを丁寧に使うマインドが評価されている。



津和野の盆踊りはこんな衣装でするらしい。

秀吉の命令により鳥取の城を攻める際、現地が盆踊りの晩を狙い、上に盆踊り衣装を纏った武装兵を潜り込ませ、盆踊り見物で殿様不在の城を奪取した逸話がルーツみたい。



旅行パンフレットなんかによく使われる画像はこういうのかな。

通りには水路が走っており、まるまると肥えた鯉が、更にエサをねだってくる!



藩校・養老館は老朽化し、現在修復工事中。写真でしか見れないのが残念。



この藩校の卒業生には、文豪・森鴎外もいる。



それでは遥か高くにそびえる津和野城に行ってみよう。



完璧な山城の津和野城、アクセスにはリフトを使う。



上に着いてから20分は山中を歩かなくてはならない。

「熊の目撃情報がありました」とか「熊に注意」なら各地で見るが、「熊の生息地」ってだけでリスクがグーンと上がる。



こんなとこや



こんなとこを歩いて・・・



津和野城に到着!

3kmも離れた石切場から石を運んで造ったらしい。

もともと鎌倉時代に元寇対策で造られたが、戦国、江戸時代と少しずつ修復したようだ。



「転ばないで」って言われても・・・

転びたくて転ばないでしょー



本丸からは津和野の街並みが一望!



気分爽快で自撮りしていると・・・

「ブォ~~~~~~」



山口線の線路をSLが走ってくる!

ときどきサービスで汽笛を鳴らしながら、石州瓦の街並みに滑り込んで行った。

下山してSLを見に津和野駅に行ったが、これから折り返しらしく、どこかの転車台に行ってるのかな、客車しかなかった。



車を停めていた駅前駐車場に、引退したD51の車両があった。

僕が生まれ育った国府津の駅には転車台と機関庫があり、機関庫にはいつもSLが数台停まっていた。小学校の親友だった三又宇宙くん(本名)の家が機関庫の裏にあり、よく機関庫のC62に勝手に乗り込み、遊んだ。今なら親が呼び出されるレベルだが、見つからなかったな~。

また、国府津から伸びる御殿場線には僕が幼稚園くらいまでSLが現役で走っており、黒い車体から黒煙を上げて疾走してゆく勇姿を、実家から見ることができた。いい時代だった。



今日のおやつは津和野のお菓子、源氏巻き。

ぱりふわの生地で紫色の餡を巻いてある。

藩主の妻が紫色の餡の美味さに感激し、源氏物語の若紫の和歌を詠んだのが名前のルーツとか。



今宵は道の駅・シルクウェイにちはらに車中泊!



山陰の旅から、毎日夕方に時間をかけてストレッチをするように努めている。

運転ばかりで固まった筋肉をほぐすのが目的で、始めてから体調がいい。

長旅を快適にするヒントかもしれない。



清流・高津川がすぐそこを流れてる。

き、きれい・・・超絶澄んでいる。



それもそのはず、日本一水質が良いらしい。

高津川は日本の一級河川で唯一、ダムが一切ないらしい。

これから人口減少してゆく日本、もうダム要らないよ。ダム無きゃ水がキレイになるよ。



明日は島根、雨の予報。出雲や松江に向けて、移動日としよう。


お休みなさい!