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朝鮮出兵の時の秀吉軍は半数が朝鮮人だった。

2010年12月21日 01時17分08秒 | 歴史
 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現さんのブログを訪問して、またも新しい発見をしました。今回の記事は「知的は痴的?麻木久仁子vs大桃美代子、衝撃不倫騒動」というニュースに関連する二人の歴史認識の間違いについて書いてあるのですが、その中で、秀吉の朝鮮出兵について書いてありました。
 これについては以前本ブログで、秀吉の朝鮮出兵が、イエズス会の布教と侵略を車の両輪の如くに推し進める方策で、世界中に植民地を作っていったことが原因していると書いたことがあります。日本にもそういう目的でやってきたものの、戦国時代の日本を攻略するのは難しいと考え、秀吉にいっしょに明を攻めようと話を持ちかけたのですが、これによって秀吉は、イエズス会の危険性を察知して、明がイエズス会によって滅ぼされたあとは、明を使って、元寇の時のように、今度は日本を侵略するかも知れないと考え、そうなれば元寇の時どころの話ではなく、完全に我が国は壊滅すると感じて、先手を取る形で、明を攻めようとしたらしいのが最近の研究のようです。そして、当時の日本は大型船を作る技術がなかったので、半島経由で行くしかなくて、朝鮮出兵となったようです。
 そして、今回、正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現のブログ主さんが書いておられるには、その時の秀吉軍が朝鮮に出兵すると、朝鮮の民衆は秀吉軍を解放軍と感じて、秀吉軍に従軍し、なんと秀吉軍の半数が、朝鮮人であったというのです。
 これは初めて知りました。その当時の朝鮮の民衆はひどく虐げられていたため、王室や貴族に対する恨みがひどく、秀吉軍が宮城に到達して入場する前に、民衆によって王城は略奪され、火を放たれて灰燼に帰していたということです。これは習ったこともなかったので、まったく知らなかったので勉強になりました。

以下その部分の引用です。

まず、大桃美代子は、2009年11月29日午後10時~11時29分に放送したNHK教育【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】に出演していた。

その番組で、大桃美代子は、韓国に行き、韓国人から「秀吉軍に虐殺された」とする頭蓋骨を見せられ、「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」と発言した。


2009.11.29NHK秀吉の朝鮮侵略の大桃美代子


このNHK教育【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】では番組タイトルの他番組内でも盛んに【豊臣秀吉の朝鮮侵略】を強調したが、秀吉軍の半数が朝鮮人だったという絶対に欠かしてはならない重要な事実を全く説明しなかった。

実際には、秀吉軍は【虐げられた朝鮮民衆の解放軍】として迎え入れられ、秀吉軍の半数が朝鮮人だった。

ところが、番組では戦死したという女子供のドクロ(頭蓋骨)を引っ張り出して秀吉軍の虐殺だけをひたすら演出していた。

しかし、朝鮮支配階級の女子供を殺害したのは、当時彼らに恨みを持って秀吉軍に参加した朝鮮人だったと考えるのが自然だ。

秀吉軍の半数が朝鮮人だったことを隠蔽し、頭蓋骨まで放映して秀吉軍による女子供を含めた大量殺害ばかりを強調したNHKの演出は悪質極まりない。

そこで大桃美代子は馬鹿だから、すぐに騙されて、「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」などと言ったのだ。

これだけなら、大桃も、NHKや韓国人に騙された被害者という見方をする人も居るかもしれない。

しかし、大桃の場合、【大桃美代子ブログ 韓流への道】 などというブログまでつくって韓国に媚び諂っているのだ。
日本の芸能界では、韓国に媚び諂うと仕事が増えるという悪い風潮があるようだ。

大桃もNHKの反日極左から、そこを見込まれ、【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】に出演させてもらい、韓国に行って韓国人から頭蓋骨を見せられ、期待に応えて「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」と発言したのだろう。

朝鮮民衆が秀吉軍に参加して明軍&朝鮮支配階級軍を相手に戦った事実は、秀吉の朝鮮出兵について述べる際には欠かすことの出来ない重要事実なのだが、NHKはそのことについて全く説明しなかった。

秀吉軍は虐げられた朝鮮民衆の解放軍として迎え入れられた。

多数の朝鮮民衆が秀吉軍に従軍したため、秀吉軍の半数が朝鮮人だった。
―――――――――
「人心怨叛し、倭と同心」
「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」
『宣祖実録』

「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」
『鶴峯集』金誠一

日本軍は朝鮮上陸後わずか二十日間で首都漢城を占領した。
快進撃の背景には日本軍を解放軍として迎えた朝鮮民衆の支援もあったのだ。
『秀吉が勝てなかった朝鮮武将』貫井正之

景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ。
李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。
それが歴史の史実だ。
『龍を気取る中国 虎の威を借る韓国』黄文雄

『宣祖実録』によれば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったという。
また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったという。
また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、火をつけたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。
宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある。
『日韓・歴史克服への道』下條正男
―――――――――
引用終わり

 このブログ主さんは、他にも麻木久仁子さんの歴史認識の間違いについても述べておられます。こちらも終戦前の日本が敗戦が免れないのを意識してからポツダム宣言までの間一年余りがたっていることについて、麻木さんが批判していることについて、その間の事情がむしろアメリカの謀略にあることを指摘されています。これも重要な話で、これは最近ベノナ文書などにより明らかにされていますが、またいつか取り上げたいとは思いますが、今回は書かないので、元の正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現さんのところで読んでみてください。


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