これは評価が難しいアニメ・・・。
予想に反してしっかりハッピーエンドで終わったのは良かったのだが・・・。
このアニメを、視聴者がどう捉えるかで評価が変わりまくると思う。
ネタバレあり注意。
ボーイミーツガールとして見た場合。
クレインとフリュネの物語。
出会って離れてまた戻ってまた別れる。
最後には肉体(フリュネ)と人格(ネッサ)の統合が成されていたが、肉体にあったフリュネの記憶もしっかり継承されていた。
ネッサが大切にしていた「ずっといっしょ」という願いも叶った。
クレインとフリュネの物語はハッピーエンド。
冒険活劇として見た場合。
スンダたちと、その飛行船での冒険の物語。
全11話では尺の余裕がなかったのが難点。
冒険らしい冒険をすることがなく終わった。
せっかく飛行船という素材があったのに、冒険活劇にはならなかった。
2クールにしてスリーナイン的な道中記を描いたほうが各キャラの心理描写の変化とかも描き易いはず。
描写が丁寧だと自然に感情移入が出来るので、視聴者も共に冒険をしているような気分に浸れる。
それが一切ないまま終わってしまったので、本作を冒険活劇と称することは出来ない。
主義・主張を争う戦争ものとして見た場合。
フラクタルシステムを管理する人間と、管理からの開放を望む人間との戦いの物語。
スンダたちが掲げるロストミレニアム運動は、その戦いのことだったはずだが
最終的にはフラクタルを消滅させての開放ではなく、共存という決着になった。
しかし、明確な描写はなく、決着に至る過程も曖昧なので、視聴者は理解に苦しむ。
システムに依存しない人間らしい生活を大切にしつつ、システムの便利な部分も利用しよう、という解釈が妥当か。
そして何より、一番の問題は、主人公であるクレインがこの戦いに主義・主張を見出していないこと。
実際はクレインにも主義・主張があったのかもしれないが、視聴者には分からない。
クレインは、先に述べたボーイミーツガールを完成させるためだけのキャラクターだったのだろうか。
フラクタルシステムを管理する人間たちも、ただの頭がかわいそうな人たちにしか見えなくて勿体無い。
敵側の正義を描くと物語が冗長になる恐れがあるが、本作に限っては、物語が厚みを増して良くなると思う。
スンダの心理描写も全然足りない。
最後は死亡したと思われるが、死亡する前にもっと心変わりなどを丁寧に描写するべきだった。
世界はスンダの遺志を継いでいるのだろうけど、もっと感動的に描いても良かったのでは。
SFとして見た場合。
フラクタルシステムという地球規模のオーバーテクノロジーを題材にした物語。
システムに管理された人類というSF設定は、ありがちだが面白い素材だ。
上記のような戦いを描くことも出来るし、人間の生き方を考える哲学的なことも描ける。
設定を小出しにしていけば、謎や伏線も用意出来てしまう。
本作でもその構想はあったと思われるのだが、結局フラクタルシステムは世界観の一部に過ぎないまま終わってしまった。
神がただの人間の少女だったことや、再起動の鍵となるのがその少女を再現したクローンであることなど、
設定がしっかり出来ていることは作中での説明を通して伝えられていたが、それ以上のことはなかった。
設定がしっかりしているだけで、SFの核となるほどの演出がなかった。
序盤で壮大なSF的世界観を匂わせておきながら、最終的にはSFとしての決着が成されていない。
例えば、フラクタルシステムが消滅した未来を視認する描写とか、
再起動の描写を視聴者が圧倒されるほどの作画で演出するとか。
素人でも容易に思い付くSF演出くらいはやってほしかった。
結局のところボーイミーツガールだったと。
クレインとフリュネを引き立てるための背景描写が壮大だったのだと解釈するしかない。
その点ではハッピーエンドなので、一概に駄作と評価することが出来ない。
非常に難しい作品である。
予想に反してしっかりハッピーエンドで終わったのは良かったのだが・・・。
このアニメを、視聴者がどう捉えるかで評価が変わりまくると思う。
ネタバレあり注意。
ボーイミーツガールとして見た場合。
クレインとフリュネの物語。
出会って離れてまた戻ってまた別れる。
最後には肉体(フリュネ)と人格(ネッサ)の統合が成されていたが、肉体にあったフリュネの記憶もしっかり継承されていた。
ネッサが大切にしていた「ずっといっしょ」という願いも叶った。
クレインとフリュネの物語はハッピーエンド。
冒険活劇として見た場合。
スンダたちと、その飛行船での冒険の物語。
全11話では尺の余裕がなかったのが難点。
冒険らしい冒険をすることがなく終わった。
せっかく飛行船という素材があったのに、冒険活劇にはならなかった。
2クールにしてスリーナイン的な道中記を描いたほうが各キャラの心理描写の変化とかも描き易いはず。
描写が丁寧だと自然に感情移入が出来るので、視聴者も共に冒険をしているような気分に浸れる。
それが一切ないまま終わってしまったので、本作を冒険活劇と称することは出来ない。
主義・主張を争う戦争ものとして見た場合。
フラクタルシステムを管理する人間と、管理からの開放を望む人間との戦いの物語。
スンダたちが掲げるロストミレニアム運動は、その戦いのことだったはずだが
最終的にはフラクタルを消滅させての開放ではなく、共存という決着になった。
しかし、明確な描写はなく、決着に至る過程も曖昧なので、視聴者は理解に苦しむ。
システムに依存しない人間らしい生活を大切にしつつ、システムの便利な部分も利用しよう、という解釈が妥当か。
そして何より、一番の問題は、主人公であるクレインがこの戦いに主義・主張を見出していないこと。
実際はクレインにも主義・主張があったのかもしれないが、視聴者には分からない。
クレインは、先に述べたボーイミーツガールを完成させるためだけのキャラクターだったのだろうか。
フラクタルシステムを管理する人間たちも、ただの頭がかわいそうな人たちにしか見えなくて勿体無い。
敵側の正義を描くと物語が冗長になる恐れがあるが、本作に限っては、物語が厚みを増して良くなると思う。
スンダの心理描写も全然足りない。
最後は死亡したと思われるが、死亡する前にもっと心変わりなどを丁寧に描写するべきだった。
世界はスンダの遺志を継いでいるのだろうけど、もっと感動的に描いても良かったのでは。
SFとして見た場合。
フラクタルシステムという地球規模のオーバーテクノロジーを題材にした物語。
システムに管理された人類というSF設定は、ありがちだが面白い素材だ。
上記のような戦いを描くことも出来るし、人間の生き方を考える哲学的なことも描ける。
設定を小出しにしていけば、謎や伏線も用意出来てしまう。
本作でもその構想はあったと思われるのだが、結局フラクタルシステムは世界観の一部に過ぎないまま終わってしまった。
神がただの人間の少女だったことや、再起動の鍵となるのがその少女を再現したクローンであることなど、
設定がしっかり出来ていることは作中での説明を通して伝えられていたが、それ以上のことはなかった。
設定がしっかりしているだけで、SFの核となるほどの演出がなかった。
序盤で壮大なSF的世界観を匂わせておきながら、最終的にはSFとしての決着が成されていない。
例えば、フラクタルシステムが消滅した未来を視認する描写とか、
再起動の描写を視聴者が圧倒されるほどの作画で演出するとか。
素人でも容易に思い付くSF演出くらいはやってほしかった。
結局のところボーイミーツガールだったと。
クレインとフリュネを引き立てるための背景描写が壮大だったのだと解釈するしかない。
その点ではハッピーエンドなので、一概に駄作と評価することが出来ない。
非常に難しい作品である。