
◇誓願捨身
画像は、高野山金剛峯寺『弘法大師行状曼荼羅』(勝福寺蔵)の「誓願捨身」の場面から。
幼少期の真魚様は、草木でお堂をこしらえて、土でこねた仏像をお祀りして拝まれていたという。その御姿を想像する時、小さな胸に世のこと、人のことを考えておられた真魚様がいかに純真な心をお持ちだったか察すことが出来る。
7歳の時、「私は仏様の御教えを学び、人々の為に広めたいと思うけれど、願いが叶うかどうか分からない…」。そんな物思いに耽るある日、真魚様は佐伯の邸宅から約6km?ほどの所に聳える「我拝師山」に登られた。我拝師山は五岳山が連なった一峰で、その最高峰に我拝師山があるのだが、この山をお気に召しておられたのだろう、平素からよく登嶺されていたという。ある日のこと…。
山の頂にお立ちになられた真魚様は「私の気持ちを仏様に問うてみよう。もし私に人々をお救いする力があるのならば、ここから身を投じても仏様は命をお助け下さるだろう。しかし、願いが叶わないのなら私の身を捨てて仏様に供養致します」と念じて、身を投じた。
その瞬間、お釈迦様と共に天女が天下り、真魚様をしっかり抱き止められたという。後にこの山は「捨身ガ嶽」と呼ばれている。
真魚様の胸には希望に満ちた光が射し込み、それ以来、仏様の道を歩まれるご決心され、学問にも一層励まれたいう。
画像は、高野山金剛峯寺『弘法大師行状曼荼羅』(勝福寺蔵)の「誓願捨身」の場面から。
幼少期の真魚様は、草木でお堂をこしらえて、土でこねた仏像をお祀りして拝まれていたという。その御姿を想像する時、小さな胸に世のこと、人のことを考えておられた真魚様がいかに純真な心をお持ちだったか察すことが出来る。
7歳の時、「私は仏様の御教えを学び、人々の為に広めたいと思うけれど、願いが叶うかどうか分からない…」。そんな物思いに耽るある日、真魚様は佐伯の邸宅から約6km?ほどの所に聳える「我拝師山」に登られた。我拝師山は五岳山が連なった一峰で、その最高峰に我拝師山があるのだが、この山をお気に召しておられたのだろう、平素からよく登嶺されていたという。ある日のこと…。
山の頂にお立ちになられた真魚様は「私の気持ちを仏様に問うてみよう。もし私に人々をお救いする力があるのならば、ここから身を投じても仏様は命をお助け下さるだろう。しかし、願いが叶わないのなら私の身を捨てて仏様に供養致します」と念じて、身を投じた。
その瞬間、お釈迦様と共に天女が天下り、真魚様をしっかり抱き止められたという。後にこの山は「捨身ガ嶽」と呼ばれている。
真魚様の胸には希望に満ちた光が射し込み、それ以来、仏様の道を歩まれるご決心され、学問にも一層励まれたいう。
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