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勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

Gikoohの弘法大師伝(6)聞持授法

2023-05-17 22:14:33 | Weblog

大正10年3月に高野山金剛峯寺より「高野山真言宗参与会」の終身会員に贈られた

『弘法大師行状曼荼羅』より(勝福寺蔵)

都の大学で学問に励まれていた真魚さまだったが、大学は儒教と立身出世の為の教えを中心としており、世の為、人の為に役立つ学問でなかった体制にどうしても満足できなかった。後に「われの習うところの上古の俗経は眼前すべて利弼(りひつ)なきおや、真の福田を仰がんにしかず」『御遺告』と述べられている。人々を救う真の教えは仏教にある、と結論付けられた真魚さまは大学を退学して、仏門に入る決心をされたのである。大足さまや大学の教授は真魚さまの才能を惜しんでしきりに止めたけれど、決心は変わることはなかった。

大学を去られた真魚さまは、三論宗の巨匠・岩淵の勤操大徳を訪ねた。当時、大徳は東大寺の別当職であると同時に、既に日本に伝わっていた密教をも兼ね備えた高僧だった。勤操大徳は、真魚さまの仏教に抱いた熱い求道心を見抜ぬき、虚空蔵求聞持法を授けられたのであった。求聞持法とは虚空蔵菩薩の印を結んで、真言を百万遍お唱えする過酷なものである。

真魚さまは、阿波の大竜ヶ嶽、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山、大和の大峯山、紀州の高野山で虚空蔵求聞持法を修されたという。その室戸岬での念誦中に夜明けの明星が口の中に飛び来り、その瞬間、この修行が成就に至った。夜明けの明星こそ虚空蔵菩薩の化身だった。真魚さま御年20歳の時である。この時の名を教海としていたが如空と改め、その後22歳の時に空海と改めた。

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