ギコバン日記

伊藤工設計代表 伊藤 博範の日記。家づくりのお役立ち情報を発信。

小さいころの家の記憶

2017-08-26 14:12:27 | 家づくり


私の父と祖父は大工で小さな工務店を営んでいました。つくる家は瓦がのった大屋根の大きな家が多かったと記憶しています。

私の生まれ育った家も同じです。40坪ぐらいの面積がある母屋は築60年になる平屋建てで和室が3部屋も続いていました。リフォームする前は寝ている部屋には天井がなく、構造材の梁が見えている状態でした。壁も土壁のままで仕上げがありませんでした。

南側は玄関や縁側があり大開口でしたが北側は押入れや仏壇、茶箪笥が配され、開口部がなく風が通らない家でした。

職人の家系でしたので小さい時から家の手伝いをするのは当たり前のことで工事現場がいつも遊び場みたいなものでした。この頃ぐらいに断熱材のグラウスールが工事現場に登場することになります。

現場で断熱材をカットして施工するのですがその時に腕などにグラスウールの切りくずがつき、チクチクしていやな思い出として記憶に残っています。

その当時、断熱・気密材の施工方法はまだ確立していませんでした。断熱材さえあれば「あったかい家」とイメージされていました。

夏は蒸し暑く、冬はとにかく寒い、そんな家で育ちました。
「家とは我慢するところ?」ぼんやりそう思っていました。

もう一つ不満がありました。

職人の家系と書きました。父を含め叔父兄弟4人が大工でした。
茶の間での朝食時にはいつも兄弟がそろってお茶を二服いただき、それから現場に出発します。

夕食時には同じく茶の間でお酒を呑みながらの一日の反省会がはじまります。
最後は口論になり…。翌朝はいつものようにお茶を二服…。

その当時、父の役職で建設業保険を集金する係で多くの職人が土日関係なく出入りしていました。

工務店の支払いもあり、朝から晩まで…。
年末の12月31日20時頃、集金に来る方もいました。毎年です。
たぶん必ず支払ってくれると安心し、年末最後の集金場所と決めていたのでしょう。
そんな業者の方もおられました。

とにかく出入りが多い。土日関係なく…。
家の中に、プライベートの空間、時間がありませんでした。

家にいても落ち着く場所がないのです。
「家とはこんなにも窮屈なのか…」いつもそう思っていました。

「昭和以前の家」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、よく昔の家はすべてオープンで近所の人が子供の世話をすることや、知らない人が来ても近隣の方が注意してくれていることなど…。個室においての事件がニュースで流れるたびに良く言われることです。

そのたびに私は「違うな~」といつも思っていました…。

このように、さむくて暑い家、プライバシーがない家、落ち着くことができない窮屈な家を体験したことが家づくりの原点になっているのかもしれません。


思い出の建築9 大内宿

2017-08-18 16:58:33 | 思い出し日記
利府から約220kmで江戸にタイムスリップ!



南会津の山中に全長約450mの両側に、道に妻(正面・出入り口)を向けた寄棟造りの茅葺屋根の民家が建っています。

若松から5里の距離にある大内宿には本陣や脇本陣が設置され、会津藩の参勤交代や廻米の集散地として重要な場所だったようです。

戊辰戦争では大内村も戦場になったそうですが宿場は戦火を逃れました。

1980年(昭和55年)7月12日「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定。
1981年(昭和56年)4月18日、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。


大内宿の建物、正面(縁側など)は長さ10mの桁(梁)1本を利用しています。
開口が長いので繋ぎを入れないのでしょう。当たり前ですね…。






東京江戸博物館にある移築された江戸~昭和初期の建物もそうでした。


会津から大内宿へ行く途中、道路沿いに建つ住宅も大屋根で同じような年代の住宅が立ち並んでいました。

屋根は鉄板に葺き替えられていますが骨組みは昔のままだと思います。

50年ぐらい前であれば、どこの街に行ってもこのような建物があったのではないでしょうか?

私の小さい時の記憶では、実家がこのような家でした。
野口英世が生まれた母屋のような…。

日本の原風景はとても懐かしくさせてくれました。

思い出の建築8 野口英世記念館 

2017-08-17 13:09:59 | 思い出し日記
野口英世記念館が2年前に新しくなり、建物の確認に行ってきました。



26年前にいろいろ教えていただいた会社の設計施工です。
どんなふうに考え、造ったのか!

自分の目で確かめなければ!と…。

写真で見ると外観はGL鋼板で仕上がっているようでした。
コンクリートの打ちっぱなしの方が自然にあっていたのでは等の確認です。

磐梯山と猪苗代湖に建つ記念館はとても調和がとれていたと思います。
目立たなく、建物の圧迫もなく、色も自然になじんでいました。

とてもシンプルで動線が見事でした。


駐車場側から記念館に入り、1階受付をいたら外に生家(母屋)行くようになっています。





生家では英世の幼少の時代がわかるように映像化されたものがモニターで繰り返し観ることができます。








それから新館の2階に行き、会津若松時代、東京時代、アメリカ・デンマーク時代、中南米・アフリカ時代と観ることができます。

さらに野口博士の一日や、細菌やウイルスの違いなど

趣味の部屋もありました。

絵画や書道、写真が展示され、どれも素晴らしかった!



展示品等に引き込まれていきました。
気か付けば2時間…。



建物を観に来たのですが…。
どっぷりと記念館にハマってしまいました。

ということで動線がすばらしかったということです。

気になったのは階段手摺りが少し軟弱ということぐらいでしょうか。



また行きたいですね!
建築は素晴らしい!いい体験をさせてくれます。


「歌バカ2」平井 堅 今月のCD 2908

2017-08-08 16:44:46 | 思い出し日記


3枚組のCDベストです。

1・2枚目のベストはやっぱり平井堅なのですが…。

3枚目は他のアーティストが平井堅をイメージしてつくったとかで…。
ちがうような…。

お気に入りは2枚目に入っていて安室奈美恵とコラボしている「グロテスク」

カッコイイ曲です。

毒アムロを観てみたいということでアムロさんに直接手紙を書いてオファーしたそうです。

すばらし~。


CDは車で聞いていますが前は松任谷由実が約5ヶ月、その前は宇多田ヒカルで約5ヶ月も聞いています。

今回も5ヶ月か…。


「君の膵臓をたべたい」 今月の映画 2908

2017-08-05 09:59:18 | 映画


この映画を楽しみに待っていました…。

小説が大変すばらしかったので!

映画で観たい!どういう風に仕上げるのか…。

映像で表現するとしたらむずかしいだろうな~とも思っていました。

女優さんは小説のイメージ通りで、声がとおり、いい演技をしていました。
16才? 感心です。

いろんなところで演技の経験をしているのでしょう。
伝わってくるものがあります。


終盤、「君の膵臓をたべたい」とメールを打つところがあります。
退院して、待ち合わせ場所からメールでやり取りしながら待っているところです。

この部分が一番のお気に入りですが…。


出会いは病院で共病文庫(遺書)をたまたまクラスメートの男子が見てしまったことから始まります。
あと一年の命…を知ってしまうのです。

自分の体で悪い場所があればその部分を食べれば良くなる…。
私も小さい時、聞いたことがあります。

男子は人と関わりを持ちたくない、目立ちたくない人間。
女子は明るく、みんなから好かれて認められている存在。

そんな二人が偶然にも病院で出会い、「クラスメート」から「仲良し」になり、
そして「愛おしく」に変わる瞬間がこの部分です。


その時、彼は彼女のようになりたいと思うのです
彼女のように明るく、みんなから好かれるようになりたい。

そして、彼女を愛おしく思う瞬間で「君の膵臓をたべたい」となるのです。

その言葉が本人達だけしか分からない
そして、彼女の代わりになることができれば病気も…。

すこし長くなりましたが…。

小説を読んで映画を観た方は涙したでしょう…。

映画が最初の方は…。どうだったのでしょうか?
この部分が伝わったでしょうか…。

小説は文の表現で…。
映画は言葉が無くても…。


もし映画監督が河瀬さんだったらどんな映画になっていたのでしょうか?

あまり言葉を使わないのか?
小説にない「12年後」と重ね合わせたか?

いろんなことを想像してしまいます。


映画の中で感心する言葉を見つけました。

出会いとは…
偶然と偶然が重なり、出会えるのではない!
選択と選択で出会えるのだと…。

出会いは偶然ではない、選択なんだと…。
なるほど~

今日もモデルハウスにて、出会えることに感謝です…。