蟻の巣通信 by GIGA SPIRIT

美容師のための美意識開発 蟻牙スピリッツがお届けする蟻の巣通信です!ホームページへはBOOKMARKからどうぞ!

暖かい大晦日

2012-12-31 | ★GIGA嵐の予感と五感★

2012年12月31日(月)薄曇~晴れ間

…暖かい曇り空の下で庭の小菊の群れがかしいでいる。そんな2012年の大晦日です。
▼うちの者が皆、年内すべりこみ予約で美容室へ行き、カットやカラーできれいになって帰ってきた。行きつけの店で交わす年末の挨拶には生きている実感がある。年をとればとるほどその感慨は大きい。90になった老母にとっては特に毎月のカットは若いときの行楽の延長だから、10や20(才)は気が若くなって帰ってくる。それが運動機能のリハビリにもはっきり影響する。単なる衛生ではなく、お洒落の付加価値は大きい。昨晩はひどい雨にもかかわらずレインコートを着て忘年会の迎えの車に乗ったもの。杖突いて…。
▼某日。贈呈本でいただく美容雑誌の整理。スクラップする作品の精選と、月ごとに切り取っておいた記事のまとめ読み。これも僕の年末行事。切り取ったとき同様の鮮度があるものをAランク、変質し迷うものはB、明らかにさめてしまったものはC。AとBだけを熟読する。毎年同じ人のコメントや記事が多く残る。その数人を僕は現在の美容界のエンジン、レーダー、良心と見ている。派手な目立ち方でよくBに入る人がいる。時々いいことを言うけど、暗記ものが多く血肉化していない。惜しい。それよりもまだ言葉がついてきていないけど、確かな才能も志もある若い美容師には心底期待する。今年きちんと会う機会があったのは収穫だった。読み疲れて場所を変えた。横浜から新橋までの各停電車内→札幌・宮越珈琲の銀座支店。ここで粘ってすべて読み終えた。半日かかった。財布を忘れ!小銭を集めてかろうじて払った。その後の飲み食い一切かなわず、静かに横浜に帰還した。
▼某日。やっと蕎麦屋へ行った。なんて込みようだ。待つ客、来る客、来る客、帰らない客。ついに親父が“にこにこ悠然と!”「本日はご相席をさせていただきます」と書いた紙を胸の前に掲げ、客の間を回って希望者を募る。無言で。役者だねえ。腹も立たずに30分も待った。はやる店は何かが違う。待ってる時間が結構勉強になる。やっと席につけたが天せいろはちっとも出てこない。でも赤えんどう豆と立山の吟醸で、待ってる客見ながら飲むのも乙なもんだった。
★海外からXマスと年始のカードが届く。人を思い出す喜びは、新聞の今年「亡くなった方々」の欄にも表出する。会ったことはなくても、思わずつぶやいている。作家や役者、歌手などに。まして何度も会った業界人には。誰にも同時代人としての感謝の気持ちがわく。素直に。さてカウントダウンまでの数時間、ちょっと旅に出てきます。どうぞ良い年をお迎えください。


怪しいか妖しいか

2012-12-28 | ★GIGA嵐の予感と五感★

2012年12月28日(金)晴

…切り絵のような見事な半月が記憶に残っているのに、もう満月だ。高いところにある白い月を見ると、アンリ・ルソーの砂漠の上の月を思い出す。ライオンのいるあの絵ですよ。妖しい雰囲気の。ついでに…この写真も怪しい満月でしょう? 実は羊歯が巻きついた球形の照明ですけど、ちょっと無声映画に出てきそうな雰囲気で、面白い。
▼帰宅途中である高台に来ると、周囲の暗さが増して光の眺めが際立つ。飛行機の夜間照明が等間隔で遠ざかる様なんかも、けっこう怪しく見えていい。昨日もそんな気分で家に着いたら、「(BS)NHKでUFO特集をやるよ」と教えられ、驚いた。ま、なんてことはなかったんだけど、ある真相の写真を初めて映像で見た。戦後生まれの都市伝説、UFO神話にはずいぶん付き合ってきた。それが60年代とVサスーンを結びつける原稿の背景に役立ったんだから、縁は異なモノ。
▼一昨日…GIGAの早めの忘年会。トリオ・ザHAL(ハッピー&ラッキーなうちのスタッフ)との小宴。今年はトイレに池波正太郎の生原稿がある変わった焼き鳥屋【そもそも中華街入り口近くで焼き鳥屋はない】で。ここの主はいい意味での一徹者。満足度の高い職人仕事をする。あっという間の3時間が過ぎた。後の予約らしい中華街有名店のスタッフが集まり始めて気がついた。
▼某日。最新作を持って来社した人あり、しばし話す。プラハで生卵を投げつけられた体験談に頷くものがあった。チェコ人のある心性について米原万里がエッセーに書いていた。劣等感と優越感は必ず一体だ。
▼某日。メールで新規セミナー内容について某社担当者とやり取り。2度3度。文面校正。
▼某日。年賀状作成終了。さてという段になってプリンターがエラー!? 大量枚数になってマシンが持病の不具合を訴えるような具合だ。ああ。修理依頼と同時に第2案の制作にかかる。
★というわけで単純な思いがかなわない。出ようとする頃に何かが起きる。それが1週間だ。僕の守護聖人が止めている? さもなければ県警方面に強力なバリアが張られている。いやただ、ある蕎麦屋行きたいだけなんだけどね。松井と勘三郎と丸谷才一のことをぼんやり考えながら燗酒を。年賀状で思い出した美容師のことを考えながら、カリッと天麩羅をかじって、あとは安部や野田や小沢や嘉田や石原や何やが奏でる再編序曲を考えながらズっとそばをすするつもり。そんな年末だ。


来年のテーマ

2012-12-22 | ★GIGA嵐の予感と五感★

2012年12月22日(土)雨

…昨日、窓から見える朝の湾は銀色だった。今日はトロンと薄い灰色。冷たい雨に煙っていてどこか外国のようだ。師走の時間は速い。前回から2週間?と…驚いている。
▼某日。弘前へ。創立記念ヘアショーと翌日の法要。津軽藩主の菩提寺でもある立派な禅宗寺院だった。木立の緑と雪、雲間にのぞく青空がきれいだった。温かくスケールの大きいユーモリストのことを会席の一同と話した。ここでしか会わない人が何人もいて、彼の仕掛けだと感じた。帰りは青森で途中下車、市場通りの珈琲舎へ。こういう寄り道、無駄も話せばきっと面白がってくれたっけ。秋田谷融範さんという人は。
▼某日。二日間の特別集中セミナー開始。トップ級にも得意ジャンルと重要な穴がある。知っているはずの××年代っぽさ。ヘア・メークの表現はその記号を消しすぎても出しすぎても陳腐なものになる。技術よりも記号の理解度が問題。ときに慣れた技術は感性にふたをする。だから習ってできるようになったものは暗記の知識と考えよう。その先の工夫=捨てて強調するのが君たちの感性だ。そして、それがなぜ今なのかに、もっともっと思いをはせること。技術は思いについてくる。それが一流だ。
▼某日。蟻の巣で二つのクラス。長い一日だったけど、どちらも最後はワインで乾杯。昼間の若いに人は甘さのあるリースリングで。夜のお兄さんクラスはこくのあるボルドーで。ちょっと飲み足りない欲求不満は、次回(来年度)のエネルギーにしてほしい。
▼某日。作品撮りの写真を見てほしいと、大粒の苺を持った青年が来る。少し評価が甘かったのはたぶん苺のせいだ。甘かった。いや作品は次回への問題がはっきりしているだけで価値がある。前回テーマを確実にクリアする能力は、もう入賞領域だ。今やコンテストは技術で勝ったりしていない。同じレベルの技術をどう上手く見せるか、つまり表現の仕方で決まる。コツは審査員の目で作ること。
★某日。銀座三越のライオンの裏で人と待ち合わせ。確か去年は正直にライオンの前だった。少し賢くなった。不特定多数がどっと中央に集まる図が苦手だ。したがってその後は少し外れで、ベテランのある年代の仕事一覧を見せてもらった。ぞくっときた。使わないテはないでしょう。時代の巡り会わせとはつくづく面白い。ときに悪い方にも作用するけど、歴史の効用は後世の財産だ。過去は未来のためにある。いや80年代の再評価を美容の目線で、批評的まなざしで見る時期になったと思う。僕にとっての同時代はどんどん歴史化している。中からと、外からとの両面の視点で価値や問題や意味を問い直せる。今なら。来年のテーマか。


揺れる境界

2012-12-08 | ★GIGA嵐の予感と五感★

2012年12月8日(土)晴

…昨日の夕のユラユラは気持ち悪かった。地震!というと(揺れを感じないように)走り回るスタッフが帰った後でよかった。直後に携帯はやっぱり通じない。脳髄に冷たいものが走ったな。原発は確実に“計画をたてて”なくすべきだ。天からの声だったかも。
▼朝晩の店長クラスとオーナークラスで一つ、同じ話をした。デジタルの浸透に伴って大きくなるハンドメイドブームの意味を。リサイクルアート、アウトサイダーアートなどジャンルと階層を問わず広がるアートの「自分化」の意味も。衰退産業、出版の川下で書店員のおすすめ賞がメジャー以上の市場評価につながる現象なども。すべて先端と終わりがもつれ、中心と外れが摩擦する境界・周縁の話だ。マージナルパワーむきだしの今、社会を写すファッションは政治並みに混迷のきわみ。あらゆるミックス・ミスマッチの森の中でもがいている。コレクション情報には「コラージュ風」という見出しまで。オブラートをはがせば何でもありの不自由にお手上げってこと。限りなく無秩序こそ新しいという悲壮な逆説的表現だ。立派と一つの正解が消えた今、誰もが模索するのは自分と外部の異をつなげる方法でしょう。ぼろやくずをアートに逆転する力を知りたいのだ。ネットで鍛えてアナログでつながりたい。そういう階層ミックスの編集能力が必要なのだと思う。僕に言わせればこれ、つまりヘアデザインの本質じゃないか。ヘアデザインは美容師とお客様の、自分と相手の境界でのやり取りだ。境界のクリエーター、美意識の貿易商人だ。
▼海峡の町の港のレストランで地ビールを頼んだ。つまみを2品注文した。さほど若くないアルバイト風のお姉さんがビールと大きなコップに入った水を運んできた。……(2字分ほどの違和感)。無知・無神経・無邪気・野暮・失礼・ただのマニュアル? 一応ありがとうと言いながら、ここで微笑むべきか否かためらった…のだ。コップを端に押しやり、ちっとも出てこないソーセージセットおよび小魚の唐揚げを思い描きながら、2種類2杯飲み続けた。どんどん薄まるような気がした。窓から海がチラと見える。「ここにサービス終わり荒涼始まる…」。一句もどきをつぶやいた。ポルトガルのロカ岬にある碑文、「ここに地終わり海始まる」が頭に浮かんでいたからだ。室蘭の地球岬でも英国西端のランズエンドでも洋々たる気分にしてくれるのが価値なんだけど、芸のないマニュアルは一瞬で断崖と荒涼に化す。ちなみにランズエンドの崖に造られた石の野外劇場「ミナック・シアター」は、ぞくっとする。晴れた日なら間違いなく天から声rが降ってくる。おすすめします。


境界を意識する

2012-12-01 | ★GIGA嵐の予感と五感★

2012年12月1日【土】晴 

…ドウダンツツジの紅葉がハラハラと落ち葉になって行く。久々にインフルエンザの予防接種を受け、冬が始まった。師走だって。早いね。
▼某日。新橋演舞場→築地のすし屋。分かっちゃいるけどやったことのないパターン。異界との境に遊ぶ感覚には病み付きになる浮遊感がある。でもこのパターンは記号化され過ぎていて今の僕には……窮屈? くすぐったい? リアルな現実に意識が強く引き付けられているらしい。演舞場を出たところで入ってくる業界の先輩にばったり。挨拶したそのときの光景の方がいつまでも鮮やかだ。
▼某日。旧知の業界人来社。この人は美容師とメーカーの人との境界にいる。美容への情熱が支持され、情熱がうるさがられ、どこか自分に似ている。10年前、蟻牙オフィスにでっかいサボテンの鉢を送ってくれた。つなぐ役割を形にするある企画が進行する。
▼メーカーとディーラーの機関誌に、コラムの原稿2本。どちらも写真付き。たったそれだけのことがどれだけ助かるか、編集屋出身の僕はよーくわかっている。好評の半分は写真=絵柄のせいだ。つまりデジカメの効用だね。
▼某日。GGセミナー有志と気仙沼に。ガイドを兼ねたタクシー3台で見て、聴いて、触れてきた。一人は1年前にボランティアでの清掃体験もあり、その変貌=進行ぶりには驚いていた。でもぐちゃぐちゃが平らになっただけの変化で、復興したわけじゃない。きれいな青空の下はゼロからの出発。自分ができる応援をし続けよう。さりげなく昔っぽく店内を作り変えたというジャズ喫茶に入った。もう一度飲みに行ってもいいと思うくらいうまい“珈琲”だった。※写真は低い岸壁の上にあった何だかわからない錆びた鉄の円盤。
▼某日。縁戚の法要で東京の下町森下へ。雨の寺町はそれなりに風情だった。ついでに近くの老舗のどぜう屋(昨年廃業した)がどうなったか見に行った。マンションが建築中だった。年寄りばかりの西日の時間帯がよかった……今思えば、あれは境界の外れぎりぎりの味だった。帰りは雨もやんで月が出た。浅草橋で久しぶりに長男に会う。話を聞きながら彼の髪型をチェックしていた。偶然出会った今の担当美容師は、僕の顔見知りだった。独立前の真面目なアシスタントだった頃から。縁の妙を感じつつ××君に会いたいと思った。
▼某日。福岡空港で“横田夫妻”を見かける。ふさわしいかどうか良くわからなかったけど、「応援してます」と声が出た。この理不尽は天災以上に苦しいはずだ。
★ベテラン組のセミナーでは、記憶に鮮やかなキーワードに注視しようと言っている。世界と時代の本質も、自分と時代との距離感もそこから見える。複数でやるといっそう効果的だ。行き着くところは多くは「先端と境界」の問題だ。いろんなものに「あいまいと中立」のスタンスの違いを意識しよう。美容師の仕事(デザイン)は、モノのデザインのように単純に対象化できない。自分とお客様の美意識が不可分に作用する。だから、あいまいさもデザインの一要素という発想が大事だ。終わりも先端も同じ境界線上にある。