おきうとになっとう

博多に暮らす夫婦のブログ

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大河ドラマ

2013-07-08 12:27:26 | おぴにおん
戊辰戦争はこれまであまりドラマの題材にならなかった。
会津戦争がこんなにも悲惨だったことはあまり知られていない。
すでに太平洋戦争のひな形がここにあったのだ。
日本人の負の側面を見せつけられる思いがする。

最大の責任者は時代の流れを読めなかった藩主にある。
確かに私心があったわけではない。
だからこの点が表向き日本では評価されがちだ。
そして旧体制にしがみ付こう負の側面は見過ごされがちだ。

それにしても、ドラマの中の`自己陶酔'の雰囲気は現実だったのか。
見るたびに胸糞が悪くなるが、強ち脚色ばかりとも言えまい。
威勢のいい徹底抗戦主義に押された結果はこうなる。
「敗者には美学」も行き過ぎてはならないと思う。

戦争は絶対に避けなければならない。
戦時の行為について今も議論が盛んだが、虚しいものだ。
最大の罪は戦争を始めたことにあると思うからだ。
人を殺せば犯罪者になるのに、戦争では英雄になる。
これは絶対におかしいし、戦意高揚に女性を利用するなどもっての外だ。

また、死は敬虔なものである。
忌まわしいものでもなければ美しいものでもない。
尊厳死を美化してはならないし、禁止すべきものでもない。
突き詰めれば個人の生き方の問題だから。

ただ、人間は時として冷静さを失うものである。
また、個人の死が人に及ぼす影響は否定できない。
可能性のある生を放棄することはけっして許されない。
この視点からも戦争は絶対に許されない。
尊厳死は自分で生きられる可能性が無くなったときの話だ。

私は戦後生まれだが、戦争のにおいは知っている。
傷痍軍人だとか引揚者だとかを見て育った世代だ。
平和主義ではなく、平和がいかに大切なものかを知っている。
戦争で親や肉親を失った人達をたくさん見てきた。
心の病を負って戦地から帰ってきた人も。
戦争のような愚かなことは絶対してはならない。

基本に立ち返れ

2013-01-25 14:31:10 | おぴにおん
公務員の定年退職問題。
退職金の減額前に駆け込み退職する者が大量に出そうだという。
一般職のみならず教職員にまで広がっているらしい。
卒業式の前に担任教師がいなくなる。
この国の教育制度の現実を見せつける事態だ。

早期退職自体は何も間違ったことではない。
しかし、人を育てるということがそんなにも軽いことだったのか。
仕事にプライドを持たない者が次代を担う子どもたちを育てる。
考えただけでもぞっとする現実である。

「先生として威張っていてもこの程度のものだよ」と教えている印象だ。
教師も人間だし、人間とはこんなにも浅ましいものなのだ。
見方によっては、これは素晴らしい反面教育である。
権威とか制度とか、いかにいい加減なものなのか教えてくれている。
教師は聖職だというので一般職より優遇されている。
実態はほとんど利権化していると言っても過言ではなかろう。
どこで間違ってしまったのだろう。

日本人には何でもすぐ神格化してそこに安心を見出す傾向がある。
ちょっと優れた人がいると、すぐ○○の神様を仕立て上げてしまう。
そうなるとその人は永遠に神様であり続けなければならなくなる。
生身の人間だから間違いもすれば失敗もする。
神格化すること自体が現実から乖離することである。
そこから様々な滑稽かつ悲惨な事態が生まれてくるのだ。

また、すぐりた能力を持つ人がいたら、まずはその人に学ぶのが本筋だ。
神格化することは自分とは違うことを認めること。
自己を高める努力を放棄することができる。
権威主義の元はその辺にある。その方が心理的に楽なのだ。

教師は立派な人格の持ち主であって欲しいという願望。
そしてその願望を制度にまで反映させるから利権と化してしまうのだ。
しかもそうした幻想の下に様々な問題が深刻化している。
今は基本に立ち返って考えるべき時ではなかろうか。

学校に官僚制や教師の労働基本権だけを持ち込むことが間違っている。
基本は子供を一人前の人間に育てることだ。
子供を食い物にするような学校制度であってはならない。
イジメも体罰も今度の問題も基本が見失われていることから生じている。
小手先の制度改革よりも基本に立ち返ることだと思う。

大相撲の楽しみ方

2013-01-09 12:52:04 | おぴにおん
今度の日曜からもう初場所だ。
誰が優勝するか。いつもながらのメンバーだ。
そんな表面的な味方をしていたら興味も湧かない。
大相撲マンネリ化の原因の一つはこういうミーハー的見方だと思う。

もっとアスリートの孤独な人間的戦いを見ようではないか。
白鵬がオジサン状態を脱して戦士に立ち戻れるか。
バルトが大関復帰に根性を示せるか。
口で「頑張ります」と言うだけなら簡単だが結果を出すのは至難。
しかし、そこが見所なのだ。
結果を出せなかったらバルトは所詮その程度の力士だったことになる。

日馬もどれだけ千代の富士に近づけるか。
このままショボンでしまうのか。それとも花を咲かせるのか。
豪栄道は先場所より強くなっているか。
キセノ里は甘さを克服できるのか。
表面的な勝敗ではなく、そういう表に出ない変化が興味深いのだ。
甘ちゃんは所詮一生治らないものか。それとも克服できるものなのか。
非常に興味深いものがある。

ハングリー精神の塊のような舛の山はどうなるのか。
いつか土俵の上で息絶えるのではないかと心配でもある。
しかし、よく頑張っている。幕の内にしっかり残っている。

旭天鵬はどこまでやれるのか。
優勝は結果だと思う。
その過程でどのようなドラマが展開されるのか。
そこに目を向けると興味は尽きない。
ミーハー的な見方を卒業して、もっとハイブラウな見方をしよう。
いろんな教訓が得られると思う。

生活習慣病?

2012-11-11 14:31:12 | おぴにおん
高血圧症や糖尿病を病気と呼んでいいのだろうか。
何でもかんでも病気にすれば医療機関が儲かる。
ここ数年自分が病院にかかってみて感じるところだ。
必要以上に病気が作られ、逆に命を縮めている例も多いのではないか。
率直な疑問である。

病気と診断される。放っておくと大変なことになりますよ、脅される。
病気は薬を飲んで治すもの、手術を受けて治すものという観念がある。
そこで医師の言うままに治療計画に同意してしまう。
それで命が救われたという人は多いだろう。しかし、すべてそうなのか。

まず驚いたのは“食事療法”“運動療法”の存在だった。
薬は療法の一つ“薬物療法”だったのだ。
放っておくと糖尿病は腎臓障害や失明、さらに手足の切断につながる。
そんな怖い病気が運動や食事で治せるなんて。意外。
しかし、今は逆にⅡ型糖尿病を病気と言う方に疑問を持つようになった。
もともとインスリンの出ないⅠ型糖尿病は本当に病気だと思う。
しかし、生活習慣から身体を壊しただけの異常を同じに扱っていいのか。
何だか本当の病気の人に申し訳ない気持ちにすらなる。
それが生活習慣病という呼称に違和感を持った原因だ。

交通事故にも避け難いものもあれば容易に避けられたものもある。
それなのに最近までどれも“業務上過失致死”で片付けられていた。
不慮の事故も酒酔い事故も区別がなかったのである。
今現在、病気も同じような状態だ。
つまり、注意すれば避けられるものも症状だけ見て“病気”にしてしまう。
いわゆる生活習慣病は単に怠慢による自己破壊ではないのか。
これは“生活起因症”ではないのか。
概念を変えた方が適切な治療につながると思うが、どうだろう。

一石を投じた?

2012-11-07 11:05:23 | おぴにおん
大学の認可でワイドショーは持ちきり。
マスコミは今回の不認可をこぞって批判。まるで袋叩きだ。
日本人はこういうのが好きなのだろうか。
賛成不賛成はある。しかし、こういう袋叩きはいかがなものか。
大臣は実情を知らないというが、マスコミは知っているのだろうか。
ただ騒いでいるだけとしか思えない。

私学が本当に自分の資金だけで運用されるなら自由にやらせればいい。
その代わり、私学助成金を一切廃止する。
子供たちが可哀想?可哀想なのは納税者ではないのか。
文部科学省の指導に従えば必ず認可が下りるというのもおかしな話だ。
そこに巨大な利権と天下りの温床が生まれる。
まるで絵に描いたような利権構造ではないか。

大学を卒業しても自分に会う職業が見つからない若者が多い。
今の大学のあり方こそ問題である。
この際、私学助成金は大幅削減すべきだろう。
それでも開校を目指すならそれはホンモノかもしれない。
こんな社会に放り出される若者こそかわいそうだ。
“一石を投じた”という言葉でごまかされてはならないと思う。

真面目過ぎるのも

2012-11-04 12:54:11 | おぴにおん
日本では一般に“真面目”は好いこととされている。
しかし、その割に今の日本は余りにも・・・。
日本人はタテマエとホンネの使い分けが上手いのかもしれない。
テレビのコメンテーターの奇麗事には呆れるばかりだ。

しかし、それだけではあるまい。
真面目はさておき、真面目すぎるというのは愚かさに通じるだろう。
ルールを守ることは重要だが、前提がある。限界がある。

決められたとおりに予防接種を受けたら子供が命をなくした例がある。
誰も親を責める事はできないだろう。
しかし、親自身にしてみればこれほど無念なことはあるまい。
真面目に接種をした者が命を落とし、無視してしなかった者が生きている。
自分を責めるしかないことにもなろう。まさに生き地獄である。

ただ真面目であれば全てOKというほど人生は簡単ではないということか。
もちろん、基本は真面目である。しかし、冗談一つ言えない人は好かれない。
津波が迫っていたら先生の言うことなんかに従ってはいられない。
当たり前のことだと思う。人生はすべて自己責任だ。

すべては確率の問題だ。
リスクはあってもしなければならないことはする。
リスクばかり対して効果の低い事は止める。
ある意味簡単だ。しかし、それがまた難しい。
人生の難しさのひとつだろう。

M・Cを軽々しく扱うべきではない

2012-10-25 11:45:18 | おぴにおん
尼崎の事件でマインドコントロールが話題になっている。
些細なことに因縁をつけカネをせびり取る手口は昔からある。
しかし、今回のようなMCによる多数の殺人は例が無い。
現在の日本の世相を象徴するような痛ましくもあり腹立たしくもある事件だ。

「カネで済めば」という安易な考えが命まで奪われる結果になる。
某球団の監督が脅されて1億円払った事件を思い出す。
こういうこちはテレビドラマの中だけの話では無いようだ。
それどころか世間一般に広がっていると見たほうがいいだろう。

そればかりか他人の命令に従って親に対して命を奪うほどの暴力を振るう。
周りの人たちも見て見ぬ振りをしたり、関わるのを避ける。
警察も民事介入批判を恐れてか、億劫がってか、深く追求しない。
法の空白地帯が生じている。あるいは、そうなり易い状況がある。
そこにはイジメと同じ構造が見えてくる。

親を殺すというのはどう見ても以上だ。
そこでMCが盛んにワイドショーで取り上げられている。
たまたま見た番組のコメンテーターは実行犯にかなり好意的だった。
少なくとも、そう取られかねないコメントをしていた。

実際がどうだったか知る由も無いが、MCはそんなに軽いものだろうか。
当たり前だが、脅されれば何をやってもいい訳がない。
そういうことがある程度認められる甘さ。
それがこんな事件を生んだ背景にあると見る。
常識では考えられないような倫理の崩壊。
イジメのようなことを繰り返すマスコミだからこそMCを持つ出すのかも。

マインドコントロールとして簡単に片付けてはならない。
また、マスコミにマインドコントロールされないように気をつけねば。

人生は変えられる

2012-05-28 08:36:29 | おぴにおん
テレビで禁煙にチャレンジする若い人の密着取材を流していた。
鳥越俊太郎の医療番組。近ごろは医療機関で禁煙をサポートするらしい。
禁煙というより、脱煙と言う方が正しいかも知れない。
若いころたばこを止めたときの経験を思い出してしまった。
もちろん、サポートする薬などない時代なので自分の意志だけで止めたのだが。
以下はそこから分かった事柄。

まず人間は自分を正当化するためにいろいろ理屈をつけるということ。
番組でも「タバコを吸うとリラックスできる」とか「至福のときを味わえる」とか。
番組では言っていなかったが、欧米の研究によればそれは完全な錯覚だそうだ。
タバコはかえって緊張感を高めるものらしい。
普通の人はタバコがなくてもイライラしないが、喫煙者はイライラする。
そこでタバコを吸うとそれが解消されて“いい気分”を味わえるらしい。
自分で自分にストレスをかけて、それからの解放感を味わっているだけ。
明らかに中毒症状であり、健康のリスクに見合うものではないだろう。
ストレス解消は重要だが、身体を痛めるようでは元も子もない。
欧米ではもはやタバコは麻薬の一種のイメージが定着しているそうだ。

実際に駅で見たこともあるが、番組の中での喫煙所の風景は印象的だった。
俗に“目が据わったような状態”とでもいうのだろうか。
目つきが変わっている。動作は赤ん坊が乳首を吸い続けるようなイメージ。
心理学では「タバコは幼児の愛情欲求の代償行動」だそうな。

気分を変える方法は他にいくらもある。
第一、他人にも大きな迷惑をかける。子供のいる人などもってのほかだ。
音楽を聴いたり、静かに瞑想したりするだけでも十分落ち着く。
番組でも紹介していたが、カギは快楽感を生じさせる脳内物質ドーパミン。
喫煙以外でこれを発生させるパターンを作り上げればいいのだ。
タバコは止められる。自分は変えられる。人生は自分で変えることができるのだ。

地震情報は正確さが第一では

2012-03-23 08:30:03 | おぴにおん
昨日のNHKでちらりと見たが、局では地震情報の伝え方を改善しているという。
命を守るために、情報を単純化し、インパクトの強い出し方を工夫しているという。
それはそれで結構なことだ。ただ、ちょっと心配なこともある。

一つは、伝達ばかりに目を奪われ、市民の行動パターンに配慮しているかの懸念。
命を守るために大きく報道すれば、皆が血相を変えて避難する。
ところが予想が外れ津波は数センチ。それが何回か続けばどうなるか。
私は、そちらの方がかえって危険に思われてならない。
以前にも書いたように、今回の大津波にもそのような慣れが災いした嫌いがある。

二つ目は、アナウンサーやスタッフが動揺を見せることである。
情報を伝えるのは言葉だけではない。
気が動転した伝達者が「冷静に」と呼びかけても伝わるわけがない。
マニュアルだけではない。日頃の訓練や修養に多くの人の命がかかっている。

立派なマニュアルや訓練があっても官僚体質が改まらなければ命は救えない。
命を救うという高邁な理想を掲げるなら、まずは正しい情報を冷静に伝えること。
さして、本当に危ないとき「危ない」ことが伝わるようにすること。
それには報道機関の更なる自覚が必要に思われる。大勢の命がかかっているのだから。


手作り人生

2012-03-17 13:28:58 | おぴにおん
何でもお金を出して買う時代。漬物からおせち料理まで。
こんなのが流行っています、と服から音楽まで。
電話は今ではケイタイからスマートフォンへ。
こんなので“自分の人生だから”と胸を張って言えるのだろうか。

「時代の流れだから」では済ませられないものがあるのではなかろうか。
特に日本人は群れで行動したがる。小学生から会社員、町内会から老人会まで。
さんざん「会社人間」をやってきて、定年になると「スローライフばんざい」だ。
何がスローライフだ。人間、自分が生きたい様に生きればいいのだ。
他人に提案してもらわなければ生きられないで他人に説教なんかするなよ、と言いたい。

果たして“手作り人生”が見直される時代が来るだろうか。
既製品の溢れる社会の中で、自分らしく生きていけるのだろうか。
疑問は多々あるが、これだけは言える。
すべてが既製品の世界なんか絶対面白くない。
人間まで既製品のようになったらさらに面白くない。