ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

白けるし、御笑いを駄目にする

2019年03月31日 | 御笑い関連

御笑い大好き人間の自分だが、所謂ネタ見せ番組”を見ていて、“観客の過剰反応”に白けてしまう事が結構在る。

 

好きな御笑いタレントに対して顕著なのだろうが、彼(等)or彼女(等)が舞台に出て来ただけで大笑いする。何かを言ったり、何かしたりする、笑うポイントでも何でも無いのに、手を叩いて大笑い。酷い場合、落ちに行く前に笑ったりも。そうなると、肝心の御笑いに集中出来なくなってしまう映画館映画を観ている際、周りから間断無く話し声が聞こえたり、何かを食べている大きな音が聞こえたりしているのと一緒の感じ。

 

こういう観客、昔も存在しなかった訳では無い。“ドリフ”の番組等、“笑い屋”とも呼ばれる小母ちゃん達の笑い声が“演出”として使われていたし、1980年代初めの漫才ブームの際には、一部のアイドル扱いされた漫才師達が舞台に登場しただけで、大笑いする観客はた。でも、“今”程は酷く無かった様に思う。

 

状況と無関係に笑ってくれる客というのは、“の無い御笑いタレント”にとって、非常に有難い存在だろう。詰まらなくても笑ってくれるからだ。そんな御笑いタレントが増産されて行けば、御笑いの世界は駄目になって行く。

 

“腕の在る芸人敢えて、御笑いタレントとは書かない。)”ならば、状況と無関係に笑ってくれる客というのは邪魔なだけだろう。「そういう環境に順応してしまえば、自分の腕が落ちて行く。」のが判っているから。そういう芸人は消える事無く、残って行くに違い無い。

 

「腕が在る者は残り、無い者は消える。」というのは当たり前の事だが、無粋な観客”が増える事で、御笑いの世界全体のレヴェルは確実に落ちる。困った話だ。

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2 コメント

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枝雀ごえ (雫石鉄也)
2019-03-31 10:47:16
私は、いわゆる「お笑い」芸人はまったく知りません。かような連中のテレビも見ません。
では「お笑い」は嫌いなのかというと、そうではなく上方限定ですが、落語は大好きです。
落語会にもよく行きます。私がよく行く、喜楽館や繁昌亭などでは、客は無意味に笑いません。私自身も、前の方に出てくる若い落語家なら、1席の噺に、クスリと一度笑えばいい方です。
出てきただけで客が笑う。亡くなった桂枝雀師匠が一生かけて到達しようとしたく境地です。この記事に出てくる「お笑いタレント」は浪速の爆笑王桂枝雀をこえているということですね。すごいですね。
>雫石鉄也様 (giants-55)
2019-03-31 16:43:20
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

記事の中でも書きました様に、笑いのポイントは千差万別ですので、本人が笑いたい時に笑えば良いのですが、其れにしても“笑い屋”の如く、無分別に笑う観客というのは、笑い全体の質を下げこそすれ、向上させる事は無いと思っています。


子供の頃、初代・林家三平氏が舞台に登場するだけで、客席が湧く光景をテレヴィで見ました。笑いの好みは在るでしょうが、自然発生的に起こる笑いというのを子供心に感じ、「凄いなあ。」と思った物。其の一方、腕の無い御笑いタレント(自分はこういう類いを“芸人”と呼びたくないので、敢えて使い分けています。)がネタを遣っても、気の毒になる位、客は湧かない。そういう時代が在りました。


「無闇矢鱈と笑う観客の増加が、突如人気が出ても、あっと言う間に消えて行く“一発屋”が御笑いの世界に増産されて行く様になった。」事とは、強い関係性が在るのではないでしょうか。



子供の頃に見た林家三平

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