ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「われら百姓家族・遺言」

2019年06月16日 | TV番組関連

ドキュメンタリー番組が好きで、「NNNドキュメント」や「ザ・ノンフィクション」、「ドキュメント72時間」等を良く見ている。登場する人達の半生と我が身の来し方照らし合わせ、色々と考えさせられる事が多い。

10年前の記事で紹介した「山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷」等、強く印象に刻み込まれたドキュメンタリー番組は結構在るが、先日見た「われら百姓家族・遺言」も、ずっと忘れられない番組となる事だろう。

此の番組の内容に関しては此方に詳しく記されているが、概要は次の通り。登場人物達の年齢には記憶違いが在るかも知れないが、御容赦願いたい。

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・「われら百姓家族シリーズ」は、フジテレビ系列の「ザ・ノンフィクション」で放送されて来た。第1弾「われら百姓家族」(2000年7月23日放送)、第2弾「われら百姓家族2~旅立ち~」(2001年8月5日放送)、第3弾「われら百姓家族3 とまどい」(2002年12月22日放送)、第4弾「われら百姓家族4 結婚」(2003年12月14日)、そして今回の第5弾「われら百姓家族・遺言」(2017年5月7日)という内容。

・若い頃は学生運動明け暮れ大学卒業後に入社した国鉄では、労働組合書記務めていた大森昌也氏。32歳の時に知り合った仕事仲間と結婚した彼は、「自然食品の配達をし乍ら、有害な排気ガスを巻き散らしている事。」等、社会に矛盾を感じていた事に加え、長男が喘息持ちという事も在り、都会を離れ、兵庫県朝来市の山中に家族で移り、自給自足生活を始める。

・19年前に放送された第1弾の時点で、大森さんの家族は父親(昌也氏)と3男3女の7人。母親は一番年上の長男が15歳の時に離婚し、山を下りている。其の時、一番年下の双子の女の子は5歳。長男は高校に合格していたけれど、幼い弟と妹の面倒を見る事や自給自足生活を維持する、進学を断念。

・第1弾では、長男は20歳。一番年下の女の子達は10歳だったか。義務教育期間の子も含め、家事優先で、合い間に学校に行くという状況。

・第1弾~第4弾で家族の変化を取り上げて来たシリーズだったが、父親の昌也氏が2016年にで亡くなった(74歳)事で、2年前に放送された「われら百姓家族・遺言」が最終回となると思われる。
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此のシリーズ、記憶違いで無ければ、第1弾と第2弾はリアル・タイムで見ているが、他は見ていなかった。

“自給自足”と書いたけれど、“完全自給自足”と書いた方が良いだろう。野菜やを育て、そして食す。(卵から育てた鶏を、子供達が“締め”て、首を切り落とし、毛を毟り肛門から掻き出してから、包丁で身を捌く。思わず目を逸らしたくなる光景だが、が生きて行く上で避けられない“現実”で在り、こういう行為を自分がしていなくても、代わりしてくれている人達が存在するからこそ、我々は生きて行けるのだ。)鶏糞から作ったメタン・ガスを使用する等、一家全員で自給自足生活を成立させているという感じだ。

上で書いた様に、子供達は男3人と女3人の合計6人。其れ其れ個性的なのだが、話が拡散してしまうので、男兄弟だけに絞って書いてみる。

今回見た「われら百姓家族・遺言」は、第1弾~第4弾の“纏め”も含まれている。第1弾の時点で、長男は20歳、次男は17歳、三男は15歳。同じ兄弟で在っても、自給自足生活に対する思いはばらばらで、長男と次男はそういう生活に満足している様な感じ(特に長男は「自給自足の生活しか考えられない。」という感じだった。)なのに対し、三男は「で嫌で仕方無い。」という感じで、家事にも身が入っていなかった。

けれど、第2弾以降、兄弟達の思いは少しづつ変わって行く。「自給自足生活に満足していて、金なんか全く必要と思わない。」と言っていた次男だが、自給自足生活をする傍ら、町に出てバイトをして金を稼ぐ様になる。そして結婚し、実家近くに自分で家を建て、夫婦で生活を開始。子供の頃、父親の昌也氏は「其れ其れ家庭を持った子供達が、実家の周りに其れ其れの家を作って住み、自給自足生活を送ってくれるのが夢。」と語っていたけれど、次男は実現した事になる。

自給自足生活が嫌で嫌で仕方無かった三男は、学校を卒業した後、家を飛び出す。工務店で住み込みのバイトをした後、上京して役者の道を進む事にした彼を、父親は何も言わずに見守る。「田舎に住んでいた若者が、都会に憧れて上京するも、厳しい現実に挫折し、故郷に帰る。」というのは、ドラマ等で良く見聞する設定だけれど、信じていた人から手酷い裏切りをされた三男も、役者の道を断念し、数年後には実家に戻っている。裏切られた悲しさを涙を浮かべて語り、そして黙々と自給生活を続ける彼の姿は、何とも切なかった。

どんどん変わって行く弟達に対し、長男は一貫して変わっていない様に感じられた。多くを語らず、非常に寡黙な彼。自給自足の生活に満足している様な彼だったが、“”を感じさせる様な瞬間が何度か見受けられた。「高校に合格していたけれど、両親の離婚で進学出来なかった。兄弟達の面倒を見なければいけなかったし。若し進学出来ていたら、自分の人生も変わっていたかな。」と語る彼からは、“自給自足の生活を選ばざるを得なかった環境”と、両親、特に子供達を捨てて行った母に対する、非常に複雑な思いが強く感じられた。

時は、大きく流れる。実家は父親の昌也氏だけとなり、子供達は全て家を出て行った。長男と次男は其れ其れ家庭を持ち、実家近くに家を構え、三男は独身の様だが、別に住んでいる。又、独身の娘達は家を出て、其れ其れ働いている様だ。

昌也氏は前立腺癌罹患するも、入院等はせずに自宅療養していたが、癌が副鼻腔等に転移した事で、左目を摘出し、顔面には大きな腫瘍が幾つか出来ていた。がりがりにやせ衰えた彼は、子供達の前で「余命3ヶ月。」という告知をした事等、医師の処置に対して不満を漏らしていた。

残り少ない命の父を、子供達は交代で実家に行き、面倒を見る。冬は雪深い場所らしく、屋根に積もった雪を20歳過ぎの娘達が落としたりもしていた。

「別れた妻に、最後に会いたい。」、父親の言葉に戸惑う子供達。家を出て行ってから一度も顔を見せる事が無かった母に対し、兄弟達は「会いたいと思わない。」と言い続けていたし、「父親も同じ考え。」と思っていたからだろう。でも、父親の強い思いを受け容れ、子供達は「父のに、母を呼ぼう。」という思いになる・・・1人を除いては。

子供の頃から一貫して、「幼い子供を置いて、1人で家を出て行ったんだぞ。そんなの許せる訳ないし、会いたいとも全く思わん。」と、母に対する強い嫌悪感を隠そうとしていなかった長男だけが、母を呼ぶ事に最後反対した。「色々在ったけれど、父親の思いを尊重して上げたい。」等とする兄弟達、又、「何でそんなに拒むのか、私には理解出来ないけれど、彼がそんなにも拒むので在れば仕方無いと思う。」と困り顔で話す長男の妻。そんな兄弟達に対し、「許すなんて考えられない。」と不満を口にする長男。

結局、母親は父を見舞った。30年以上振り其れも“死”を目前にした元夫に対し、彼女は終始淡々とした感じだった。大きく泣き崩れたり、過去を謝罪したりする事も無く、其の意外さが実に印象的だった。恐らくは“夫婦”という以前に、“同志”という関係性が強かったのではないだろうか。そして、長男は最後の最後迄母親を許す事無く、会う事は無かった様だ。

昌也氏が亡くなって以降の子供達の(2年前の時点での)近況が、最後に報告されていた。一番驚いたのは長男で、あんなにも好きだった山を離れ、妻の故郷・鳥取県の海の近くに移り住んでいるという事だったから。子供達(3人?)に、きちんと教育を受けさせたいから。というのが移り住んだ理由の様だが「『子供達、特に自分がきちんとした教育を受けられなかった。』という“心の”が、ずっと彼を苦しませ続けていたのだなあ。と感じた。良くも悪くも“父親の呪縛”から解放された様な感じが在り、長男の表情は、今迄で一番明るい感じがしたし。

74歳で亡くなった昌也氏は、自分の人生を振り返って、どう思ったのだろうか?又、今年アラフォーの長男を始めとして、6人の子供達は自分の半生を、どう考えているのだろうか?(子供の頃、卵から育てて来た鶏を絞め、そして包丁捌く事に恐怖と嫌悪感を持ち、泣き乍ら逃げ回っていた長女が、「ああいう光景を見ていた事で、“命の大事さ”というのを強く感じられる様になり、食べるという事に感謝する思いが育った様に思、う。」と、肯定的な発言をしていたのが印象的。)

鶏や山羊の切り落とされた頭部や、昌也氏の御遺体が映し出される等、直視するのが辛い場面も在ったりはするが、“現実”は現実として受け止め、色々考えさせられる事の多い番組だった。


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