ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「今日でお別れ」に関する知らなかった事実

2022年01月15日 | 其の他

ブログでは過去に、阿久悠氏や松任谷由実さん、中島みゆきさん、岩谷時子さん、小林亜星氏、古関裕而氏、平尾昌晃氏、いずみたく氏、渡辺宙明氏、菊池俊輔氏、冬木透氏、千家和也氏、筒美京平氏、松本隆氏、なかにし礼氏、古賀政男氏、そして服部良一氏と、昭和歌謡界”を牽引した天才的な作詞家作曲家を取り上げて来た。

昨夜、BS-TBSで「なかにし礼ヒット全集 一周忌追悼・名曲誕生秘話」という番組が放送された。数多の名曲の作詞を担当したなかにし礼氏が亡くなられたのは2020年12月23日で、一周忌が過ぎた事で組まれた特番だ。

懐メロ大好き人間なので、此の手の番組を良く見る。だから、年代の人と比べると、懐メロに関する知識は豊富な方だと思うのだが、其れでも「そうだったの!?」と驚かされる事実を知る事は少なく無い。

1978年、俳優黒沢年雄(当時の芸名は「黒沢年男」。)氏が歌って大ヒットした曲「時には娼婦のように」【動画】。作詞を担当したのがなかにし氏なのは当然知っていたが、作曲を担当していたのも彼だったというのは知らなかった。又、更に驚いたのは、彼自身が、此の曲を歌っている映像が在る。動画】という事。黒沢氏とは違った、味わい深い歌声が良い。

1987年、俳優・石原裕次郎氏が歌ってヒットした曲「わが人生に悔いなし」【動画】。石原氏が生前リリースした最後のシングルで、彼自身の来し方を振り返った様な此の曲を作詞したのもなかにし氏だが、作曲を担当したのが加藤登紀子さんというのは知らなかった。

作曲を依頼したのはなかにし氏との事で、後に加藤さんが「どうして、私なんかに依頼したんですか?」となかにし氏に聞いた所、僕と貴方は、“同じ物”を見て来たから。と答えたそうだ。満州国で生まれ、7歳の時に命辛辛日本引き揚げて来たなかにし氏。戦争の恐ろしさを心底思い知らされた事が、其の後の彼の生き方に大きな影響を与え、そして手掛けた詩にも色濃く反映されているのは知っていたが、「同じく満州で生まれ、2歳で日本に引き揚げたという経験を持つ加藤さんならば、生と死という物に対する思いが共有出来ているだろうし、石原氏の人生の最期託す歌の作曲には、一番適している。」と考えたのだろう。

菅原洋一氏が歌い、“1970年”に大ヒットした「今日でお別れ」【動画】。なかにし氏が作詞した菅原氏の曲としては、「知りたくないの」【動画】と並んで好きな作品だが、此の曲に関しても知らなかった事実が。

昨年、「ヒット曲の意外な事実」という記事を書いた際、矢張り懐メロが御好きというKei様から貴重な情報を戴いた。記事の中で「『また逢う日まで』【動画】は尾崎紀世彦氏が歌った曲というイメージが強いだろうが、最初に歌ったのは槇みちるさんだった。」と書いた所、コメント欄に「歌詞は全く異なるものの、ズー・ニー・ブーというグループが最初に歌った曲。」という書き込みを戴き、非常に勉強になった。

で、「今日でお別れ」だが、元々は1966年に、或る作曲家のリサイタル用になかにし氏が作詞した作品で、其のリサイタルで此の曲を歌ったのは加藤登紀子さんだった。と言うのだ。加藤さん曰く、「リサイタル後の評判は非常に良かったのだけれど、『女心を歌った曲は、女性歌手が歌う物。』というのが一般的だった当時なのに、『男性歌手が歌った方が、女心はより伝わるのではないか。』と何故かスタッフが考えた様で、自分の曲としてシングル化される事は無かった。」と。

そして、翌年の1967年3月、菅原洋一氏の曲としてシングル発売される事になったのだが、「曲のメロディーの美しさが強調される。」という“8分の6拍子”のテンポだった。全くヒットしなかったけれど、「良い曲。」と信じた菅原氏は、地道に歌い続ける。

其れから2年9ヶ月後の1969年12月、テンポを“4分の3拍子”に変えた形で、シングルを再発売すると、「今日でお別れ」は1970年に大ヒット。菅原氏曰く、8分の6拍子の時は、歌詞が一気に流れて行く様な感じだったが、4分の3拍子に変えた事で、一言一言気持ちが伝わるフレーズとなった。と。


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カバーソング (Kei)
2022-01-15 17:36:34
こんにちは。
私もなかにし礼氏は大ファンで、昨日のBS-TBSの「一周忌特集」も録画して保存してますが、まだ見ていません。というのもその前、午後7時からBSテレ東で「昭和は輝いていた 輝きを増したカバーソング2時間スペシャル」という番組が放送され、こちらを追っかけで録画再生して見てましたので。
この武田鉄矢がMCを務める「昭和は輝いていた」も私は大好きで、毎回ほとんど録画保存してます。昭和の貴重な映像や、昭和に流行った音楽、テレビ番組の映像などがあって、昭和世代の私としては懐かしく見ています。
で、偶然ですがその番組の中で、一度発売されたもののヒットせず、歌詞や歌い手を変えてカバーした歌が大ヒットしたというものについて何曲か取り上げられており、その中にGiants-55さんがここで書き込まれております、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、最初にズー・ニー・ブーというグループが歌った「ひとりの悲しみ」を、歌詞を作り変えたカバー曲だった事が紹介されておりました。
この他にも、ザ・ピーナッツが昭和37年に歌った「手編みの靴下」(岩谷時子作詞・宮川泰作曲)が、歌詞も題名も変え、園まりの「逢いたくて逢いたくて」として昭和41年に発売し、大ヒットとなったことも取り上げられてました。
これは私も知ってましたが(ザ・ピーナッツ版のCDも持ってます)、次の2曲については私も知りませんでした。
昭和39年、成田綾子が歌って売れなかった「愛しちゃったの」(浜口庫之助作詞作曲)が、翌年「愛して愛して愛しちゃったのよ」と改題し田代美代子&和田弘とマヒナスターズが歌って大ヒット。
昭和38年、ボニージャックスが歌った明治製菓のチョコレートのCMソング(山上路夫作詞・いずみたく作曲)が、昭和42年に歌詞の一部を変えて「世界は二人のために」と題し佐良直美が歌って大ヒット。
CMソングでは「愛、きみと二人、花、きみと二人…」となっていたのを、「あなた」に変えています。
これらの他にも「人生劇場」や「君恋し」など、戦前の曲が昭和30年代にカバーされ再びヒットした事など、2時間たっぷり紹介されていました。
この番組、お奨めですよ。ご覧になってるかも知れませんが、もしご覧になってないのならぜひチェックしてみてください。
ちなみに、なかにしさんは何曲か自分で作曲もしており、「時には娼婦のように」もそうですが、菅原洋一さんやロス・インディオスが歌っている「知りすぎたのね」もなかにしさんの作詞作曲です。
>Kei様 (giants-55)
2022-01-15 21:18:20
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

なかにし礼氏の1周忌特番、録画されていたのですね。期待していた以上に中身の濃い番組でした。

「昭和は輝いていた」は、其の日の新聞欄で内容を確認し、興味が惹かれる内容の時は、忘れない様に録画予約して見ておりますが、昨日は見ませんでした。(結構な頻度で、この番組は見ているのですが。)

今回も興味深い情報を有り難う御座います。「今日でお別れ」の様に、“元歌”のテンポを変えたらヒットしたという例の他に、他の方が歌ってヒットしたという例も在りますが、全く何も変えずに、“時代”が変わった事でヒットしたという例も在りますね。「斬新なアイデアで作り出された商品が、時流に合わずに売れなかったけれど、時代が変わった事で脚光を集める様になった。」というのが在ったりしますが、“流行歌”も其の例が出は無いという事なのでしょう。

「知りすぎたのね」も名曲ですが、此れもなかにし氏が作詞&作曲なのですね。近年、此の手のムード音楽がヒットしないのが、個人的に凄く残念です。

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