ドラマ「龍馬伝」は中々見応えが在る。演技の上手い人が多くキャスティングされている事や映像の美しさ、そして「視聴日記:『龍馬伝』 第36回『寺田屋騒動』」や「視聴日記:『龍馬伝』 第43回『船中八策』」等で青空百景様が指摘されている様に、演出の上手さが光っているので。登場人物の一人で在る西郷隆盛の描かれ方も、個人的には斬新さを感じた。非業の死を遂げた彼に対しては判官贔屓も手伝って、「清廉潔白な人物」という描かれ方が一般的だったと思うのだが、「龍馬伝」では「腹黒い部分“も”感じさせる西郷隆盛」という描かれ方。「完全無欠な人間なんぞ、果たして存在するか?否、存在する訳が無い。」と思っている自分からすれば、「腹黒い部分“も”感じさせる西郷隆盛」というのはリアルさを感じさせるし、其れが故に人間臭くて余計に“西郷どん”が好きになる。
以前の記事「不敬」でも書いたけれど、自分は王貞治氏や手塚治虫氏の熱烈なファンなれど、だからと言って彼等を盲目的に信奉する気は全く無い。友人と言われる存在だって相手の事を100%知り得る訳も無いのに、ましてや実際に付き合ってもいない人間を信奉してしまうのはどうかと思うから。(「『賢明な昭和天皇様が、そんな御言葉を口にされる訳が無い!』の一言で全否定をした元ニュースキャスターの女性ジャーナリストなんぞは、全く不思議でならないし。)
良くも悪くも、龍馬にだって腹黒さは在ったかもしれない。否、人間で在る以上、全く腹黒さの無い人間なんて存在しないだろう。其れが又、人間的な魅力に成り得ると思うのだが、彼に対する思い入れが強過ぎると、上記した女性ジャーナリストの様に「龍馬に邪悪さなんか存在する訳が無い!」とする人が出て来る。そういった人が増えれば増える程、「龍馬嫌い」では無く、「『度を越した龍馬好き』嫌い」が多くなってしまうのかも。
でも、歴史上の人物に強い思い入れを持ってしまう事自体は、自分も理解出来る。冷静沈着にして知略に長けた「諸葛亮孔明」が自分は大好きなのだが、「彼の神業的な逸話の少なからずが、後世の虚構。」というのを知った時もショックだったが、何と言ってもショックだったのが、「実は孔明は喜怒哀楽が顔にハッキリ出るタイプで、其れを相手に見せない為に、大きな羽扇で顔や口元を隠していた。」という説。冷静沈着な孔明のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていったのは言う迄も無い。
以前の記事「不敬」でも書いたけれど、自分は王貞治氏や手塚治虫氏の熱烈なファンなれど、だからと言って彼等を盲目的に信奉する気は全く無い。友人と言われる存在だって相手の事を100%知り得る訳も無いのに、ましてや実際に付き合ってもいない人間を信奉してしまうのはどうかと思うから。(「『賢明な昭和天皇様が、そんな御言葉を口にされる訳が無い!』の一言で全否定をした元ニュースキャスターの女性ジャーナリストなんぞは、全く不思議でならないし。)
良くも悪くも、龍馬にだって腹黒さは在ったかもしれない。否、人間で在る以上、全く腹黒さの無い人間なんて存在しないだろう。其れが又、人間的な魅力に成り得ると思うのだが、彼に対する思い入れが強過ぎると、上記した女性ジャーナリストの様に「龍馬に邪悪さなんか存在する訳が無い!」とする人が出て来る。そういった人が増えれば増える程、「龍馬嫌い」では無く、「『度を越した龍馬好き』嫌い」が多くなってしまうのかも。
でも、歴史上の人物に強い思い入れを持ってしまう事自体は、自分も理解出来る。冷静沈着にして知略に長けた「諸葛亮孔明」が自分は大好きなのだが、「彼の神業的な逸話の少なからずが、後世の虚構。」というのを知った時もショックだったが、何と言ってもショックだったのが、「実は孔明は喜怒哀楽が顔にハッキリ出るタイプで、其れを相手に見せない為に、大きな羽扇で顔や口元を隠していた。」という説。冷静沈着な孔明のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていったのは言う迄も無い。
其の対象が好きで好きで堪らなかった事が、結果的に憎悪へと転じてしまう。所謂「可愛さ余って憎さ百倍」。又、自分自身と非常に似た部分が多い事から、其の対象に嫌悪感を覚えてしまう。此れは「近親憎悪」と言っても良いでしょう。事程然様に、人の気持ちとは複雑な物です。