「宮城自然農園」ブログ  -GIAN'S ORGANIC FARM BLOG- 小笠原諸島・母島で自然農

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指し百姓をしています。
その中で学んだことを紹介したいと思います♪

第二十八共勝丸 最後の航海 ~アナザー・ストーリー

2018年12月19日 | 島のイベント
■2018年12月19日、島の暮らしを支える貨物船「第二十八共勝丸」が最後の航海をするにあたり、母島でも引退セレモニーが行われました。

共勝丸は島の生活には欠かせない存在です。
主に車両や建築資材、ガソリンやガスの危険物など
客も乗せるおがさわら丸が運べないものを運んでくれます。

帰りは産業廃棄物などを運搬してくれています。

この度、1993年から25年間、島の暮らしを支え続けてくれていましたが、
老朽化が進み、この度新造船と代わることになりました。

ちなみに船名の「第二十八~ 」は、
1から順番に船が造られたわけではなく、その都度名づけられるそうです。
「第二十八~ 」は、末広がりの縁起をかついだ船名なのだそうです。

次の人生は旧ははじま丸と同じ、ソロモン諸島で活躍してくれるそうです。
小笠原で活躍した2つの船が遠く離れた同じ地で活躍するなんて、なんだか不思議ですね♪

母島の引退セレモニーは当初、予定されていませんでした。
出発の時間などが読めない理由からでしたが、積荷作業の関係では母島に最後1泊することになり、
朝の出発が確定したので、急遽セレモニーが決定しました。

多くの島民や学校関係者も
島のライフラインを支えてくれた共勝丸の引退を見送る為に集まりました。

島の事務所長、船長から挨拶を頂き、
父島~母島アクセスの会からは感謝状が贈られました。


普段、普通に暮らしていて関わる機会は少ない共勝丸ですが、
我が家にとってはとても大きな存在の共勝丸。

今回はそのもう一つの物語を記したいと思います。


最後にはは丸と交錯する第二十八共勝丸

■うちの奥さんは別名「共勝の女」と呼ばれたほど、共勝丸が大好きな人です(爆)。
僕と結婚するまでに2回小笠原に来ているのですが、一度も定期船おがさわら丸に乗ったことがなかったツワモノです(笑)。

今回、村内放送の予定すらなかった母島の引退セレモニーですが、
冒頭に書いたように開催が決まり、村民向けに流れた瞬間に、
嬉しくて思わず泣いてしまうほど共勝丸を愛している人です(*^_^*)

この最後の航海の日程が決まってから、
この日が近づくにつれてソワソワしていました(笑)。

結婚当時はまだ普通のお客さんも乗せてくれていた時代でした。
東京~父島まで18000円(食事付き)、2段ベットに湯船もある贅沢な船旅。

船員さんたちは本社がある宮城県、石巻の人々がほとんど。
とても気さくで優しい船員さん達です。
訛りの強い東北弁を話すので、人によっては何を言っているか分からないこともしばしば(笑)。
その点、僕は東北出身なのでほとんど何を言っているか分かります♪

共勝丸の着く岸壁には沢山の資材とフォークリフト。

■そして、2006年に家族で日本1周旅行をした帰りに共勝丸で父島に帰りました。
その時は海が悪く、4泊5日の船旅でした(笑)。

写真は当時の月島で乗船するときのものです♪

一度、伊豆大島まで進みましたが、時化の為に館山沖に引き返したのです。
それは、積荷が破損しないための配慮でした。
島から本土に向かう場合はゴミなど産業廃棄物ばかりなので、そういうときは多少の時化でも行くそうです。

丁度2月3日の節分の日だったので、
館山に接岸してもらい、コンビニで節分の豆を購入し、船内で豆まきを行いました♡
当時3歳の長女も、沢山デザートをもらったりして、本当に良くしてもらいました。

その時、奇遇にも一緒に船に乗っていたヤギが今飼っている「なつ」なのです。
運命の不思議ですね~

最後の積み込みを行う共勝丸

■また、2008年に僕の母がカナダで危篤状態に陥ったとき、その連絡は定期船おがさわら丸が出港した直後でした。
その時、運良く共勝丸が翌日に東京に向けて出港するタイミングでした。
すぐに乗せてもらうようにお願いをしに行きました。

役場でパスポートの緊急発行の手続きを行い、緊急で航空券も手配してもらいました。
人生初めての外国に行くのがまさかこんな理由とは。

当時の写真です。27歳なので若いですね(笑)。

飛行機に間に合うか、初めての海外はどうなのか?
不安な気持ちの僕に船員さんたちはとても優しく接してくれました。
「大丈夫だ。絶対に間に合うように届けてやるから、安心してけろ」
この言葉がどんなに頼もしかった事か!!

船内ではゲームやビデオなど沢山のおもてなしを受けました♡

その後、無事に予定通りカナダに渡れて、脳死状態の母と対面し、最後の務めを果たして来れました。


これは石次郎海岸から撮影しました

■そして、忘れられないのが3.11東日本大震災の時の事です。
当時のブログ記事がこちらです。

宮城県石巻に本社のある共勝丸。
その本社は大津波で壊滅的な被害を受けました。
その時、社長さんも行方不明となっていたのです。(後に死亡が確認されました。ご冥福を祈ります)

震災発生直後、共勝丸の船員は一度、石巻に向かいますが、
すぐに小笠原に向けて出港します。

自分たちのホームグラウンドが大変な事になっているのにも関わらず、
小笠原を目指してくれたのは、
小笠原の人々のライフラインとして重要な役目を担っているからだと聞きました。

そんな状態で島に向かってくる共勝丸の船員さんたちを、
どう迎えたらいいのか。
どう感謝の気持ちを伝えたらいいのか。

仙台出身の僕は、
共勝丸が大好きな妻は、
何か役目がある気がして、寄せ書きを集めて渡しました。

自分たちにできることはこれくらいしかありませんでした。

なのに後日、島の「子供たちへありがとうの気持ちを」と沢山のお菓子を届けてくれたのです!!

この時の事は本当に忘れられません。
本当にありがとうございます!


鮫が先展望台から共勝丸のいる沖港を望む

■他にも台風でおが丸が欠航している最中、
共勝丸が物資を届けてくれて、
それに感激した母島の皆さんが共勝丸の歌を作ったエピソードもあったそうです♪(←すごく聴いてみたい!)

また、1月の定期船おがさわら丸が船舶検査のために3週間のドック入りしている間、
島の生鮮食品と郵便を運搬する重要な役目も果たしてくれています。

島の暮らしに欠かせないガソリンもドラム缶に入って共勝丸が運んでくれています。

そして、沢山の産業廃棄物。

このいわゆるトン袋が港に沢山積まれると、
ああ共勝丸が来るんだなと分かります。

リユースするお酒のビンだって、運んでくれています!


知らない間に私達の生活を支えてくれているのです。

母島最期の夜の共勝丸

■いよいよ最後のお別れの時が来ました。

その場の全員で記念撮影をしました。

共勝を愛する妻はなんと乗船して、父島に向かって行ってしまいました(笑)。


長女はもう大粒の涙を流しています。

さびしいよね。
ありがとうだね。
いってらっしゃいだね。


よく見ると本当に活躍した爪痕だらけの船体です。

この2年は船艇に穴が開いてしまったり、エンジントラブルが続いたり、本当に大変だったと思います。
まずは、お疲れさまでしたと言いたいです。

長女はこの見送りの為に、
授業を少し抜けさせてもらって来ました。
彼女にとって大事に思う部分なのでしょう。
はは丸の交代式を思い出します。

灯台を過ぎて、堤防に隠れつつあるなかでも、最後まで彼女は見送っていました。
その姿をみて、20年以上前から共勝丸に関わってきた人が目に涙を浮かべていました。

こんなに我が家にとっても沢山のドラマを持っていた共勝丸。
関わった人の数だけのドラマがあるでしょう。
この船は第二の人生をソロモン諸島で旧はは丸と一緒に活躍するんだね。

次からは新しい共勝丸が島のライフラインを支えてくれます。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

どうもありがとうございました!!

出港の瞬間の動画も撮りました(Kくん、カメラをありがとう!)。


その後、父島でもセレモニーが行われたそうです☆
写真が送られてきました(*^_^*)

父島のセレモニーや最後の出港はオガツアーのおがちゃんがブログに書いてくれています♪
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