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空飛ぶ漁船(青ヶ島滞在記⑤)

2020年03月20日 | 青ヶ島 滞在記
→その④の続き

たった1泊の滞在にここまで記事が続くのは珍しいです(笑)。
それだけ、想い焦がれていた青ヶ島に上陸できたのは、本当に嬉しかったです。

■さてさて、今回の記事はようやく青ヶ島観光です。
母島からなんと青ヶ島に移住した友人がいて、お休みを取って青ヶ島の案内をしてくれました♪
島の色んなエピソードを教えてもらいながら、色んなところを案内してもらいました。
本当に感謝です♪

幸運にも滞在中は風もなく暖かい天気に恵まれ、幾つもの素晴らしい景色を見ることができました。
圧倒的なその風景の数々に言葉を失いました。

青ヶ島の友人に色々連れて行ってもらった中で、
幸運にも偶然見ることができたのが有名な「空を飛ぶ漁船」でした。

青ヶ島は周囲が崖で、ビーチがありません。
流れの速い黒潮に囲まれた接岸が厳しい唯一の三宝港。

激しい高波で、高く作った先客待合所も船揚場も大時化時には波をかぶってしまうそうで、
今では漁船は船を毎回毎回クレーンで吊って、高台に納めているのです。

話には聞いていましたが、ちょうど島の唯一の港を見に行ったときに、
漁船が量から帰ってきたので、その場面を一部始終拝見することができました。

港に着き、クレーンに漁船を接続し、岸壁の高さまで上げたら水揚げです。
水揚げされている魚はハマダイに見えました。

クレーンを稼働させる時は、何とも言えないメロディーが流れます。
船置場に行くまでに一般車道の上を通る為、
クレーンゲームのようなやけにシュールなメロディーなんです。☆

見上げて首が痛くなるほどの高さを飛ぶ漁船。

その背景のコンクリートで固められた崖。

周囲を見て回るその先々に、色んな箇所で土砂崩れを見かけます。
青ヶ島の厳しい環境を伺えます。
そして、その中で賢明に生きる島の人の逞しさも同時に垣間見ました♪

こちらは式根島にもあるような急こう配な船置場。
ここでも高波を食らうことがあったようで、現在は使われていません。

近くには古い船客待合所があります。
こちらも高波の影響で閉鎖されています。
屋上は浴場になっていたそうですが、今は使われていません。

港の堤防のすぐそばにまでザトウクジラが来ていて、とてもビックリしました!!

青ヶ島は島の周囲が断崖絶壁で、どこかで土砂崩れが発生したあとがあります。
信じられない数の足場で工事している様を見ると、その厳しさが伝わっています。

集落から海沿いに三宝港に向かう道も土砂崩れで通行止めでした。

■三宝港は南西向きの小さな港。
やはり西風や時化に弱いので、島の東側にも港を作ろうという動きはあったそうです。

大千代港がそれです。

しかし、そこに繋がる道はやはり崖を縫って行くような急な道。
土砂崩れで長い年月、通行止めとなっています。

ここから先は通行止めなのです。

大千代港が使用中止となるきっかけとなったのは、
平成6(1994)年9月27日に発生した村道の崩落事故のようです。
なんと3人の島民が犠牲になっていて、その命を祀られた慰霊碑がありました。


道路からは現在使われていない小さな岸壁が見えました。

青ヶ島の立地の厳しさをまざまざと見せつけられました。
この厳しい環境で暮らしているという強さに身震いしました。
本当に凄いです。


■青ヶ島に着いてから、次女がお世話になった関係各所に挨拶周りをしました。

密かにお気に入りの発電所横の看板です(*^。^*)
素朴な青ヶ島の風景は一目見て、離島好きの妻が好きそうだなぁと思いました。
もちろん、僕も大好きです♪

学校には簡単に挨拶し、午後の次女のお別れ会の際にゆっくり伺うと約束し、
役場と教育委員会に行きました。

急な短期就学にも丁寧に対応してくれ、そのお礼を伝えました。
丁度役場に戻ってきた村長さんにも挨拶できました。
村長さんは以前、ははじま丸船上でお逢いしたことがありました(*^。^*)
母島の共通の知人の話にもなり、「よろしく言っといてくれよ~!」とのこと。
なんだか嬉しかったです♪


役場と学校の近くにはなんと信号機がありました!!
これはやはり子供の教育の為に設置されたそうです。
母島にはないものですね(*^_^*)

柔道などでお世話になった駐在所。

母島では二家族が勤務してくれていますが、青ヶ島は1家族。
ずっと待機状態なわけなので、なかなか大変な環境と思います。
そんな中、色々してもらっていることに頭が下がります。


これは火山活動(1783~1785年)で島外に避難を余儀なくされた青ヶ島島民を、
再び島の暮らしを再開させる「環住」(1835年)を果たすのに成功させた佐々木次郎太夫さんのお墓です。

もの凄い幾多の苦難を乗り越えたと書かれています。
現在の青ヶ島の歴史を再開させた伝説の方です。


以前の記事で書いた、佐々木卯之助・翁の碑です。
これをこの目で見れて、とても感傷的な気持ちになりました。
ようやく、あの人の暮らした目線の島に来れたのですから。


青ヶ島の空の玄関口、ヘリポート。
1993年から運行が開始され、欠航が続きやすい青ヶ島のアクセスに革命がおこったと思います。
たった9人乗りの空の便ですが、霧さえなければほぼ毎日運航できる交通手段というのは、
とても有難いものだと思います。

年間就航率が50%を切る厳しさや、
なかなか整備できない厳しい環境の大千代港を見ると、
空の便の有難さは本当に大事だと思います。

ヘリポートはヘリの運航だけでなく、お祭りや島踊りの舞台としても使われているそうです。

■昨日は青ヶ島小中学校の卒業式。
次女はお祝いのメッセージを一生懸命作り、贈りました♪

青ヶ島小中学校の先生も、快く対応してくれ、飾ってくれたそうです。
みんな見てくれて、喜んでいたとも聞いて、とても嬉しかったです♪
本当に有難うございます!
卒業、おめでとうございます!!

こうして、人はつながっていくんだな、と。

今日は母島の小中学校の卒業式。
新コロナ対策で入場はできませんが、島を巣立つ最後の晴れ舞台を応援したいと思います♡

新コロナ対策で全国一斉休校の流れの中、
東京の島では小笠原村と青ヶ島村だけがいち早く、乗船時の検温や問診、安全対策を行い、
学校再開を果たしました。

お蔭で、無事に迎えれる卒業式です。
本当に感謝ですね(*^_^*)

その⑥へつづく→




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