大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆奇妙な恐怖小説群
☆ghanayama童話
☆写真絵画鑑賞
☆日々の出来事
☆不条理日記

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆分野を選択して、カテゴリーに入って下さい。

A,日々の出来事

☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の恐怖 ワイの話 (8) ヤマセミさん

2018-05-12 19:03:30 | B,日々の恐怖







  日々の恐怖 ワイの話 (8) ヤマセミさん







 この話は短いで。
高校時代、12キロの山道をチャリで往復すんのに辟易したワイは、とうとう原付に手を出した。
バイトした金を元に中古のスクーター買って、高校近くの親戚の家の軒先でチャリに乗り換えて通学する生活を送っとった。
 高2の秋、土曜の真っ昼間や。
バイクで部活から帰ってるとき川の土手を走る区間があるんやが、対岸の畑の上を白い鳥みたいなんがワイと並行して走ってるんが見えた。
 対岸までは多分20メートルくらいあるし、普通鳥の姿形までは見えへんのに、あきらかに鳥にしてはでかすぎるんや、ゆうにワイの身長くらいはあった。
 姿形は図鑑で見たことのあるヤマセミやった。

“ えぇ・・・・?”

と思ってバイクを停めると、ヤマセミは対岸の山の方へ行ってしまって見えなくなった。
 ワイの地域にヤマセミはおらんのやけど。
迷鳥のコンドルか何かを見間違えたんかと思ったが、まあ今もワイはヤマセミさんやと思っとる。

















童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
 大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々の出来事 5月12日 キュリー夫人

2018-05-12 12:09:49 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 5月12日 キュリー夫人






 今日は、キュリー夫人がラジウムを発見した日です。(1898年5月12日)
キュリー夫人は、夫婦でノーベル物理学賞(1903年)を、単独でノーベル化学賞(1911年)を受賞しました。
この2度の受賞は人物として最多記録です。
 ピエール・キュリーは、ソルボンヌ大学の同じ研究室にいるマリヤ・スクウォドフスカに言いました。

「 僕は神経質で短気だ。
君は冷静で粘り気がある。
ぴったりだ。」
「 ええ・・・。」
「 僕たち二人が一緒なら、塩化ナトリウムのように安定で煩わしさがないよ。」
「 確かにそうだわ。」

二人は結婚し、大量のピッチブレンドから、ラジウムとポロニウムを精製、発見しました。
そして、夫婦はノーベル賞を受賞し、娘もノーベル賞を受賞しました。






ピエール・キュリーとマリー・キュリーです
 ↓





















☆今日の壺々話












キューリー夫人とキュリー夫人の定理






定理

一般に、次の不等式が成り立ちます。

キューリー夫人と言う人の年齢 ≧ キュリー夫人と言う人の年齢


証明
昔は、キューリー夫人と言っていましたが、今は、キュリー夫人です。






















ノーベル賞受賞者“ピエール・キュリー”







「 う、うっ、うっ、・・・・・・。」
「 お前、何涙ぐんでんだよ?」
「 この本読んでたら、悲しくなって・・・・。」
「 “キュリー夫人の生涯”・・・・・?
あぁ、頑張り屋だからな、キュリー夫人は。」
「 違う!」
「 じゃあ、何?」
「 なんて、マイナーなんだ・・・・、キュリー夫人の夫。」
「 え、そんなヤツいたんだ!?」






















放射能と白血病






 マリー・キュリーは、女性として初めてのノーベル賞受賞者であり、しかも、物理学賞と化学賞を受けた最初の人物です。
 フランスのソルボンヌ大学を卒業後、夫のピエール・キュリーとともに、大量のピッチブレンドという鉱石(瀝青ウラン鉱)の残液からラジウムとポロニウムを発見しました。
それが1898年のことです。
 二人を結びつけたのは放射性物質の研究で、それは当時最先端の研究テーマでした。
わずかなラジウムを抽出するために、それを含むピッチブレンドを何トンも処理しなければならなかったのです。

 ラジウムの発見によって、マリーは夫であるピエール・キュリーとともにノーベル物理学賞を受賞しました。
これが、1903年、36歳のときです。
 夫のピエールが1906年に事故死しましたが、彼女は1911年には、放射性物質の研究やポロこウムとラジウムの分離などに関する功績によって、今度はノーベル化学賞を受賞しました。
 しかし、研究中、絶えずラジウムからの放射能を浴びていたため、彼女の体は蝕まれていったようです。
1934年の初め頃から、彼女は体調不良を訴えるようになりました。
疲労しやすく、微熱に苦しみました。
 その年の5月、ついに病床につきます。
血液検査の結果、白血球も赤血球も異常に減少していることがわかりました。
長年、手がけていたラジウムの放射能のために白血病に冒されていたのです。
 彼女は体調不良を感じても、医者にかかるのを嫌いました。
ただの医者嫌いではなく、キュリー夫人を尊敬する医者は一人も金を受け取らず、それが彼女を困惑させるからだったと言います。
ようやく異常が見つかったものの、治療法はありませんでした。
そして、7月3日、逝去。66歳でした。
 キュリー夫人の時代、その害が問題視されるようになったのは、夫人が亡くなる10年ほど前だったと言います。
晩年の夫人は白内障のために視力をほとんど失っていましたが、それも放射線の害によるものと思われます。
 キュリー夫人が亡くなった翌年、長女のイレーヌが夫のフレデリック・ジョリオとともに核分裂反応の発見によってノーベル化学賞を受賞しました。
そのイレーヌもまた後に58歳で白血病のために亡くなっています。
 白血病は、白血球が異常に増殖する、いわば血液のがんです。
近年、白血病が増えていると言われ、日本における年間の死亡者数は約6000人です。
医者の話によると、“急性白血病は、治療を受けないと死亡する可能性がありますが、今では治療を受ければ70%は治り、5年生存率も年々上がってきています。その理由は、骨髄移植というまったく新しい治療法が開発されたから。”
 白血病は治る病気になったと、近頃は強調されています。
実際、現在では骨髄移植によって白血病から生還した著名人も多いのです。
放射性物質を直接扱う研究者だったマリー・キュリーが放射線による白血病で倒れたことは、科学者としての殉職だったとも言えます。
マリー・キュリーの一生をふりかえると、放射能の研究に自らの命を捧げたとしか言いようがないでしょう。
それでは、“もし、キュリー夫人が現代に生を享けていたら、助かっていたのでしょうか。”
その結論は、

「 骨髄移植を受けて治る可能性が非常に高いでしょう。
治癒すればもっと長生きするはずで、さらに新しい研究で功績を上げたかもしれません。母親として、娘のノーベル賞授賞式に立ち合うこともできたのではないでしょうか。」







キュリー夫人の遺品




 なんと、いまだ博物館の中で、鉛の箱の中で保管されています。
彼女の若かりし頃の物であろう、料理の本やレシピ、ノートまでが、今も防御服着ないと触れないほどの放射線を発しています。

 日本人留学生山田延男はキュリー夫人に師事し、放射線の研究を始めました。
しかし、将来を嘱望されていた彼は31歳の時に原因不明の奇病で亡くなってしまいます。実は多量の放射能を無防備で受けた放射線障害だったことが30年余りのちにわかるわけです。
数少ない遺品の中に彼が当時使っていたパスポートがあり、それは、80年の時を過ぎた今もなお強い放射能を帯びています。






















       もっとも偉大な女性科学者は誰?

  (英科学雑誌“ニューサイエンティスト誌”のアンケート調査)




 2009/7/3 18:22 - 英科学雑誌“ニューサイエンティスト誌”が読者を対象に行ったアンケート調査の結果、「科学史上もっとも偉大な女性科学者は誰?」という問いに対して、4分の1の読者はキュリー婦人と答えていたことが2日、明らかとなった。

 キュリー婦人ことマリ・キュリーは放射能の研究およびラジウムの発見で生涯で、2つのノーベル賞(物理学賞と化学賞)を受賞した20世紀を代表する天才科学者。
長年に渡る放射能に関わる研究のため、白血病のため66歳で氏去。
キュリー婦人の娘でアルファ線の研究でノーベル化学賞を受賞したイレーヌ・ジョリオ=キュリーもやはり白血病のため58歳で氏去するなど、家族ぐるみで放射線研究に生涯を捧げたことでも知られている。


2位はワトソンとクリックによるDNAの2重らせん構造解明の足がかりとなる初期研究を担ったロザリンド・フランクリン、
3位は紀元400年頃、新プラトン主義哲学校の校長を務めたアレキサンドリアのヒュパティア、
4位はパルサーを最初に発見したジョスリン・ベル・バーネル、
5位はコンピューター言語「Ada」で有名なジョージ・バイロンの娘のエイダ・ラブレス、
6位は核分裂の実質的発見者のリーゼ・マイトナー、
7位は化学者のドロシー・ホジキン、
8位は数学者のソフィ・ジェルマン、
9位は生物学者のレイチェル・カーソン、
10位は生物学者のジェーン・グドールとなった。

2位以下の科学者の内、どれだけご存じですか?























     結果を出せなかった






「結果を出せなかった」
最近、局アナもよく使ってるし、言いたい事は判るんだけど、
良いに付け、悪いに付け、結果はその都度出ると思うんだが・・・。


「評価する」というのも同様。
評価の結果が○であれ×であれ、評価していることには変りない。
しかし、政治ニュースなどで単に「評価する」というと、○の場合を指すことが大半。


でも日本には「あした天気になあれ」という言い方もあるよ。
そういう文化なんだよ。


すごい納得した。


「深くお詫び申し上げます」と頭を下げる謝罪会見。
・・・あれ?肝心のお詫びは?っていつも思うけど、これでお詫びの言葉を言ったことになるらしい


ゴルゴ13が「礼を言っておく」とだけ言って、「有り難う」と言わずに感謝を現すのも何時も違和感を感じる。


そんなのはまだまし。
「心よりお詫びしたいと思います」
なんてのもあるぞ。
お詫びしたいならさっさとお詫びしろって話だ。
「さっさとお詫びしろと言いたい」
言いたいならさっさと言え!


ニュースキャスターや女子アナが、
「今回の事故で『放射能漏れ』はありません」
とかなんとかスカシ顔で言っちゃってるのを聞くと、意味もわからず原稿を読んでるんだなぁ、と思ってしまう。
「放射能」と「放射線」の違いって中学の時に理科の先生から教えてもらったよな?


こういう理解でいいか?

放射能=ウンコ 放射線=ニオイ と置き換えて読め。

ウンコからニオイが放射されている。
ウンコを片付ければ、すぐにニオイがなくなる。
片付けなければ、ウンコが分解するまでずっとニオイがする。
ある程度のニオイに晒されても健康には問題ないが、
それが多いと、涙が止まらずゲロを吐きまくる(健康に異常をきたす)。
ウンコを体に取り込んでしまったらもう大変。


ちょっと違うな。
放射線=ニオイ だとすると、ウンコ=放射性物質だよ。
ウンコは臭いを放つ能力、すなわち放射能をもつ物質ってこと。
従って、ニュースが「放射性物質または放射線漏れがなかった」
と伝えたかったとして、これをウンコに置き換えると、
「今回の事故で『ウンコ漏れ』はありませんでした」か、
「今回の事故で『ウンコの臭い漏れ』はありませんでした」
というのが正しい。
って、何をまじめに語ってるんだか…。


おお、それが言いたかったのですよ。
先に言われてしまった。
大便(代弁)ありがとう。





















 ノーベルニート賞な人々






・親の目にも涙

・部屋の中にも三年

・絵に描いた嫁

・職安に入らずんば仕事を得ず

・棚からエロゲ

・夢を追うものは一職も得ず

・ニートも歩けばDQNにあたる

・苦しい時の親頼み

・渡る世間に職は無い

・一寸先も闇

・逝くニートHDDを残さず

・親は金なり

・後悔職に就けず

・四面オタ

・三十六計篭るに如かず

・働かざること山の如し

・立てばコンビニ 座ればPC 歩く姿は穀潰し

・泣きっ面に萌え

・親銭身につかず

・居間を過ぎれば焦りを忘れる
















童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
 大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月11日(金)のつぶやき

2018-05-12 12:09:28 | _HOMEページ_

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。

-------大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ-------