2020年6月より、拙ブログのコンテンツの一つ「洛中洛外聖地巡礼記」を再開します。これは第1項の「洛中洛外散策記」と第2項の「洛中洛外けいおん記」から成ります。
第2項の「洛中洛外けいおん記」は2019年8月に完了していましたが、第1項の「洛中洛外散策記」は未着手のままでしたので、京都に戻って一年近くになり落ち着いてきたのを機に、これまでの散策記録とこれからの散策計画を気ままに綴ってみたいと思います。
聖地巡礼といえば、昨今では小説やドラマやアニメの舞台となった場所を巡ることを意味する場合が多くなっています。ですが、古代以来近世までの日本において、「聖地」とは「歴史の舞台」もしくは「宗教上の拠点」を指しました。双方を合わせると、一般的な「史跡社寺仏閣巡り」になると思います。
つまり、いま我々が「史跡探訪」とか「寺社参詣」と呼んでいるものは、本質的には「聖地巡礼」の普遍的な形式であったわけですが、それが現在の日本でも観光の普遍的なスタイルになっています。この普遍的なスタイルが、平安時代の京都を中心とする貴族たちの巡礼行動をルーツとしていることは、「源氏物語」の流行と宇治十帖巡りのブーム、「七大寺日記」等に綴られる南都巡礼などに端的に示されていると思います。
そうした「聖地巡礼」の原点に立ち返り、平安時代の京都を中心とする巡礼行動を現在の視角で自由気ままに試み、様々な歴史への考察や謎解きを楽しみながら、「古きをたずねて新しきを知る」感動を重ねてみたいと思います。それが「洛中洛外散策記」の大体の内容となります。
既に、2019年8月に京都市に戻ってきた直後より、暇を見てはあちこちへ「聖地巡礼」していましたので、記事案は様々にあります。隔日連載の形で少しずつアップしてゆこうと思います。ある程度記事数が揃ってきたら、目次を整備する予定です。
上図は、宇治の平等院鳳凰堂です。私にとって宇治という地域は常に「最高最美の聖地」であり続けていますが、その理由などについても、少しずつ触れて行ければ、と思います。