ココロの仏像

慈悲を見るか。美を視るか。心を観るか。

大和路のみほとけたち 1  額安寺文殊菩薩騎獅像 上

2011年10月02日 | みほとけ

 大和の平安時代彫刻は難しい、とよく言われる。つまりは藤原時代彫刻が分かりにくいからであろう。しかしながら、大和地方の古代仏像の大半を占めるのが藤原時代彫刻であるので、藤原彫刻がわからないと大和の仏像彫刻史の本質はおろか基準線も把握しづらいままであるように思われる。

 額安寺の文殊菩薩騎獅像は、そんななかにあって、意外にも多くのヒントを与えてくれる重要作品の一例である。国重文指定を受けるものの知名度は低く、隣の乾漆虚空蔵菩薩半跏像の人気の陰にひっそりとして印象も薄いが、ひとたび直視してみれば数々の考究心をいやがうえにも刺戟してくれる興味深い像である。

 像の特徴として、まず両膝部の衣文が挙げられる。膝から足首にかけて同心円状に連なる襞の形は天平後期彫刻の系譜上にあるが、その彫り口には紛れもない康尚時代特有の鋭さと平滑感とが同居する。
 次に頭部を大きめに造る点は、小像であるためというより、像の印象を少年らしくみせる工夫のひとつであろう。少年少女の愛らしさを好んで仏像彫刻に反映させた康尚時代の造形表現は、藤原彫刻史に少なからぬウエイトを占めているが、この像の場合は少年らしさを強調しつつも表情は青年風となり、しかも天平的な端正さにまとめられる。

 以上の二点が違和感をみせることなく独自の「風格」を醸成しているところに、この像の造形表現の妙が感じ取れる。像高45センチの小像でありながらもこの気宇の大きさはどうであろうか。これが大和の藤原彫刻かと思わず感心させられてしまう。当時の造仏界の頂点たる平安京定朝一門の作風のなかにはみられない、幾つかの「選択肢」が大和にはあったのだということを改めて考えさせられる。
 加えて板光背が舟型であるのも大和らしいが、しかしこの選択は像の周辺にかつては鮮やかな彩色をちりばめて像の印象をさらに強めることを目指していたはずである。いまでは大部分が剥落して白い下地色しか残らないが、板光背の中心に表される円光部にも繧繝のような彩色がなされて像本体を浮き立たせる効果をみせていたことであろう。

 こういう像が造られるところに、大和国の面白さがある。大和の伝統的な精神世界の深さと広がりとが感じられる。隠れた名像とは、このような像のことを云うのであろう。
 写真では見えないが、獅子像もまた重要である。藤原時代特有の大きな眼と大きな口からくる独特の明るさがみられ、しかも騎乗のための帯や金具まで簡潔に彫り表してある。南山城禅定寺の文殊菩薩騎獅像の獅子像ほどの滑稽感はないが、雰囲気は非常に近い。ただ四肢が直立でなく、左の前足と後足をやや前に進めて動勢を示すところに表現の進歩がうかがえる。像の作風とあわせて11世紀前半までの年代をみておきたい。 (続く)


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