「行列」というと、ボートハウスのトレーナーや六本木のホブソンズあたりから騒がれ始めたのでしょうか? 今ではラーメン屋には「行列するのが当たり前」のような風潮が定着していますネ。私は「並んでまで食べる」というのに耐えられません‥‥。改札口やレジに並ぶのも大っキライなもので‥‥(^^ゞ
そんな私ですが、40年前にはラーメン屋に並んでいたんです‥‥。
北千住のTSUTAYA(かつての緑屋)の向かい、現在は「コージー・コーナー」がある場所に、「たぬき屋」というラーメン屋がありました。
小さな店内は
こんな感じでした。「○」はスツールです。ヘタな絵で申し訳ありませんが、10人~11人で満席。だから店の外に数人が並んでいたんです。それでも多くても5人程度でしたが。そして、相席が当たり前でした。
不思議と女性に人気があり(あっさり味だから?)、店内はほとんどが千住の町で買い物をしている女性客でいっぱいでした。だから父はなかなか行きたがりませんでした。
肝心のラーメンの味は、あっさり醤油。それだけ。トッピングはメンマ、チャーシュー(1枚)、のり、ナルトだけでした。
メニューのバリエーションは「ラーメン」「チャーシューメン」「メンマラーメン」「ワンタンメン」のみ。それらを組み合わせた「チャーシューメンマラーメン」「チャーシューワンタンメン」などもありました。その他の一品料理やご飯ものはありませんでした。あ、なぜか「ところ天」(「心太」の表記ではありませんでした)や「あんみつ」もありました。夏場は「かき氷」も。
それらのお品書きが、筆文字で書かれた短冊で「板製ベンチ」の背中側の壁の鏡の上部に貼られていました。昭和50年頃の記憶では、「ラーメン」が280円、「大もりラーメン」が350円でした。
このお店で不思議だったのは、「ラーメン」を注文すると、お給仕の女性が「おそば一つ」と厨房に伝えること。厨房からはハリのある男性の「ハイ!おそば一丁!」という声が聞こえてきました。黒ブチめがねをかけたおじさんの姿をチラっと見たことがありますが、ハッキリと見たことはありません。
お給仕の女性はショートカットで、なかなかの美人だったのを覚えています。母とよく行っていた私は顔を覚えられていたので、千住の町で会うと挨拶を交わすほどでした。
そういえば、3つあるテーブルにはそれぞれ「星占い」の付いた灰皿が置いてありました。こんなヤツです。
女性が多い店内では、タバコを吸う人なんていなかったのですが。
それから、紙カップにピーナッツが出てくるベンダー器が置いてあったことも。
冒頭でも書きましたが、現在「コージー・コーナー」が入っているビルに建て替えられる時に閉店してしまいました‥‥。その後15年ほど前に、一度だけ元の店舗の裏の路地に復活したのですが、また無くなってしまいました‥‥。もう二度とあの味には会えません‥‥。
そんな私ですが、40年前にはラーメン屋に並んでいたんです‥‥。
北千住のTSUTAYA(かつての緑屋)の向かい、現在は「コージー・コーナー」がある場所に、「たぬき屋」というラーメン屋がありました。
小さな店内は
こんな感じでした。「○」はスツールです。ヘタな絵で申し訳ありませんが、10人~11人で満席。だから店の外に数人が並んでいたんです。それでも多くても5人程度でしたが。そして、相席が当たり前でした。
不思議と女性に人気があり(あっさり味だから?)、店内はほとんどが千住の町で買い物をしている女性客でいっぱいでした。だから父はなかなか行きたがりませんでした。
肝心のラーメンの味は、あっさり醤油。それだけ。トッピングはメンマ、チャーシュー(1枚)、のり、ナルトだけでした。
メニューのバリエーションは「ラーメン」「チャーシューメン」「メンマラーメン」「ワンタンメン」のみ。それらを組み合わせた「チャーシューメンマラーメン」「チャーシューワンタンメン」などもありました。その他の一品料理やご飯ものはありませんでした。あ、なぜか「ところ天」(「心太」の表記ではありませんでした)や「あんみつ」もありました。夏場は「かき氷」も。
それらのお品書きが、筆文字で書かれた短冊で「板製ベンチ」の背中側の壁の鏡の上部に貼られていました。昭和50年頃の記憶では、「ラーメン」が280円、「大もりラーメン」が350円でした。
このお店で不思議だったのは、「ラーメン」を注文すると、お給仕の女性が「おそば一つ」と厨房に伝えること。厨房からはハリのある男性の「ハイ!おそば一丁!」という声が聞こえてきました。黒ブチめがねをかけたおじさんの姿をチラっと見たことがありますが、ハッキリと見たことはありません。
お給仕の女性はショートカットで、なかなかの美人だったのを覚えています。母とよく行っていた私は顔を覚えられていたので、千住の町で会うと挨拶を交わすほどでした。
そういえば、3つあるテーブルにはそれぞれ「星占い」の付いた灰皿が置いてありました。こんなヤツです。
女性が多い店内では、タバコを吸う人なんていなかったのですが。
それから、紙カップにピーナッツが出てくるベンダー器が置いてあったことも。
冒頭でも書きましたが、現在「コージー・コーナー」が入っているビルに建て替えられる時に閉店してしまいました‥‥。その後15年ほど前に、一度だけ元の店舗の裏の路地に復活したのですが、また無くなってしまいました‥‥。もう二度とあの味には会えません‥‥。
ラーメン屋というと国道沿いの札幌ラーメンのチェーン店を思い出します。どさんこ、どさん娘、サッポロ、どさん子大将、ラーメン大学。住んでいた場所と地域柄もあるやろけどね。山盛りのゆで卵はどこのお店でも定番でした。
子供の頃はどんなにしょぼくても外食と言うだけでうきうきしましたよね。
星占い、やはり国道沿いのドライブインに置いていました。数年前京都の喫茶店で見かけてあら、懐かしいと思いました。うなみの知ってるのは上が灰皿タイプではないです。灰皿はアルマイトのが置いていました。
またそんな店に限って
不味い!
これ定番っすね!
最近は回転率も店のグレードに影響しますよ
大崎の六厘舎がいい例ですう
北千住に住んでいた頃、妻とよく通っていました。
何しろ値段が安くて。。。
味はまぁ普通でして「騒がれる程ではないなぁ」なんて思ってました。
当時の勤務先が、その店から僅か数秒のところにありましたので、空いている時間を見計らってちょくちょく行ってました。
混むときはかなり待つのでイヤでした。
店の持つ地味で何の変哲もないシンプルさは好きでした。
お給仕のおばさん(私が通っていた頃はおばさんでした)とラーメンを作っているおじいさん?の掛け合いがよかったですね。
いかにも下町の大衆食堂っぽくて。
平成16年に閉店したそうですが、今でも北千住に通うたびにそのお店を思い出してしまいます。http://ramentheater.com/walk/tanukiya_kitasenju.html
私は素がきやには行ったことがありませんが、ラーメン屋と甘味ってアリなんですネ。
どさん子ラーメンは、厚木に住んでいる頃にお世話になりました。夜中に空腹になり、バイクやクルマで行ったものです。
>tanbadaさん
美味しいから行列ができるのだと思っていました。私は並ぶのが苦手なので、食べる前にパスですが(苦笑)。
>海老隊長
やっぱり「たぬき屋」をご存知でしたか。グルメ雑誌に採り上げられていたなんて知りませんでした。
味は極めて普通なんですよネ。だからこそ希少なのかもしれません。私のラーメンの好みの基準になっています。
ご紹介いただいたサイトでは、復活後の店舗を採り上げていますネ。平成16年に閉店したのは復活した方ですネ。
みやこどりとかもよく行ったっけ。
星座占いのクルクル巻かれた紙も懐かしいな。
店の名前がわかっただけでも幸せな気分です!ありがとうございます!
私の記憶にあることでしたら、このブログに記事を書いていきます。千住出身の方でしたら、身近な話題が飛び出てくるかもしれませんヨ。
しょうがくせいの頃によく母と行きました。
懐かしくて投稿させていただきました。
営業中です!作る人が代わって若干味の差が
ありますが、当時を思い出す美味しさです!