92歳の老父が癌の摘出手術を受けた、クリスチャン系の都内の有名なS病院に、一昨夜急に気分が悪くなった老父を夜間の急患で連れて行った。
当直医の指示した検査や診断は、きっと正しいのだろう。説明もきっちしとしてのだと思う。結論としては、原因不明との事。それはそれで良いのだが、その後がいけない。「もう、92歳なんですから、いつ何があっておかしくはありませんから」と・・・。
確かに、そうなのであろう。決して間違っているとは、この関西なまりの医師に言うつもりは無い。しかし、この医師は、自分が勤務する病院の名誉院長で、全国的にも著名な、同じ高齢者のH先生にも、まったく同じ事を言えるのであろうか?
帰宅したあと、老父は、「確かに、いつ何があってもおかしくない年齢なんだねぇ、わたしは・・・」と淋しげに呟く姿を見て、この医師には仁の心はまったく無いと思ったのだった。老父は、この医師の言葉に思った以上に深く傷つけられたようであった。
翌日、相変わらず具合の優れない老父を見に行った妹に、私は近隣のN病院に行くように迷わず言った。それは、あのS病院から、仁の心が無くなりつつあるように思えたからである。
【後日談】
実は、このS病院には患者相談窓口なるものがあって、やはりこの病院に通院している家内が今回の件を話したのだった。そして、「本当に申し訳ございません。謝って済むことでは無いのでしょうが、是非直接お話して謝らせて頂けませんでしょうか?」と天使のような優しい口調で言われたという。そして、その担当した救急部門の責任者へは、早速連絡するとのことだった。
「もう言われてしまった事だから、今更何を言われても、老人の心の傷が癒えるとは思わないが、まあ、どうしても、と仰るならば、どうぞ本人に連絡して下さい。」と伝えたのであったが・・・。
実際、連絡を受けた父は、その感じの良さに多少は元気を取り戻したかのようであった。普通の病院であれば全く無理されてもおかしくない件だけに、その対応の誠実さはさすがS病院だと思った。少なくとも、「このS病院から仁の心がなくなりつつある」と書いた、私の独り言だけは撤回したいと思う。
高齢な方がよく入院してくる時に
ドクターから、病状によっては覚悟してほしい
不測な事態になる恐れがあることを承知しておいて欲しいときに
家族にそう伝えておくのですが
予測に反し元気に退院する方もおいでて
それはそれでめでたいことです。
ドクターからの何気ない言葉が誤解されることも
多くあるため、後から言葉のフォローも欠かせません。
ここ近年、仁の教育は現場で学んでいくという感じでしたが
教育現場でも人間教育に力を入れるようになったという話をききました。
仰るとおり、家族が言われるのは分かるのですが、本人を目の前にして言う言葉でしょうか?
聞いた瞬間、「このアホ医者!」と言いたくなりましたね。デリカシーの欠片も無いこの三流医師の顔はもう二度と見たくありません。これが、家族の正直な気持ちです。