浪曲師 真山隼人のブログ

浪曲師 真山隼人です。
よろしくお願いします。

鈴鹿市シティセールス特命大使

独演会のこと。ありがとうございました。

2018年11月13日 | 浪曲
先日は、平成30年度(第73回)文化庁芸術祭参加公演「真山隼人独演会」でした。
おかげさまにて無事終了いたしました。
今は一つ終了したという想いでホッとしております。まだ記憶の新しいうちにいろいろ書きたいと思います。


大阪にてはじめての独演会、しかも国立文楽劇場という大きなところでやるということは、たとえ小ホールでも今の私にとりまして大きな挑戦でした。



あれは数年前、地元三重から大阪に引っ越してきてまもない頃、とある方から「芸術祭に参加して、独演会をやってみたら?」とアドバイスをいただきました。
「うーん、独演会かあ…。」と少し不安ではありましたが、言われたその一言で意識し始めました。
それじゃあとその年では間に合わず、翌年やろうと思っていたところ諸事情で出来ず二年ほどかかりましたが、時期的にも今年でよかったかなあと思います。


今年の6月ごろ、日程を決め、芸術祭の申請書類を作り始めましたが、なにぶんにも書類など作ったことがなかった為てこずりながら期日ぎりぎりに提出しなんとか間に合いましたが、はたして承認していただけるか…心配な日々でした。
8月上旬にめでたく承認いただき(受賞したような気分だった。受賞してないけどね。)、そこから宣伝開始!
11月8日まで約三か月で159席埋めなければならない…。今までの公演は20~80ほどでしたので80名としてもその倍!
これは大変だぞと、いつも以上に宣伝に回りました。 メディアの皆様にもたくさん取り上げていただきました。

その甲斐あって132名のお客様にお集まりいただくことができました!!! 客席を見た時はほんとに嬉しかったです。


さて当日の内容ですが、「隼人の目指す浪曲三席」をテーマに、「執筆したもの」「発掘したもの」「継承したもの」の三席を致しました。

まず「執筆」のビデオ屋の暖簾。
これははじめて自分で書かせていただいた思い出の一席。このネタのおかげもあり落語の方にも名前を憶えていただけたと思います。
これをまず15分で。口上もあったからネタ自体は10分程度でした。



続いて芦川淳平先生の解説。
解説というか、お話でしたが、先生にいろいろと話していただきました。

大阪に出てきてから何かと先生にはお世話になりました。難波のスナック「同想会」にて行われてる浪曲教室に遊びに行ったり、先生のパーティーのお手伝いに行かせていただいたり…。
「お前は図々しい奴だ!」といつもいわれますが、それでもやさしくフォローしてくださいます。
時には褒められ、時には怒られ、時にはけなされ、遠いところから暖かく見守ってくださった先生にぜひとも解説をと今回お願いしました。
花を添えていただき嬉しかったです。


次は「発掘」の「善悪双葉の松」。

これは大師匠初代真山一郎が僕と同じ年代の頃にやっていたネタで、そのまた上の師匠、華井新より継承されたものです。
ずっと手元になかったのですが、この度某所に眠っていることが分かり、発掘につながりました。
当時の台本に手を入れ、節をつけたのでまた新しい作品に仕上がったかと思います。


中入り後はゲストの笑福亭生喬師。
落語の他に踊りまで踊っていただき恐縮でした。

生喬師は、同郷三重県出身、阿倍野区民、宝塚歌劇ファンではなしか宝塚メンバーという共通点があります。
はなしか宝塚でご一緒させていただくうちにお話しさせていただく機会が増え、ある日浪曲についての話になった時に、
「浪曲は節だ!」という話で盛り上がり生喬師の浪曲愛の深さを知ることになりました。
もうこれは、一回目のゲストは生喬師だとお願いした次第です。
当日はお弟子さんの生寿兄さん(この方も阿倍野区民、宝塚歌劇ファン)と見習いさんも駆けつけてくださり、とても嬉しかったです。



そして最後が「継承」の円山応挙の幽霊図。

松浦四郎若師匠よりいただいた作品で、はじめて三味線の浪曲をやりたいとおもった作品でもあります。
口上でいろいろと話そうと思っていたのに、感極まって泣いてしまい思うように話せず残念でした。
言わなければいけなかったことがたくさんあったのに…それが言えなかった。一生の不覚でした。

なんとか一席させていただき、緞帳が閉まったのが9時00分00秒! もう奇跡としか言いようがない…。
規定の時間通りにおさめることができました。



今回の公演、沢山の方のお力があったからこそだなあと思います。

ゲストのみな様、スタッフの皆様、そしてお忙しい中お集まりいただいた皆様、すばらしい柝で会を引き締めてくださった雲月師匠。


そして何より、さくら姉さん。
この人がそばにいてくださったからこそ今の真山隼人があります。

入門して五年半、当初は演歌浪曲をやっていた僕ですが、五年ほどたって三味線の浪曲をやっていこうと決心しました。
それもこの人があったからです。三味線でやろうというより、「沢村さくらさんと一緒にやりたい」という思いが強かったと思います。
その思いがあったからこそ、三味線浪曲をやるという真山家最大のタブーに踏み込むことが出来ました。
やり始めた時は、いろいろ言う人もありましたが、負けじと頑張ってこられたのは見守ってくださったからです。一緒に舞台に立つようになってから数年、共に歩んできた日々でした。
浪曲のこと、ネタのこと、会のこと、その他諸々、いろいろと教えていただき、助けていただき、悩んでいただき、ここまでやってこられました。
人見知りな僕をやわらげ初めての会場でも平常を保たせてくれたのもこの人のおかげです。曲師不足の昨今、ここまで二人三脚で歩むことが出来るとは思ってませんでした。
今回の会も、企画の補助、書類づくりから会場との打ち合わせ、弁当の手配までとてもじゃないですが一人で出来なかったのを支えてくださいました。
真山隼人にとって一番なくてはならない大きな存在の人です。この人なくして今回の会はありませんでした。本当に幸せ者です。
これからどこまで恩返しできるか分かりません力の限り返していきたいなあと思ってますが、いつもお世話になりっぱなしです。
阿吽の呼吸の浪曲をめざしこれからも二人で頑張っていきたいと思います。


まだまだ改善点も多々あります。少しでもいい浪曲が出来るように勉強していきたいと思います。
この度はご来場いただきありがとうございました。


もう少しだけ余韻に浸らせてください。 粗末な文章で失礼いたしました。
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