原理講論

<訂正・補足>

[資料] 金百文著「基督教根本原理」堕落原理

2021年10月24日 | 資料

  
金百文著「基督教根本原理」(正規本)、金百文著「基督教根本原理」(奥付)、金百文著「基督教根本原理」(復刻本) 

P.478
「人間は肉体のどれかの部分で罪を犯したならば普通はその部分に対する恥ずかしさを感じるのが良心的反証である。彼らが口と食道で罪を犯したのであれば、その部分に表示があるべきであるにもかかわらず、犯行後の態度に現れたものは男女の生殖部分に異性の羞恥心を示した。ということはやはり口で犯した行動の実証とみることはできない。」

P.482~483
「人間が堕落したという事実を『食べる』という問題によって象徴したように、人間の救済の道についても『食べる』という問題で解決した象徴的な比喩が即ち救霊贖罪の対象となったキリストの聖体(血、肉)を人間が『食べる』ことによって永遠の生命を得るであろうと述べ給うたくだり(ヨハネ六~八章)である。

 このように、聖体を『食べること』によって永遠の生命を得るであろうと述べ給うたが、それもまた口で『食べる』という問題とは違った別の象徴であった。故に、その本意は、『食べること』対『食べること』の象徴的な比喩をもって堕落人間の救済原理を教えたということは『食べる』ということが意識の問題でもなく、かつ観念的な問題でもない実質的体験問題を意味すると同時に血統的影響性を伴う人間の生理的本能問題であったことを意味するものである。」

P.483
「今や結論的に立証される事実をいうならば、即ち『食べる』という同じ言葉による象徴で示された堕落と救済という相反する結果は、人間が善悪を知る木の実を『食べること』によって悪くなった結果、情欲の罪悪性の発生による堕落を、キリストの聖体を『食べること』によって情欲とは正反対のキリストの愛を性品的に感じるようになることをいう。これをみても、人間の罪悪性が発生した根本を物語る反証的相対問題となり、善悪を知る木の実を『食べること』を、聖体を『食べること』によって解決せしめた情欲対聖愛の結果の現実としてもその実体を論証することが可能となったのである」

P.485
「彼らが口で行ったのであれば、マスクをするべきだったろうが、木の葉で陰部を覆うようになったその時から人間の生殖器は性欲の享楽器具として悪用された」

P.485
「また、男性であるアダムにも女性エバが受けたと同様の罪悪の性欲感を伝えたために、従ってエバに誘惑されたアダムの犯罪もまたエバと同一の罪悪となったのである。」

P.486
「カインは、やはり、エバが蛇の悪霊体から性欲を伝えられた犯罪の結果であり、人間本来の愛による繁殖ではないことを意味すると同時に、極論すれば悪霊の性欲的遺伝のみならず蛇の血を受けており、エバと蛇との結合とみることを聖書は語っている」

P.488
「ここにおいて問題は、神の作り給うた聖愛の人間作品を、性欲による情欲の罪悪性に変えたそのことが、何にもましてあらゆる人間罪悪の根本であり、千万種の罪悪性がそれから発する罪悪の根本となっているのである。」
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            【INDEX】 

 

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