今の社会。
人の目、監視の目、目、目、目。
そこら中に目があり、見張られてる。
それは生きた人の目だけでなく、それ以上にセンサーという目が、ありとあらゆるところにあり、いつでもどこでも誰かに、何かに見られている。
目、目、目。
何という社会でしょう。
見られている自分。見られている自分を見ている自分自身の目。
常に目を気にさせる異常な社会。
目から逃れること。
コンサートの経験。
だから必要なのです。
コンサートの場は、その時、その場の今、今、今の表現。瞬間瞬間の連続。
音の空間に身をよせ、心をよせ、ひたりきる時、そこには空間も時間も何もない。
そして自分がどこにいるのか、自分は誰なのか、何もかもなくなる。
でもそこには確かに自分はいる。
この瞬間。目はなくなっている。人の目、センサーの目はなくなっている。
心の、内面の奥深く感じている自分は何によっても見られることはない。
この経験がどれだけ、今を生きるひとりひとりには必要なことか。
外からの目はより強化されている。
だからこそ、外から見ることのできない、心こそ、内面こそ、強化する意味でも豊かに豊かにしていくこと。その経験こそが現代を生きる上で、何にもやられない強さを得ることができるのかもしれません。何にもやられない自分になること。
コンサートの経験。コンサートの場。
目を超えた空間。目を超えた場。
生きる力を取り戻す場。
その経験。
いざ。
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