【さいさいきいて屋】
今回は企業成功例に学ぶ
愛媛県の松山市、エイトワン・愛媛県、今治市の農協経営【さいきいて屋】前回ブログの村上龍氏の話の中でさいはて屋となっていましたが誤りで【さいさいきいて屋】です(すみません)
経営理念。社長の人となり。がよくわかります
(企業成功例に学ぶ)とは、ここでは「サルマネ」ではなく、地域に密着した構想。が、その参考にして下さい。
【さいさいきいて屋】
今回は企業成功例に学ぶ
愛媛県の松山市、エイトワン・愛媛県、今治市の農協経営【さいきいて屋】前回ブログの村上龍氏の話の中でさいはて屋となっていましたが誤りで【さいさいきいて屋】です(すみません)
経営理念。社長の人となり。がよくわかります
(企業成功例に学ぶ)とは、ここでは「サルマネ」ではなく、地域に密着した構想。が、その参考にして下さい。
「地方創生」
町おこし案内⑦
「地域活性」とは、地方が衰えた経済力の立て直し、人口減少の歯止め(新規住民・都会で子育て中の人への呼び込み)
農産物の開発、地域ブランド化、観光資源の発掘、その広報。PRが必要である。
地方自治体、各種団体などが町おこしをするが、有効な決定的手段があるわけではない。大切なことはその地域ごとの独自性のある地域おこし施策で、ほかの地域での成功例(物真似でなく)参考にして新たな発想を生むことだ。
「町おこし成功例」
『「地方創生」まちは活性化する』 同文館 小林 勇治・波形 克彦
『ふるさと再生』 講談社 坪田 知己著
企業紹介は地域活性化(町おこし)の一環として今まで載せてきました。
○まず、第一に読んで下さる方に役立つ情報として伝える。
○紹介する企業は信頼でき、長く良き関係を保てる(経営理念、経営者の人となり)などを考慮して載せています。
竹久夢二
隣りの併設する「椿庵・花むらさき」は、法事・祝い事・同窓会。一人から団体まで気軽に利用できる。
栄晃産業
祖父の代から続き地元でも信頼、信用されている会社です。
経営者には、社員福祉などに旅館、ホテルなどの物件、温泉付きリゾート施設も多数あります。問い合わせてください。
酒蔵見学
工場見学は酒の歴史、製造工程などで新たな発見があります。
問い合わせてみてください。
次回はまちおこし成功例、起業成功例などです。
船村徹の詩
巷の唄 船村徹
巷の唄は どんなうたー
むしり取られて 捨てられて
女がなきなき うんだ子の
涙のように ショッパイ唄だ
巷の唄は どんなうたー
不渡手形を 握りしめ
霙の街に ゆきまよう
中年男の 命の唄だ
巷の唄は どんなうたー
父になれない 作曲家(うたかき)が
追いつめられて ベソかいて
酒の雫で まとめた唄だ
新聞、雑誌、テレビなどで良き故郷として栃木県のことを話しているのを見かける。栃木県生まれで今市高校卒業後、東京で苦労するが後に成功者となり名を残している。
今市高校
高校正門前にある碑。
日光ニコニコ本陣・に立派な記念館が出来ている。何時も年配者が大勢集まって賑やかで、道の駅の名所となっている。
若い時には大望をもって大いに苦労をすることである。
このブログ読んでいる若い人に“ものがたり”を送ります。
学校卒業後、企業に就職する。インターネットを中心とするITリテラシーの修得とともに、海外展開なども見据えて中国語やベトナム語の語学力を磨く。
「俺は雇われているのではない。この会社で働いてやっているんだ」と公言して憚らず・・・
果して数年後、志を同じくする仲間と独立した。
ドローンによる遠距離配送サービスのベンチャー企業を起業する。過疎化が進んだ山間部の限界集落を救う事業展開。インターネットを通じて日用雑貨、その他の注文が殺到する。この新しいロジスティックスにより、別の方面からの要望もあり会社は急成長する。
すると、突如会社を丸ごと売り払い、いっさい、経営から身を引き。会社売却益を元手に新規事業を準備中である。
-このものがたりは、弘兼憲史氏の語りを脚色したものですー
過疎化、限界集落などは、現地の人以外誰も実情は知らない。
地域活性・町おこしなどはまず行政や国では出来はしない。またそれらに頼っても駄目である。
可能性を感じることもある。規模は小さいが、地方地域に独自の経済圏を作る動きが出てきたことである。例えば愛媛県今治市の農協の人が作った「さいはて屋」という会社がある。地域の加工業者と一緒に地元の人たちと農産物、海産物などから加工品を創りだす。特質なのは、自前の店舗、流通システムを持っていることで、地域の学校、団体、に給食サービスなどを展開している。
彼らは東京や大都会は目指していない。補助金などにも期待しないで全て自前で行っている。企業を誘致しても利益の大半は本社のある大都会に移るだけなのを知っている。
〝お上“の象徴だった農協組織でも新たな発想が生まれてきている。
・・・と村上龍氏が教えてくれた。
企業紹介
栄晃産業株式会社
http://eikousangyou.com/c-info.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nikkoworks2/34353224.html
片山酒造
元来胸の病もちであるが、最近特に感じることがある。腹の具合と胸の違和感、ここ数日風邪で苦しんだので其のせいかもしれない。が、なんとなく気になる。しかしこのことで、病院での診察は嫌だ。良くない、ことがありそうな予感がするのである。悪いことがあるのなら、遅ければおそい程がいい。(手遅れの可能性もあるが・・・)
まぁ、そんなことで私はものぐさな男である。
ブログは続けたいと思っている。企業紹介。町おこし案内の事。を中心として、皆さんに楽しんでいただけるブログを書きたいです。
今回は、日光の手前の今市の街、名所、旧跡から
二宮尊徳神社
追分地蔵尊
如来寺
「これらは今市駅、下今市駅から徒歩5分から10分位のところです」
JR今市駅。
駅前広場、駅前通り。
清水が流れる小川。幾つも見受けられます。遠くに見えるのは休息処。
駅周辺には小さな公園が幾つもある。
-つづくー 次回は、明日「町おこし案内」「企業紹介」など・・・
78・【日光の手前の今市の街】かえりみて
改めて読み返してみました。
このブログを書いて七か月が経ちました。(一か月休んでいますので実質六か月間)
78回も投稿しているのです。ワープロが下手で人差し指で打っての事でした。
その中でも心に残るものが幾つかあります。
第一に、30【妹・川上慶子と私の30年】今年8月9日30回、に載せた、川上千春氏の手記です。
1995年8月12日「日航機123便」御巣鷹山に墜落事故(520人死亡)生き残った人は5人、その中の一人川上慶子さんの兄千春氏が30年経った今年、書いた手記です。
当時のこと 自衛隊のヘリコプターで川上慶子さんが救出された映像は鮮明に残っています。
何度読み返しても感動します。
まだ小さな、少女姿でした。父親、母親、妹との会話が途絶える(死んでいく)・・・
いま読んでも涙がこぼれ落ちます。
当時、少女の慶子さんに対しての無遠慮で無礼と云えた、取材攻撃によりマスコミ関係者嫌いになったことも、よく理解できます。
今思うことは、兄の千春さん、慶子さんこれからの人生良きことが多くあることを願っています・・・
【私の師匠坂本藤良先生のこと】
37回・の【余談】・44回・55回・56回、
『私の師匠坂本藤良先生』のことも感慨深い思いがあります。
肺がんで余命少ないと知りながら、長年の念願だった。小栗上野介を上程した坂本先生の短い生涯には頭が下がります。
享年59歳、もっとながく生きて欲しかったです。
第三に、私がブログを書くきっかけは【時空と・・・天空】2015,4,14、「余談」を参照。
私は日光市の為にとか、そんな大それたことを書き始めたブログではありません。
読むと理解していただけると思いますが、そこに書いた、-独りよがりー 信長への思いに至り。
―無謀なるたったひとりでの挑戦―
きぬがわ楽市楽座(ちかく立ち上げる予定です)を現代的な方法で町おこしなどをと、考えていたのです。この時運悪く、重い肺結核で国立病院にながく入院生活を、送る破目になったのでした。 (神が授けてくれた命です。彼岸でなく、そちらの此岸にもう少しとどまっていなさい。〈ブログ旅はまだ終わらない、参照〉と言われました)
この -独りよがり― ”無謀なる、たった一人での挑戦“
このことは今でも心の中で燃えています。