熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

陣場形山

2012-09-20 02:13:39 | 

中川村の陣場形山は車で頂上まで行けますが、登山道もあります。

車道を横切るように続いている登山道には・・・

  

樹齢600年以上のぶなの木や信じられない位芸術的な形に育った松があったり・・・

すぐそこに車が通れる道があるというのに、とても静かな登山道。

  

どうしても今陣場形に登りたかった理由は・・・・

この景色。

今だけ。

今だけの黄色い伊那谷。

真下に見えるのは宮田村から駒ケ根方面。

正面の中央アルプスは残念ながら雲の中でしたが・・。

目を右の方に向けて行き、北側に見えて来るのは伊那・辰野方面から八ケ岳方向。

左方向、南側は飯田方面、飯田はちょっと曇っているみたいでした。

少し前まで緑一色だった伊那谷が、綺麗な黄色になりました。

田舎は四季で色が変わるから面白い。

  

今だけの黄色い伊那谷。

 

 

 


行人様の御開帳

2012-09-18 00:41:18 | 飯田・下伊那

先週の事です。

阿南町のパンフレットを見ていたら、「行人様」について書かれていました。

行人様とは即身仏になった江戸時代の怪僧の事。

数年前、新聞で御開帳の記事を見た事があり、何となく心惹かれる物があり拝観してみたいと思っていました。

いつ御開帳になるのか調べてみたら春、秋2回、今年の秋は16日(日)

その何となく心惹かれる物は何なのか?

何も知らなかった「行人様」についてもう少し知りたいと思うようになりました。

行人様について少し詳しく書かれている記事を読むと、名前を「行順」本名は「久保田彦左衛門」・と書かれています。

実は私の旧性は「久保田」名前には順の字が使われていて、その上、実家の父の出身に近い所で行人様も育っているという偶然に、

両親も興味深く、この即身仏を一度拝観したいと、阿南町新野まで行って来ました。

父の生まれ育った地では、山の集落が皆久保田という性で、昔は「久保田一党」のお祭りをやっていた時代もあったからです。

 

こすもすが満開の静かな農村風景の中で、おしゃれな案山子に思わずにっこり。

   

ちょうど、新野の道の駅に着いた頃、鉄下駄駅伝レースが始まる所でした。

鉄下駄と鉄の杖で全国行脚した行人様にちなんで、片方2kgの鉄下駄を履いて、新野の街を駆け抜け、行人様のおられる新栄山まで走ります。

  

からん・ころん・からん・ころん・と鉄の下駄の音が町中に響き渡りました。

道の駅から見る新栄山の行人堂は、瑞光院の裏山のこんもりと盛り上がるように木々に囲まれた小高い山の中で・・

 

行人様はこの山の中、あらかじめ掘っておいた穴の内部に石を詰め、木箱を組み込み竹筒を差し息ができるだけの穴を開け、

「鉦(かね)の聞こえるうちは生きていると思いたまえ」と言い残して、皆の見守る中、即身仏になる為にこの中に入りました。

1687年、4月の事です。

それが、この山の中の岩の上、

小さなお堂がありました。

七日目に鐘の音が止まり、入定を果たしたと記されています。

小高い小さなお堂からは、新野の田畑や民家が眼下に見えます。

何のための「即身仏」?

五穀豊穣を願ってとか、世をは儚んでとか、色々書かれていたけれど、

本当の事は「久保田彦左衛門」さんにしか分からない・・

けれど、こういった即身仏は日本に十数体しかないらしいです。

意思の強さは鉄の意思。

どこか心惹かれる部分はこの意思の強さかも。

小さなお堂の中には300年以上経った「行人様」が今も生きているかのように座り、

その前に坐すと、心を見抜かれたように見つめられている気がしました。

父も母も、同じ姓に何かの縁を感じ・・・・、

300年以上前の人に逢って来ました。

4月と9月の2日間、御開帳の日以外363日間、

行人様はこの山の中でいまだに一人で姿勢を正して、悟りを開く為の修行を積んでおられる。

 

  

 

 


とりかぶと

2012-09-15 13:07:37 | 飯田・下伊那

大鹿村の黒川牧場近くにとりかぶとの群生地があって、今が満開だと聞いて、

朝早くちょっと行ってみました。

大鹿村も黄金色。稲刈り間近。

朝の空気は気持ちがいいです。

  

黒川牧場内の道にもトリカブト他、いろんな花が咲いていました。

  

遅ればせに1本きり咲いていたねじばな。

 

      

暑い暑いと毎日言っているのに、標高1500mを越えればもうすっかり秋。

緑一色だった夏色が懐かしく感じます。

 

トリカブト、おおあざみ、ホタルブクロウ

   

びっくりするほど真っ赤なキノコ。

 

 

   

山から下りて来て大鹿の町で見た珍しいものは、

大鹿村騒動記に出た「ディア・イーター」

原田芳雄が経営する鹿肉食堂として登場しています。

   

そして、おばあちゃん飛び出し注意の看板。

もうすっかり秋模様の大鹿村でした。

 

 

 

 

 


よこね田んぼの秋

2012-09-13 18:55:07 | 飯田・下伊那

飯田地方、あちこちで稲刈りが行われています。

こんな昔ながらの稲刈り風景はなかなか見る事ができなくなっています。

 

千代のよこね田んぼはきっと綺麗な黄金色になっているだろうと見に行って来ました。

緑一色だったよこね田んぼが、黄色く色づいていました。

 

よこね田んぼでは毎年、案山子コンクールも行われます。

今年はロンドンオリンピックにちなんだ航平案山子もありましたよ。

昔ながらの案山子と、コナン。

 

風に吹かれてちょうちょ(あさぎまだら)だったかな?も大空に向かって舞っていました。

可愛かったので、両親にも見せてあげようと思い連れて行ってあげました。

ずらっと並んだ案山子を2人並んでじっと見ていました。

 

いい風景でした。


天竜川ホワイトウォーターフェスティバル

2012-09-12 00:43:12 | 飯田・下伊那

ラフティングボードで急流を下り、タイムを競う「第16回天竜川ホワイトウォーターフェスティバル」が、

8日、9日に松川町から天竜峡近くまでの天竜川で行われていました。

ちょうど、私が喬木村に入る弁天橋を渡ろうとした時、数艇のボートが弁天橋の下を通り過ぎる所でした。

慌てて弁天の舟下りの船着き場に下りてみました。

 

新聞によると、全国から愛好者、63艇が出場したのだそうです。

最後を行くボートが「ここが最後ですよ」って教えてくれました。

慌てて車に飛び乗り、天竜川沿いの道を下り、次の水神橋の上から見てみました。

 

その次の橋は南原橋。ここからは天竜川が狭くなり急流になって行きます。

ここから先がボートの醍醐味を味わえる急流。

でも、見れませんでした。

 

次に見えたのは、ゴール近く。

再び川の流れはゆったりとして、

最後の力でボートを漕ぎゴールです。

私の車と弁天橋で写真を撮ったボートは、ほぼ同時にゴールでした。