根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

続・崩平山 1月8日

2018年01月08日 16時10分51秒 | 日記

(2017.9.9日・崩平山 、下山後の続編です。) 

 大吟醸「千羽鶴」を求めに、久住町へドライブ
(平成29年12月23日(土) 天皇誕生日)

今日は、朝から風も無く穏やかな天気、まさに冬晴れである。
女房を誘って「清酒・千羽鶴」を買いに久住町にドライブ。

もちろん久住町の町中を歩くのも初めてである。
シャッタ-通りの多い昨今の街並みであるが、ここ久住町の商店街には
昔ながらの商店等が営業されていて「昭和の風景」を思い出させるような
街並みが残っていた。(デジカメを忘れ、スマホは車の中で写真は撮れずじまい)

街並みの建物の中でも佐藤酒造の店舗は歴史の重厚を感じさせるような家屋で
店舗と酒蔵が棟続きで建っている・・・。
買い物の後は、
九重山岳信仰の二大寺院であった久住山猪鹿狼寺(いからじ)を見学。
(もう一つは、九重山法華院白水寺)
復路で、
豊後街道沿いの白丹(しらに)温泉に浸かりその後、
「清酒・千羽鶴」を手土産に産山の「馬場山荘」に予告なしで立ち寄る。
偶然にも、馬場夫妻も熊本から着かれたばかりで、
山荘籠りの食糧を荷卸ししておられるタイミングであった。

「家に(私の)寄ったが不在であったのでプレゼントを玄関先に置いてきた・・・」
との事であった。

薪スト-ブにあたりながら近況報告の語らいと
薪が燃える炎の揺らぎを見つめながら心地よい時間を過ごした。

↑ [豊後街道(県道131号)から久住町並と九重連峰を望む]

↑ [久住山 猪鹿狼寺(いからじ)]

↑ [山門の仁王さん]

↑ [金剛力士]
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像

猪鹿狼寺について
(分県登山ガイドより抜粋)
「・・・二峰(中岳と天狗ケ城)の間には火口湖の御池(みいけ)があり、
昔は御神体としてあがめられ、池畔に猪鹿狼寺法華院白水寺
上宮が祀られていた。
ニ寺は九重山信仰の中心をなした寺院である。・・・」 

(猪鹿狼寺について参考にしたサイト)
 ・とよだ時「山の伝承伝説」→ http://toki.moo.jp/gaten/gatten/index.html 
 「題名一覧 942」より抜粋
  「この山中には九重山法華院白水寺(はくすいじ)と、久住山猪鹿狼寺
   (いからじ)があり、
それぞれが中岳山頂に近い賽の河原の「上宮」を
   まつっていました。

  しかもお寺の山号が「九重山」と「久住山」。九重山法華院白水寺は、
  豊後国(いまの大分県)岡(竹田)藩領の坊ガツルにあり、
  一方、久住山猪鹿狼寺(いからじ)は豊後国内ながら熊本藩(肥後)領の
  久住高原で下宮として勢力をふるっ ていたのでした。」

 ・旅の記録と記憶

 

「千羽鶴」 について    

↑ [「大吟醸 千羽鶴」(佐藤酒造で購入¥3.350)と小説「千羽鶴」(¥594)]

 

「千羽鶴」の続編「波千鳥」は、
取材ノートを鞄ごと紛失し続編執筆が不可能になり断念したと、
とある記事(ネット情報)で説明されていたので九重高原を舞台にした部分は
読めないものと思っていたのであるが

書店から買った本を開くと波千鳥の表題が目に入り
「あれあれ・・!」と思った次第であった。
(巻末の解説によると・・・鞄の紛失は東京の仕事部屋として使っていた旅館で盗難
にあったものであり、その時点では「波千鳥」八編のうち六編まで完結していた・・・)

川端康成が九重に訪れ、
川端自身が歩いた「長者原から久住南登山口」までの小説波千鳥での描写は、
登山で歩いた私にとっては身近なものとして理解ができて、この上ない感銘を受けた。

 

千羽鶴の続編 「波千鳥・旅の別離」の章から抜粋

波千鳥の舞台となった九重高原のなかで、川端康成が歩いた
長者原→諏峨守越→法華院温泉→坊がつる→鉾立峠→朽網分れ
 →久住南登山口に係わる部分(ペ-ジ)を私なりに抜粋した。

 
↑ P228~229

 
↑ P252~253

 
↑ P254~255
[崩平山が登場]

 
↑ P256~257

 
↑ P260~261

 
↑ P262~263
[猪鹿狼寺が登場]

↑ 長湯温泉旅館組合公式サイト からキャプチャ]

↑ Welcome to Kai's Home Page!のサイトからキャプチャ]

(参考にしたサイト)
「飯田高原・歴史」  
「大分県 九重町 明るい農村のカメラと山」
    (昭和27年九重に来た川端康成が九酔渓を眺めた白雲台)

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