goo blog サービス終了のお知らせ 

ばなな庵主『最後の一本バナナ週末記』

「最後の一枚」か。「もう二度と戻れない」修行・勤行中にも邪念だらけの庵主。「立つ」闘いの記録。『Dekuの棒週記』続編。

いつもは1本である

2010-09-21 17:16:17 | Weblog


冷蔵庫の扉を開けたら1000mlの牛乳パックが3本も入っていた。いつもは1本である。
マーケットにいくと、冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、足りないもの、ちょっと冒険してみるかというもの、などを買っている。昨夕、牛乳がなかったなと思い買って帰り、冷蔵庫を開けるとご覧のとおりだ。


愕然とした。


母がいつのころからか思い出せない。そう思えばあれもこれもといったふうで、その時々を自覚してとらえることなんてできなかった。たとえば、兄が言ったことで、「もうオフクロの手作り正月料理は喰えなくなったな」ということ。これなどもさりげなく老化のためと受け流していた。庭から室内を見たとき、母は昔の座敷箒でさっさ~とふりまわして、「掃除はおしまい」といったが、そんなもんだろうと思っていた。「今日、風呂はどうする?やめにしようか」と言い出したときも、不自然ではなかった。近所の書道の集まりをいつの間にかやめていたのも、みんなの足手まといになるからという理由に、そんなものかと思っていた。


母は、このすべて反対を生きてきた人だった。
ちなみに私も正月料理はない。掃除は気がむかない限りやらない、というかやる気が起きない。風呂は、いまはシャワーだけである。衣類の洗濯はする、洗濯機が。近所付き合いはない。


もう6年以上前になるだろうか、兄が母について「変だぞ。医者に診てもらえ」といった。なぜなら、20数年前に死んだ父のことを、今日はまだ帰ってこない、女のところでもいっているだろうかといったからだという。医師の診断ではアルツハイマー型認知症だった。


当時私は、非常勤も新聞配達もしていた。すきを見て通って夕食をつくってともにした。イライラしたのは、冷蔵庫にトマトばかりたまっていくことだった。本人は、栄養豊富なトマトを採らなくてはと思っていたのかもしれない。買い物は近くのスーパーに毎日いった(いまは私がそのスーパーにいっているが)。冷蔵庫に、玄関ドアに、「無い物だけを買うように」と張り紙をした。我が、無知の涙である。ヘルパーさんを頼んだ。母は、すぐには受け入れない。でも強引に導入した。どんどん認知が怪しくなった。私がイラついて、怒鳴ったら、母は「バナナみたいなシャツを着ているじゃないか」といった。???母は、そのとき私を兄だと思ったのだ。母の中には、「威張って、怒る」兄、「こまめに気のつく」私(事実だが)という感情がふくらんでいたのだろう。この認知症の両面を知ったのは、NHKの「ためしてガッテン」の認知症についてだった。



その間、私に異変が起きた。


アルツハイマーは、当時のものの本によると、長くて8年ほどの命という。だが、まだ母は特養で生きている。昨年秋、私のこともわからなくなった。
こうした老人は生きている意味があるのだろうか、というのは石原慎太郎路線。また人権論・社会福祉論で老いを語る人、いまや老いを商売にする人もいる。
そこに一石を投じたのが、111歳とされていながら白骨化した老人の死であろう。彼もまた行政の追究にあって、安心して死にそこねたといえようが。


私、トマトではないのですが、牛乳があるのを忘れて、1本のところ3本にしてしまいました。


最新の画像もっと見る