2015/04/14【三山春秋】 ジャングルに身を潜め、友軍を待ちながら秘密戦士として戦う日々。〈私はこの…
▼ジャングルに身を潜め、友軍を待ちながら秘密戦士として戦う日々。〈私はこの“一億玉砕”を額面どおりに信じた。(中略)たった一人でも日本人が生きているかぎり、日本は断固、戦うのだ、と〉
▼1974年にフィリピン・ルバング(ルバン)島から帰還した“最後の日本兵”故小野田寛郎(ひろお)さんは、著書『わがルバン島の30年戦争』(講談社)で、任務から離れなかった理由をこうつづっている
▼諜報(ちょうほう)、ゲリラ戦における指導者を養成する陸軍中野学校の分校出身。にせ情報によるかく乱戦術をたたき込まれていたため、投降勧告のビラや捜索隊がまいた新聞をすべて謀略と判断したという
▼中野学校が戦局の悪化により、東京・中野から富岡市に疎開・移転したのは45年4月。主に旧制富岡中学(現富岡高校)を使って本土決戦に備えた教育・訓練を展開したが、終戦で閉校となった
▼前田家ゆかりの七日市藩藩邸跡にある同校には「陸軍中野学校終焉(しゅうえん)之地」の石碑が立つ。生徒たちは今月17日の富岡高校開校記念式典を控え、七日市藩とのかかわり、中野学校移転などの歴史を学んでいる
▼戦後70年。中野学校があった中野駅北口一帯は近年、再開発事業で大学が集まる活気ある街に生まれ変わった。存在さえ極秘とされ、若者にスパイやゲリラ戦を教える学校など、二度といらない。
こちらは2006年5月6日から毎日更新しています。
◆ 平和とくらし 茨木市議*山下けいきの日々是好日
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▼諜報(ちょうほう)、ゲリラ戦における指導者を養成する陸軍中野学校の分校出身。にせ情報によるかく乱戦術をたたき込まれていたため、投降勧告のビラや捜索隊がまいた新聞をすべて謀略と判断したという
▼中野学校が戦局の悪化により、東京・中野から富岡市に疎開・移転したのは45年4月。主に旧制富岡中学(現富岡高校)を使って本土決戦に備えた教育・訓練を展開したが、終戦で閉校となった
▼前田家ゆかりの七日市藩藩邸跡にある同校には「陸軍中野学校終焉(しゅうえん)之地」の石碑が立つ。生徒たちは今月17日の富岡高校開校記念式典を控え、七日市藩とのかかわり、中野学校移転などの歴史を学んでいる
▼戦後70年。中野学校があった中野駅北口一帯は近年、再開発事業で大学が集まる活気ある街に生まれ変わった。存在さえ極秘とされ、若者にスパイやゲリラ戦を教える学校など、二度といらない。
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